財団法人・世界人権問題研究センター『研究紀要』第1号

(1996年3月)  収録
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在日朝鮮人台湾人参政権「停止」条項の成立

―在日朝鮮人参政権問題の歴史的検討(1)―

水 野 直 樹

はじめに
一 参政権保持の閣議決定
二 議会の反対論
三 「戸籍条項」の追加
四 改正法案の審議・成立
五 選挙人名簿からの排除
おわりに



  はじめに

 日本敗戦後の一九四五年一二月、衆議院議員選挙法が改正されるに際して、日本(敗戦まで「内地」とよばれていた地域)に在住する朝鮮人・台湾人の選挙権・被選挙権が停止されたことは、よく知られている。日本が朝鮮・台湾を植民地として支配していた時期、「帝国臣民」とされた朝鮮人・台湾人(ただし二五歳以上の男子に限られていたことはいうまでもない)は、日本「内地」に居住する限りで選挙権が認められていた。一方、被選挙権には居住要件がなかったので、理論的には三〇歳以上の「帝国臣民」であれば立候補できたが、現実には日本「内地」に居住しない朝鮮人・台湾人が立候補した例はない。したがって、植民地期に参政権(本稿では選挙権・被選挙権をあわせて参政権とする)を行使し得た朝鮮人・台湾人は、「内地」在住者に限られていた。もちろん、選挙権には居住期間の要件があったので、転々と住所を変えることの多い朝鮮人・台湾人で、選挙権を持つ者は日本人に比べてかなり低い比率であった。
 ところで、敗戦後、選挙法の改正を重大かつ緊急の課題とみなした日本政府は、内務省を中心に改正法案づくりを急いだ。その過程で、一九四五年一〇月二三日の閣議で決定された「衆議院議員選挙制度改正要綱」は、「内地在住ノ朝鮮人及台湾人モ選挙権及被選挙権ヲ有スルモノナルコト」として、日本に居住する旧植民地出身者に参政権をそのまま保持させることを決めていた。この改正要綱の内容は当時の新聞にも報道された。ところが、二カ月後に議会を通過した改正法案では、付則で「戸籍法ノ適用ヲ受ケザル者ノ選挙権及被選挙権ハ当分ノ内之ヲ停止ス」(以下「戸籍条項」と呼ぶ)と定められていた。これによって、日本の戸籍法の適用を受けなかった朝鮮人・台湾人(例えば朝鮮人の戸籍は朝鮮戸籍令にもとづくものであった)の参政権は停止されることになったのである。「当分ノ内停止」とされていたが、サンフランシスコ講和条約の発効にともなって朝鮮人・台湾人は日本国籍を離脱したと日本政府が宣言してからは、完全に外国人として扱われた朝鮮人・台湾人に参政権が認められることがなかったことはいうまでもない。「停止」が実際には「剥奪」であるとされるゆえんである。
 当初、選挙権・被選挙権を有するものとされながら、結局それが停止されることになったのは、どのような経緯によるものか。これを検討することが本稿の課題である。
 近年、各地で在日韓国・朝鮮人の参政権を求める動きが広がっている。特に地方自治体における選挙権・被選挙権については、これを促進しようとの決議を採択する地方議会が増えている。敗戦直後の参政権停止の経緯とその問題点を解明することは、現在の在日外国人の参政権問題を考える一つの材料となるであろう。
 また、参政権の停止は、戦後日本の政治・社会が在日朝鮮人などの基本的人権を制限し、あるいは戦争被害に対する援護法適用などの諸権利から在日朝鮮人・台湾人を排除していく過程の始まりを示すものとしても、重大な意味をもつものである。
 敗戦直後の選挙法の改正過程については多くの研究がある(1)が、朝鮮人・台湾人の選挙権・被選挙権の停止に触れたものは見当たらない。戦後の在日朝鮮人の処遇に関わる研究でこの問題に言及したものでも、「戸籍条項」が設けられた経緯は未解明の課題として残されてきた(2)
 最近発表された松田利彦『戦前期の在日朝鮮人と参政権』(明石書店、一九九五年)は、一九四五年までの在日朝鮮人の選挙権・被選挙権行使の実態を解明した労作であるが、敗戦直後の衆議院議院選挙法改正における「戸籍条項」の問題についても第四章「在日朝鮮人の参政権の剥奪」で取り上げている。後述のように、在日朝鮮人・台湾人に参政権を与えるべきでないとする清瀬一郎の意見書が参政権の「停止」に大きな影響を与えたとする点で、筆者は松田氏と見解を同じくする。ただし、「戸籍条項」成立の経緯とその理由については異なる見方をしている。筆者が松田氏に清瀬意見書を提供して以後、もう一つの清瀬意見書と法制局作成と見られる文書を発見したが、本稿ではそれらの分析を通じて、参政権の容認から否定へと短期間に政府の方針が変更された経過とその要因を検討することにしたい。
 

一 参政権保持の閣議決定

 日本政府は敗戦直後から選挙法の改正が不可避であるとの認識を持ち、八月末以降閣議などで改正の進め方に関して協議を重ねた。九月一八日の閣議で東久迩首相が選挙法の根本的改正が必要であると発言し、二八日には議会制度審議会の設置が決定された。審議会の委員には貴族院・衆議院の議員や内務次官(古井喜実)などの高級官僚、学識経験者が任命されたが、一〇月五日東久迩内閣が「人権指令」の衝撃で総辞職したため、審議会はなんらの活動もせずに終わった。
 衆議院議員選挙法の本格的な改正作業は、一〇月九日に成立した幣原内閣の下で内務省によってすすめられることになった。内務大臣に就任した堀切善次郎は、一一日の閣議で改正の内容として、選挙権・被選挙権の年齢の引き下げ、婦人への参政権の賦与、大選挙区制の採用の三点を提案し、了承された。これらが衆議院議員選挙法改正の基本となったことは、よく知られているとおりである。
 選挙法改正作業の過程で、日本に在住する朝鮮人・台湾人の選挙権・被選挙権をどうするかが一つの問題として浮上したようである。一〇月二三日に閣議決定された「衆議院議員選挙制度改正要綱」の作成過程を明らかにする資料は見当たらないが、新聞記事(『朝日新聞』一〇月一四日)によると、一三日の閣議で決まった改正方針では、「内地在住の朝鮮人、台湾人の選挙権」を認めることとされていた。この記事は、「これらの人々は国籍をこちらに有してをり、帰国するにしてもさう早急には完了せず、また内地に永住の希望をもってゐる者も多数あるので、その選挙権は従来通り認めてゐて差支へない」という関係当局者の見解を伝えている。
 さらに一九日の閣議でも改正要綱が検討されたが、その際にも「朝鮮台湾および樺太の喪失に伴ふ事務的改正点」が協議される予定であると報じられている(『朝日新聞』一〇月一九日、『毎日新聞』同日)。翌二〇日の閣議でも引き続き改正要綱についての協議がなされ、その大要が決められた。新聞は、「選挙制度改正要綱決まる」と題してこれを報じたが、選挙権だけでなく被選挙権についても男女同等の満二五歳以上とすることなどとともに、「内地在住の朝鮮人、台湾人も選挙権、被選挙権を有するものとする」ことが決定されたことを伝えている(『毎日新聞』一〇月二一日、『朝日新聞』同日)。
 「改正要綱」が正式に閣議で決定されたのは、一〇月二三日のことである。国立公文書館所蔵の『公文類集』(第六九編昭和二〇年 巻三 政綱門三 帝国議会二)に、閣議に提出された文書「衆議院議員選挙制度改正要綱(案)」が収められている。「内申 第一五九号、起案 昭和二〇年一〇月二三日、閣議決定 一〇月二三日、指令 一〇月二三日」とされており、内務省が作成した文書であることがわかる。「選挙権及被選挙権ニ関スル事項」「選挙区及議員定数ニ関スル事項」「選挙公営ニ関スル事項」など七項目にわたる改正骨子が記されているが、そのうち第六項は、次のようなものである。

  六、内地在住ノ朝鮮人及台湾人ニ関スル事項
    内地在住ノ朝鮮人及台湾人モ選挙権及被選挙権ヲ有スルモノナルコト

 このように日本在住朝鮮人・台湾人の選挙権・被選挙権保持を容認する「改正要綱」が閣議でそのまま決定されたのである。
 以上のように、幣原内閣成立直後から内務省がすすめた衆議院議員選挙法改正案の作成にあたっては、数回にわたる閣議での協議を経たうえで日本在住朝鮮人・台湾人が選挙権・被選挙権を保持することが決められたことを確認し得る。内務省が「思いつき」でそのような案を立てたのでは決してなかったのである。内務省が朝鮮人・台湾人の参政権保持を認めた理由は明かではないが、二つの理由が推測される。一つは、講和条約締結まで朝鮮人・台湾人が日本国籍を保持するという見解に立つなら選挙権・被選挙権も保持するのが法理論上当然であると考えたこと、もう一つは、半年前の同年四月に衆議院議員選挙法が改正されて朝鮮・台湾にも適用されることになり、朝鮮半島・台湾居住者にも制限付きながら選挙権・被選挙権が与えられたばかりだったので、短期間にこれを覆すかのような法律を作るのにはためらいの気持ちがあったことである。
 

二 議会の反対論

 ところが、日本在住朝鮮人・台湾人の参政権を認めるという内閣の案に対しては、議会の側から反対の意見が強く表明された。
 内閣とは別に衆議院でも議会制度調査特別委員会が設置されていたが、一〇月一二日に開かれた同委員会で決定された「衆議院議員選挙法改正要綱」は、婦人参政権や選挙権・被選挙権の年齢引き下げなどを含まず、選挙区や投票方法などの技術的改正にとどまるものであった(3)。これに示されるように、議会は選挙法の改正に関しては内務省より保守的な姿勢を取っていた。
 一六日に開かれた同委員会では、副議長(議員名不明)が「今日カラ根本的ノモノヲ論議セラレタイ」と述べたうえで、「政府ノ大体ノ方針ヲ聴ク要アリ、〔中略〕選挙区、婦人参政権、年令低下、名簿、沖縄樺太朝鮮ヲドウスルカ」と発言している(4)。議会側でも朝鮮、樺太などの旧植民地の選挙権・被選挙権問題を認識していたことがこの発言からわかる。
 内閣が改正要綱を正式に決定した後、二六日に内務省と国会議員との間で選挙法改正に関する「懇談会」が開かれた。この時、内務省が説明した改正要綱に対して議員から「いろいろと異論が多かった」という(5)。この会合は衆議院の選挙制度調査特別委員会に内務省側が出席して政府方針を説明するものであったと思われる。この日の委員会では、法案作りに中心的役割を果たした内務次官坂千秋が閣議決定事項、つまり「改正要綱」の内容を説明した後、議員からさまざまな問題について意見が出された。この中で朝鮮人・台湾人の参政権問題については、衆議院議員清瀬一郎が強い反対意見を述べた。

  「鮮人、湾人ニ対スル選挙権及被選挙権ヲ与ヘル理由如何、九月二日ノ降伏文書ノ調印ニヨリ朝鮮台湾ニ対スル統治権ハ喪失サレタモノト解スル、依ッテ国民デハナイ、依ッテ之〔参政権の賦与〕ニ反対スル」(〔 〕内は水野による。以下同じ)。

 清瀬の発言に続いて今井健彦が「ソノ通リ」と述べ、「一同賛成」という形になった。その後にも、犬養健が「帰鮮希望者ヲ取調ベ之ニハ与ヘナイ方ガヨイ」と発言し、再び清瀬が「之ハ大問題ダ、政府側デヨク考慮スルガヨロシイ」と述べている(6)。内務省側がこれらの意見にどう答えたかは明かでないが、その後の経過を見ると、議会の反対意見に直ちに同調することはなかったようである。
 朝鮮人・台湾人の参政権保持に強硬に反対した清瀬一郎は、この頃(一〇月二三日以後)自らの名前で「内地在住の台湾人及朝鮮人の選挙権、被選挙権に就いて」と題する文書を作成している。清瀬は少なくとも二回、この文書を作成し、議会・政府関係者に配布したようである。現在見られる同題の文書は二種類あり、いずれも国立国会図書館憲政資料室に所蔵されているが、一つは「大野緑一郎文書」二三四七、もう一つは「西沢哲四郎文書」八八六(「選挙制度改正関係書類」)に含まれる。前者(「清瀬意見書A」とする)はガリ版刷り一枚、後者(「清瀬意見書B」とする)はガリ版刷り三枚である。いずれも日付はない。後者が七項目の理由をあげて朝鮮人・台湾人の選挙権・被選挙権に対する疑義を述べているのに対し、前者は二項目の理由をあげるだけである。その二項目も文章はまったく同じである。清瀬は最初、一〇月二六日の「懇談会」での発言趣旨に沿って朝鮮人・台湾人への参政権容認に異議を唱える文書(「清瀬意見書A」)を作ったが、それだけでは論拠が弱いと考えて、項目を付け足した二つ目の文書(「清瀬意見書B」)を作成したという推測が可能であろう(7)
 清瀬の意見書は、朝鮮人・台湾人の参政権停止に大きな影響を与えたと思われるので、ここでは「清瀬意見書B」によって清瀬の見解を少し詳しく見ておきたい。
清瀬はまず、「十月二十三日の閣議決定なりとして、新聞紙に発表せられたる所に依れば、政府は内地在住の朝鮮人及台湾人にも、その『在住』といふ一事実に依り、今次の総選挙に於ける選挙権、被選挙権を有せしむと在り。然れども右解釈には法理論上及政治の実際上重大なる疑義を存す。特に深重なる御留意を願いたし」と、政府当局に再考を促している。七項目にわたる「疑義」は次のようなものである。(1)から(5)までが法理論上の疑義、(6)(7)が政治上の疑義である(「 」内のみ引用、他は筆者による要約)。
 (1) 「台湾及朝鮮は本年九月二日の降伏文書の調印及同日の詔書に依り我国の主権を離れたるものにして、此の両地は同日以後、我国の領土にはあらざるなり。〔中略〕従て同文書に依り朝鮮人、台湾人は此の領土と共に我国籍を脱したるものといふべし」。
 (2) 九月二日以後に発表された連合国の文書もこれらの領土が日本の統治権から脱したことを示しており、中華民国が「台湾省」を設置した事実などからも明かである。
 (3) 降伏文書の調印ではなく講和条約の締結によって領土権の移動がなされるとする説もあるが、講和のための「会議の決定に依り台湾、朝鮮が日本領土を離脱するに非ず。此の会議の目的は日本の領土を離脱せる朝鮮、台湾等の處理方法を協定するに在るべし」。
 (4) 「選挙権、被選挙権を有するは帝国臣民たる事を第一の要件とす」るのであって、これは日本だけでなく「世界の通義」である。ただし、九月二日以前に日本に本籍を移した朝鮮人、台湾人は選挙権・被選挙権を、それ以後帰化した者は選挙権を有することは、法律に定められている。
 (5) 被選挙権には居住要件がない。「鮮台人中内地居住者」に限って被選挙権を認めるというのは、居住の事実と被選挙権を結び付けることになるが、その根拠は何か。政府の見解に従えば、かつて日本「内地」に居住した朝鮮人で、現在重慶や延安あるいは朝鮮本国にいる者にも被選挙権を認めなければならなくなるではないか。
 (6) 九月に出された緊急勅令で選挙人名簿の登載について居住期間の要件を廃止したが、これによれば、「内地居住の鮮台人」二百万人に選挙権を認めることになる。しかも彼らは都市および鉱山地区に集中しており、大選挙区制の下では「此等の者が力を合すれば最少十人位の当選者を獲ることは極めて容易なり。或いはそれ以上に及ぶやも知るべからず。我国に於ては従来民族の分裂なく、民族単位の選挙を行ひたる前例なし。今回此事を始めんとす。もし此の事が思想問題と結合すれば如何。その結果実に寒心に堪へざるものあらん。次の選挙に於て天皇制の廃絶を叫ぶ者は恐らくは国籍を朝鮮に有し内地に住所を有する候補者ならん」。
 (7) 朝鮮人、台湾人に選挙権を与えなければ、連合国司令部から「人種的差別」として反対されると考えている者がいるが、しかし、他方朝鮮、台湾を日本領土しておくとすれば、日本が両地にいまだ未練をもつものとして連合国の疑いを受けることも考えられる。血統によってではなく、「帝国臣民」であるかどうかで参政権を決めるのは差別ではないから、連合国との間に問題が起こることもない。

 清瀬は、文書の最後を「国家のため切に再思、三考を願ふて止まざるなり」と締めくくっている。
 (1)から(4)までの清瀬の主張は要するに、降伏文書の調印によって朝鮮・台湾は日本領土でなくなり、朝鮮人・台湾人も日本国籍を離脱したから彼らに選挙権・被選挙権を保持させるのは法理論上の疑義があるというものであった。
 注目しなければならないのは、政治上の疑義としてあげている(6)である。朝鮮人・台湾人(ここで清瀬が念頭においているのはいうまでもなく朝鮮人である)に選挙権・被選挙権を与えれば、多くの朝鮮人議員が生まれ、「民族の分裂」が生じるのみならず、天皇制に対する攻撃が強まる、という危惧の念を清瀬は強く表明しているのである。二百万人が参政権を持つことになるというのは、明らかに危機感を強調するための誇張である(8)。この部分は、清瀬が政治的見地ないし治安対策的観点から朝鮮人・台湾人の参政権保持に強く反対したことを示している。
 弁護士でもある清瀬一郎は、極東国際軍事裁判(東京裁判)で副弁護団長、東条英機の主任弁護人を務めたことで有名だが、戦前は普通選挙権論者として議会内左派に属する自由主義者と位置づけられる(9)。清瀬はまた、一九二一年から三四年までの台湾議会設置運動においてはほとんど常に議会設置請願の紹介議員を務めた。植民地にも帝国憲法にもとづく「法治制度の恩沢」が及ぼされるべきだ考えていたからだが、同じ紹介議員になった田川大吉郎が自治主義的植民政策に賛成する立場を明確にしているのに対して、清瀬は植民地住民の参政権がいかなる形態を取るべきかについては明確な発言をしていない、といわれる(10)。植民地の参政権に関わる問題では、一九四四年一二月に政府部内に設けられた朝鮮及台湾在住民政治処遇調査会(会長は首相小磯国昭)の委員になっており(衆議院議員一六人中の一人)、同調査会の答申にもとづいて衆議院に朝鮮・台湾から議員を選出するための衆議院議員選挙法改正案を審議した衆議院の委員会の委員でもあった(11)。これらの調査会、委員会で清瀬は特別重要な発言はしていないが、これらに関わることによって朝鮮人・台湾人の参政権問題をいっそう深く認識することになったであろう。
 また、清瀬は先に述べた東久迩内閣の下で設置された議会制度審議会では副総裁に任命されていることから見ても、選挙制度に関しては衆議院議員の中で専門家と目されていたことがわかる。このような経歴と地位を持つ清瀬であっただけに、その意見は選挙法改正案を作成していた内務省にとって無視できないものであった。朝鮮人・台湾人の日本国籍離脱に関する清瀬の見解は政府・内務省の受け入れるところとはならなかったが、(6)に示された政治的見地・治安対策的観点からの参政権保持反対論は次第に政府側に影響を及ぼしていくのである。
 

三 「戸籍条項」の追加

 一九四五年一〇月下旬から一一月上旬にかけて、内務省は選挙法改正に関わる残されていた問題(選挙運動およびその費用に関する問題、制限連記投票制、各選挙区の定数など)について骨子を立て、閣議の了解を得た上で、法律の条文を作成していった。第一次案が一一月二日、第二次案が五日、第三次案が七日に作成され、九日から一二日まで法制局の審査を受けた上で、一三日の閣議に「衆議院議員選挙法中改正案」が提出された。この閣議で決定された「改正要綱案」に「戸籍条項」が登場する。「戸籍法ノ適用ヲ受ケザル者ノ選挙権及被選挙権ヲ当分ノ内停止シ選挙人名簿ニ登録スルコトヲ得ザルモノトスルコト」(12)
 では、この「戸籍条項」はいつ、誰が、どのような理由から付け加えたのであろうか。
 まず時期の問題に関して、公文書館に保存されている資料から推測し得るのは、一一月一〇日から一三日の間である。一三日の閣議決定のために提出された文書(13)には、「別紙」として「内務省発地第一九七号 衆議院議員選挙法中改正ノ件」が添付されている。これは、内務大臣が閣議に提出するために作成した文書である。「右閣議ヲ請フ/昭和二十年十一月十日/内務大臣堀切善次郎」とあるので、一一月一〇日までに作成された法案、おそらく一一月七日の第三次案を浄書したものであろう。この案には、「戸籍条項」がなかったが、一三日の閣議に提出されるまでにいくつかの修正が施された。修正の一つが「戸籍条項」の追加である。文書をよく見ると、付則の部分にまず鉛筆書きで「戸籍法ノ適用ヲ受ケザル者ノ選挙権及被選挙権ハ当分ノ内之ヲ停止ス」「前項ノ者ハ選挙人名簿ニハ登録スルコトヲ得ザルモノトス」という条項が追加され、その上に付箋を貼り朱文字で同じ条項が書かれている。ただし、後者の条項は若干文言が改められて「・・・名簿ニ登録セラルルコトヲ得ズ」となっている。以上のことから、一一月一〇日に浄書された法案には「戸籍条項」がなかったが、一三日までに「戸籍条項」を追加することになり、その条文も一、二度修正が加えられた後に確定したと推測される。
 では、内務省第三次案になかった「戸籍条項」が追加されることになったのは、なぜだろうか。それを明らかにする資料は、国立国会図書館憲政資料室所蔵の「佐藤達夫文書」一二七四(「選挙法関係答弁資料」)の中に見い出せる。佐藤達夫は内閣法制局参事官で、後には日本国憲法の制定でも重要な役割をはたした法制官僚である。衆議院議院選挙法改正に関わるその文書類の中に、「朝鮮人、台湾人等ノ選挙権問題」と題する文書が含まれている。
 これはタイプされた四枚の文書で、表題の横に(昭和二〇、一一、五 條二)と記されいる。「條二」の意味は不明だが、一一月五日に作成された文書であることがわかる。この文書は、三項目にわたって朝鮮人・台湾人の参政権に関わる問題点を整理している。「一、朝鮮人・台湾人等ノ選挙権」は、それまでの選挙法で選挙権・被選挙権が認められていたことを確認しているだけである。「二、降伏文書署名後ノ朝鮮人、台湾人等ノ地位」では、ポツダム宣言受諾と降伏文書署名によって朝鮮・台湾が日本の領土でなくなることが明確にされたが、国際慣習によればその帰属は平和条約の締結によること、したがって朝鮮人・台湾人の国籍問題も平和条約によって最終的に決定されるので、現在においては「帝国ノ国籍ヲ有シ外国人タルノ身分ヲ有スルモノニアラ」ざることを述べた上で、次のように朝鮮人・台湾人の法的地位を規定している。

  斯ク言ヘバトテ朝鮮及台湾ノ如キ将来ノ帰属ノ明確ニセラレ居ル人民ヲ純然タル帝国臣民ト総テノ関係ニ於テ同一ニ取扱フベシト言フニ非ズ単ニ未ダ確定的ニ外国人タルノ地位ヲ取得シタルモノトシテ取扱フハ当ヲ失スト謂フ意ニシテ聯合国側ノ態度ニ徴スルモ之等人民ハ謂ハバ帝国臣民ト外国人トノ中間的地位ニ在ルモノトシテ取扱フコト最モ現実ノ事態ニ即応セルモノト認メラル。

 次いで「三、今次選挙ニ於ケル朝鮮人及台湾人ノ取扱」では、「前記一、及二、ヨリ綜合スルニ」として、次のように新たな論理を組み立てている。

 (1) 朝鮮人及台湾人ハ依然選挙法第五条ノ帝国臣民ニシテ選挙権及被選挙権ヲ適法ニ保有ス。
 (2) 然レドモ将来平和条約締結等ニ依リ朝鮮、台湾ノ地位ガ確定的ニ処理セラルルニ伴ヒ尠クトモ其ノ大部分ハ帝国臣民タルノ資格ヲ喪失スベキ運命ニアリ。
  以上(1)(2)ノ矛盾セル地位ハ平和条約締結迄ノ朝鮮人及台湾人ノ過渡的地位ヲ示スモノナレバ此ノ際左ノ如ク措置スルコト妥当ナリト認ム。
 (1) 朝鮮人及台湾人ノ選挙権及ヒ選挙権ハ法律上正当ニ存在シ居ルモノトノ建前ヲ執ルコト
 (2) 但シ右権利ノ行使ハ平和条約ニ依リ朝鮮人、台湾人ノ地位ガ確定セラルル迄停止スルコト(但シ法律ニ依ル改正ヲ要ス)。
  蓋シ選挙権被選挙権ハ国民タル固有ノ資格ニ基クモノニシテ何レノ国ト雖モ外国人ニ斯ル権利ヲ認メ居ラズ。然ルニ単ニ朝鮮人、台湾人ハ今尚帝国臣民タリトノ理由ニ依リ既ニ其ノ尠クトモ大部分ガ軈テ外国人トナルコト明カナル現在之ニ斯ル権利ノ行使ヲ認ムルコトハ形式論ニ流ルルト共ニ徒ニ選挙ノ混乱ヲ来シ参政権制度ノ本旨ニ顧ミ穏当ヲ欠クモノト云ハザルベカラズ。

 この文書が作成された目的は、朝鮮人・台湾人が依然「帝国臣民」として参政権を有していると解釈することと、にもかかわらず平和条約締結によって「大部分」が「帝国臣民タルノ資格ヲ喪失スベキ運命」にあることとの矛盾を解決するために、内務省の見解とは異なる新たな論理を作り出すことにあったと考えてよい。その論理は結局、「建前」としては参政権の保持を認めながら、現実には平和条約締結までその行使を「停止」するというものであった。文書ではその理由を、朝鮮人・台湾人の大部分がやがて外国人となることが明かであって、そのような者に「国民タル固有ノ権利」である参政権の行使を認めることは「形式論」であり、かつ「徒ニ選挙ノ混乱」をもたらすことになるという点に求めている。
 この文書は法制局によって作成されたものであろう。内務省側は、第三次案を作成した一一月七日まで朝鮮人・台湾人の参政権を容認する姿勢であったことは前述のとおりである。参政権停止を理由づける文書を五日付けで内務省が作成したとは考えられない。他方、内務省から提出される改正法案の審査を行う法制局は、審査開始前に問題点を検討していたと推測できる。その作業の一つとして、朝鮮人・台湾人の参政権問題にどう対処するか、法制局の見解をまとめたものとしてこの文書が作成されたと見るのが自然であろう。法制局参事官である佐藤達夫の所蔵文書に含まれていることもそれを裏付ける。
 一一月九日から一二日まで内務省作成の改正法案の審査を行なった法制局は、この文書で組み立てられた論理をもって内務省側を説得したであろう。こうして法制局の審査段階で内務省との協議の上に「戸籍条項」が生み出されたと考えられる。先に検討した一三日の閣議に提出された内務省作成の改正法案(内務省発地第一九七号)で「戸籍条項」を記した付箋には、「法制局」の小さな印で割り印がなされているのが見られるので、「戸籍条項」の追加に法制局が関わっていたことは疑いない。ただし、敗戦前の「内地籍」と「外地籍」の違いを利用して朝鮮人・台湾人の参政権を停止する「戸籍条項」を思いついたのが内務省官僚と法制局官僚のどちらだったかはわからない。
 「佐藤達夫文書」一二七四「選挙法関係答弁資料」には、朝鮮人・台湾人の参政権に関わるもう一つの文書が含まれている。「選挙法関係ノ重要問題」と題する手書きメモ(内閣用箋にペン書き二枚)である。その前半部分は次の通りである(後半は選挙区に関する問題である)。

  選挙法中改正案
 一、朝鮮人、台湾人ノ選挙権ニ関スル附則ノ規定
 (イ)貴族院令ヲモ改正スルニ非ザレバ権衡ヲ得ザルニ非ザルカ
 (ロ)又、地方制度ニ付テモ同様ノ問題アリ
 (ハ)朝鮮人、台湾人ノ兵役義務ハ尚経過的ニハ存続シ居レルモ之トノ関係モ一応考慮ヲ要ス
 二、本年十二月以降来年十二月迄ノ間ノ選挙ニ付テハ選挙権ヲ有セズシテ名簿ニ誤載セラレタル者投票ヲ為スモ之ヲ理由トシテ選挙訴訟及当選訴訟ヲ提起スルコトヲ得ザル旨ノ附則ノ規定
 清瀬氏ノ意見ヲ参考トセルモノノ如キモ相当重大ナル事項ナリ。

 このうち、一の「附則ノ規定」の横には「帝国臣民ニ非ズトセバ規定ノ要ナシ」と書き込みがあり、(イ)から(ハ)あたりの上部には、「均シク公選」「政治的考慮」という書き込みが見られる。
 内容から考えると、朝鮮人・台湾人の参政権を停止するとの付則を設けることが決まった後に作成されたものであろう。衆議院議員選挙法改正で参政権を停止したならば、ほかにどのような問題が検討されねばならないか、を法制局側が覚え書きとして記したものと思われる。(イ)(ロ)の貴族院令、地方制度(地方自治体)の改正は翌四六年に行われることになるが、それらでの朝鮮人・台湾人の参政権問題をすでに意識していたことがわかる。二の選挙訴訟・当選訴訟提起不可の付則は、すでに内務省第三次案に盛り込まれていたものである。この付則については、法制局側はまだ態度を決めていないことがうかがえるので、このメモは審査途中で作成されたものと見てよい。選挙訴訟などに関わるこの付則は、後に見るように、朝鮮人・台湾人などが選挙人名簿に誤載されて投票した場合を想定したものと解釈されて、改正法案に残ることになった。
 このメモで注目されるのは、「清瀬氏ノ意見ヲ参考トセルモノノ如キモ」と書かれた部分と「政治的考慮」という書き込み部分である。「清瀬氏ノ意見」とは、選挙訴訟などに関わる付則について、内務省が清瀬一郎の意見を参考したことを示すものであろうが、朝鮮人・台湾人の参政権保持の強く反対する清瀬の見解が内務省や法制局に一定の影響を与えていたことを推測させる部分である。さらに重要なのは、朝鮮人・台湾人の参政権問題に関する項目の上に「政治的考慮」と書き込みがあることである。誰が、何を意図して書き込みをしたのか明かでないが、参政権問題の論議に当たっては「政治的考慮」も必要であるという意味と考えて間違いなかろう(14)
 法制局官僚、さらには内務省官僚に、朝鮮人・台湾人の参政権問題を決定するに際しては「政治的考慮」も払わねばならないという考え方があったことがうかがえる。前述の文書「朝鮮人、台湾人等ノ選挙権問題」の末尾に、参政権の行使を認めることは「選挙ノ混乱」をもたらすものであるとする認識もそれに由来するのであろう。このように参政権問題を政治的あるいは治安対策的観点からとらえる内務省・法制局の姿勢には「清瀬意見書」(特に意見書B)が大きな影響を及ぼしたといえるのではないだろうか。
 以上、少し詳しく一一月一三日の閣議に提出されるまでの法案修正過程を検討した。まとめるなら、内務省作成の第三次案(最終案)までには「戸籍条項」が見られなかったが、法制局での審査過程で法制局側から新たに理論づけされた参政権停止論が示され、内務省もそれに同意することによって閣議提出直前に「戸籍条項」が付則に追加されたということになる。それは、法理論上の解釈によるというより、むしろ「政治的考慮」が払われた結果だったのである。
 ところで、一三日の閣議に参考資料として提出された「衆議院議員選挙制度改正関係資料」(ガリ版刷り)には、不思議なことが見られる。一〇月二三日に閣議決定された「改正要綱」もこの資料に含まれているが、ここでは実際に決定された第六項「内地在住ノ朝鮮人及台湾人ニ関スル事項」が抜け落ち、第六項は「其の他」の事項となってしまっているのである(15)。これは、閣議決定された「改正要綱」の改竄といわざるを得ない。
 衆議院議員選挙法の改正案作りを担当した内務省は、日本在住朝鮮人・台湾人の選挙権・被選挙権保持を認める方向で作業を進めていたが、議会と法制局からの反対に出会って結局この案を放棄することになった。いったん閣議決定までなされた事柄を二〇日余りでくつがえすのでは、内務省の面目が立たないと考えたであろう。内務省の「失態」が目につかないように、朝鮮人・台湾人の参政権問題について改めて閣議の了解を得るのではなく、改竄した「改正要綱」にもとづいて法案を作成したという形式を装うことによって、参政権停止を盛り込んだ改正法案を閣議にかけることにした、と推測できる。

四 改正法案の審議・成立

 閣議決定された衆議院議員選挙法中改正法案は、議会に提出される前に枢密院の審議を受けることになっていた。一一月一六日に枢密院に法案が送られ、一九日に第一回審査委員会が開かれた。堀切内務大臣は「戸籍条項」に関して次のように説明している。

  〔前略〕右選挙法ノ改正ニ関聯シ臨時特別ノ措置トシテ二、三特殊ノ事項ヲ附則ヲ以テ規定スルコトトセリ
  其ノ一ハ戸籍法ノ適用ヲ受ケザル者ノ選挙権及被選挙権ヲ当分ノ内停止セントスポツダム宣言ノ受諾ニ依リ朝鮮及台湾ハ早晩帝国ノ領土ヨリ離脱シ其ノ結果朝鮮人及台湾人ハ原則トシテ帝国ノ国籍ヲ喪失スベキモノナルヲ以テ此等ノ者ヲシテ依然選挙ニ参与セシムルコトハ適当トハ認メラレズ仍テ選挙権及被選挙権ハ之ヲ享有スルモ其ノ国籍ガ国際法上確定スル迄当分ノ内之ヲ停止セントスルモノナリ〔下略〕(16)

 日本国籍を保持している朝鮮人・台湾人は、選挙権・被選挙権を有するが、近い将来国籍を離脱することになるので、選挙に関与させるのは適当でないので、「当分ノ内」「停止」することにした、というのが説明の趣旨である。前述の法制局作成と見られる文書の論理に沿った説明である。
 これについて質問をしたのは、潮恵之輔顧問官(もと内務大臣)だけである。

  朝鮮人及台湾人ニ対シ曩ニ選挙権ヲ賦與シ乍ラ事態ノ変化ニ伴ヒ当分ノ中之ヲ停止スルモノト為スハ鮮台人ヲ納得セシメ難ク之ヲ契機トシテ諸般ノ好マシカラザル行動ニ出デシムルノ懸念アリ。

 これに対し、堀切内務大臣は「別途之ヲ公表スルヲ可トスルモ外地在住ノ邦人ニ対スル報復ヲ念慮シ適当ナル機会ニ於テ為サントスル旨」答弁したと記録されている(17)。半年前に朝鮮人・台湾人に参政権を賦与したばかりであるのに、敗戦を迎えたからといってそれを「停止」するのでは彼らの納得を得られず、不穏行動に出る恐れがあるのではないか、というのが潮の質問であり、内務大臣は「外地在住ノ邦人」への報復も考えられるので、「適当ナル機会」に「別途之ヲ公表スル」のがよい、と答えているのである。
 以上は、国立公文書館に保存されている『枢密院委員会録』に記録されている質疑応答であるが、この公式記録とは別に、法制局の佐藤達夫が書き残したメモが存在する。それには、潮の質問、堀切と楢橋法制局長官の答弁は次のように記されている。(18)

  潮「鮮台人ノ問題、先日ノ閣決〔閣議決定〕デハ選挙権アルコトニナッテヰタ、之ヲ見セテオイテ、法律デ停止ト云フノハ如何、外地人ニ対スル口実ヲ与ヘ、投票所デ紛争ヲ起シハセヌカ、報復サレヌカ、炭坑、仲仕ニ影響ヲ与ヘヌカ」
  内務大臣「心配シテヰル、何カノ機会ニ公表シタイト考ヘテヰル、台湾人ハ反ッテ、与ヘテ貰ハヌ方ガ本国ニ対スル関係カライゝト云フ考ヘガアルラシイ、朝鮮人ニ付テモ此ノ如キ考ヘ方ガナイデハナイ様ニ思ハレル」
  長官「関西ニ行ッタ際ノ台湾人ノ話、総理ニ対スル要求ノ一ツニ、選挙権ヲトッテ呉レト云フコトガアッタ、朝鮮人ニ対スル影響ハ懸念サレル、貴族院ノ方ニ付テモ心配ガアル」

 このメモによれば、潮は、閣議決定と異なる改正法案が明らかになれば、朝鮮人、特に炭鉱などで働く労働者に「紛争」「報復」の「口実」を与えることにならないか、との懸念を示した。これに対して堀切は、その「心配」があり、「何カノ機会」をとらえて朝鮮人・台湾人の参政権停止を公表したいとしつつ、台湾人と同じように参政権を必要ないと考える朝鮮人もいるようだ、と述べて紛争発生の可能性をなるべく小さく考えたいという気持ちを表わしている。楢橋法制局長官も、台湾人は参政権を不必要と考えている、としながら、朝鮮人が問題を起こすことを懸念し、さらに貴族院における朝鮮人議員の問題にも影響が出ることを心配している。
 以上のように、枢密院での潮の質問、堀切内務大臣・楢橋法制局長官の答弁には参政権停止によって朝鮮人が「紛争」を起こしたり、日本人に対する「報復」を行ったりすることに対する不安が表明されていたのである。いずれも朝鮮人を治安対策の対象として見る思考が強く表われている。改正法案の公表時期も、そのような観点から考えられていたことがわかる。
 実は、改正法案は枢密院での審査に付された段階では一般に公表されておらず、新聞などからも当局の秘密主義が非難されていた。政府の正式発表のないまま、一一月二二日から二三日にかけて各新聞が法案を報道したというのが実情であった。二五日の『朝日新聞』社説「選挙法改正の眼目」は、「選挙法改正の政府原案は、政府の発表を待たずして国民の前に明らかにされた。政府の怠慢が攻撃されることは当然である」と批判した。
 このような事情であったから、政府当局が朝鮮人・台湾人の参政権停止について「適当ナル機会」を見計らって発表することを考慮していたことは充分推測できる。改正法案発表の遅れの主な原因が朝鮮人・台湾人の参政権停止に関わるかどうかは不明だが、その可能性を否定することはできない。
 法案が明らかになった時、朝鮮人・台湾人の参政権停止条項が盛り込まれていることは、一般の注目をほとんど引かなかったようである。記事見出しにこのことを記しているのは、知り得る限り『西日本新聞』一一月二三日付だけである。同紙は「選挙法改正案の全貌/廿八日衆議院へ提出/投票区を増設」の大きな見出しの横に「鮮台人の選挙権停止」という小さな見出しを付けたうえで、閣議決定が変更されたことについて次のように解説している。

  「先般の閣議では朝鮮人、台湾人の選挙権につき当分現行通りとする旨決定したが、今回これを改め戸籍法の適用を受けざる者すなはち朝鮮人、台湾人はやがて日本国籍を離脱することが明白であるが、これは条約締結まで正式には実現されない、よって現在彼らは選挙権を有してゐるが一時これを停止するとの措置を執る(付則)」。

 他の新聞でも「戸籍条項」は報じられているが、参政権を認めるとしていた当初の閣議決定が変更されたことを述べているのは、『西日本新聞』のほかに見当たらない。しかしこの記事も政府の見解をそのまま伝えるに過ぎないものであった。
 一一月二七日、改正法案は枢密院会議で決議され、即日、第八九回帝国議会衆議院に提出された。一二月一日の本会議で堀切内務大臣の提案理由説明がなされた後、三日の本会議で質疑が行われた。同日、法案を審議する委員会が構成され、四五名の委員が選出された。翌日の委員会で委員長に選ばれたのは清瀬一郎であった。
 本会議および委員会で堀切内務大臣が行った提案理由説明(19)は、終戦後最初に行われる総選挙では「真に国民のありの侭の総意を遺憾なく反映、発揮せしめまして、純正健全なる新議会を一日もすみやかに形成いたしますことが、現下国政運営の根本眼目である」とし、「自由公正闊達なる選挙」を行うために選挙法の改正が必要であるとした。その骨子は、「第一、選挙権及び被選挙権の拡張、第二、大選挙区制及びこれにともなう制限連記投票制の採用、第三、選挙運動取締規定の徹底的簡素化」であるとして、その内容を説明している。そして、「臨時特別の措置といたしまして、二、三特殊の問題を同法案の付則で規定いたしておるのでございます」と述べたうえで、その第一として「戸籍条項」を説明している。内容的には枢密院での説明と同じなので、省略する。
 「特殊の問題」の第二は、選挙訴訟の提起を一定期間認めないという付則に関わることである。昭和二十年(一九四五年)一二月二十日から一年の間に行われる選挙については、「選挙人名簿ニ登録セラルルコトヲ得ザル者選挙人名簿ニ誤載セラレ投票ヲ為スモ之ヲ理由トシテ」選挙無効・当選無効などの訴訟を提起することができない、と付則で定めたのは、「刑余者、禁治産者などのごとく選挙権を有せざる者並びに朝鮮人及び台湾人のごとく選挙権を停止されたる者」が選挙人名簿に登載され投票した場合を想定してのことであると説明された(この部分は委員会での説明だけにある)。
 委員会の審議で「戸籍条項」の問題に触れたのは、清瀬と同じ日本進歩党に所属する一松定吉議員だけであった。五日の委員会で一松は、「戸籍条項」によって参政権を停止することに理解を示しつつ、朝鮮人・台湾人の日本国籍取得について特別の措置が必要ではないか、と次のように政府の見解を質している。

  〔前略〕いったい台湾の人であらうと朝鮮の人であらうと八月一五日以前はもちろん日本の国民である。今日に於ても日本の国民である。〔中略〕其の日本の国民がどうなるかと云うことは、何れ色色な條約に依って決まるのでありませうが、或る者は私はもう日本に参りまして数十年になります、出来た子供も沢山居ります、教育も日本で受けました、家内も日本で貰って居ります。それで仮に是が独立しても帰ることは致しませぬ、日本に長らく御世話になる積りでありますと云うような希望を持って居る者も沢山ある、斯う云う者に対して、何故之を日本国民として立派に活動の出来るような手を打たないのであるかと云うことを伺って見たい、〔中略〕斯う云うような終戦になりまして、色色彼等の国籍を明らかにしなければならぬような時には、何等かの手を打って、彼等の迷いを醒ましてやる必要がある、〔中略〕内地に永久に居ると云う者に付いては、特別の法律に依ってそれ等の手続を執るようにしたらどうか、帰化は出来ますまい、日本人ですから、日本に帰化すると云う訳には行きますまいが、何等かの特別の法律を設けて、彼等が安定出来るような方法を執ることが、最も彼等を安定せしめる好い方法だと考えますが、これに対して政府はどう云う御考えを持っていらっしゃるか、それを伺って見たいのであります。

 旧植民地出身者に日本国籍を取得させる特別立法を検討せよ、というのが一松の主張であるが、朝鮮人・台湾人に対する差別・抑圧への反省も、植民地支配を清算するという視点もなく、温情主義的に旧植民地出身者を扱えと言っているに過ぎないが、これが「戸籍条項」に関わる唯一の質問であったことの方が、むしろ重要であろう。
 一松の質問に対して堀切内務大臣は、朝鮮人・台湾人の国籍についてはポツダム宣言の受諾によって日本国籍がなくなったという説があることを認めたうえで、講和条約の締結まで日本国籍を維持するというのが政府の見解であると説明し、さらに講和条約締結時における国籍選択の問題について次のように述べている。

  是迄の例に依りますれば、そう云う際に内地に在留して居ります朝鮮人、台湾人に対しましては、日本の国籍を選択し得ると云うことが是までの例のようであります。今度も恐らくそう云うことになるではなからうかと考えます、何れ国籍を失いますが、日本の国籍を其の時に選択し得ると云うことになると考えるのであります。

 このように国籍選択方式をとる可能性を強く示唆しながら(20)、堀切は講和条約締結までの期間、朝鮮人・台湾人に選挙権・被選挙権を認めることはできないとする。

  日本国民であります以上、選挙権、被選挙権は持って居るが、今の不安定の状態の間、此の行使を停止して置くと云うことが、最も妥当だと考えまして、そう云う処置を執った次第であります。其の際に日本の国籍を選択するであらう朝鮮人及び台湾人に対しまして、何か手を打つ方法がないかと云う御話なのでありますが、どうもやはり名案を考えられませぬで、斯う云うように致した次第でございます。

 この一松と堀切のやりとりの間、委員長席に座る清瀬一郎は、何の発言もしていない。降伏文書調印の時点で朝鮮人・台湾人は日本国籍を喪失したとする自らの見解とは異なる答弁を堀切がしたことに対しても、反応していない。委員長だから自らの意見を述べるのを控えたと思われるが、「戸籍条項」によって朝鮮人・台湾人の参政権を停止するという政府案で清瀬が納得していたことがうかがえる。
 衆議院議員選挙法中改正法案は、一一日に委員会および本会議で可決され、貴族院に送られたが、貴族院の委員会、本会議では「戸籍条項」に関わる議論は見られない。一二月一四日貴族院本会議で議決、一部修正案が再度衆議院に回付され、一五日同意を得た後、一七日に法律第四二号として公布された。
 

五 選挙人名簿からの排除

 公布から二日後の一二月一九日、内務次官は全国の知事あてに「衆議院議員選挙法中改正法律並ニ同法関係法令ノ施行ニ関スル件通牒」(内務省発地第二四二号)を発して、選挙事務に関わる事項を指示した。このうち「選挙権及被選挙権ニ関スル事項」では次のように指示している。

  3.戸籍法ノ適用ヲ受ケザル者即チ朝鮮人、台湾人及樺太土人(アイヌ人ヲ除ク)ハ選挙権及被選挙権ハ之ヲ有スルモ当分ノ内停止セラレタルヲ以テ投票ヲ為スコトヲ得ズ
   又当選人タルコトヲ得ザルコト(法附則第五項)
   右ノ者既ニ選挙人名簿ニ登録セラレタルトキハ付箋等ニ依リ適宜之ヲ整理シ投票ヲ為サシメザルヤウ留意シ又今後調製スベキ選挙人名簿ニ之ヲ登録セザルコト(法附則第六項)(21)

 ここで注目されるのは、それまで「戸籍法ノ適用ヲ受ケザル者」とは、朝鮮人・台湾人のこととされてきたのが、アイヌを除く樺太先住民(ウィルタ、ニヴヒなどの民族)も含むとしていることである(22)。敗戦後の日本「内地」に住む樺太先住民がどの程度の数だったかわからないが、朝鮮人・台湾人に比べればごく僅かであったと思われる。そのため改正法案の作成・審議の際には無視されてきたが、戸籍法の適用を受けない点では朝鮮人・台湾人と同じ法律的地位にある者として、選挙権・被選挙権が停止されることを明確にしたのである。
 もう一つ注目されるのは、すでに調製されている選挙人名簿に朝鮮人・台湾人などが登録されている場合は、「付箋等ニ依リ適宜之ヲ整理シ投票ヲ為サシメザルヤウ留意」することを指示している点である。すでに敗戦直後の一九四五年九月一五日の時点で、それまでの衆議院議員選挙法にもとづいて選挙人名簿が調製されていた。さらに一一月一日現在で勅令第七〇八号「衆議院議員選挙人名簿特例」によって調製された名簿もあった。これらには日本在住の朝鮮人・台湾人も登録されていた。内務次官通牒は、これらの名簿ついては、朝鮮人・台湾人の部分に付箋を貼るという措置をとって投票を行なわせないように注意を払うことを、各府県に指示したのである。
 通牒を受けた各府県では、その旨を選挙事務担当者に徹底させた。佐賀県の『衆議院議員選挙事務要項』では、九月一五日現在で調製された名簿に関して、選挙人名簿ノ正否ハ選挙権ノ行使ニ至大ナル関係アリ従ッテ選挙ノ効力ニ影響スル処大ナルモノアルヲ以テ左記該当者ニ対シテハ事務規程第四條ニ依ル付箋ヲ貼付シ無資格者ヲシテ投票セシムルガ如キコトナキ様注意ノコト」として、年齢不足などの「誤載者」などとともに「戸籍条項」該当者をあげ、次のように特に注意を促している。

  朝鮮人、台湾人等ニ関シテハ既ニ定時名簿〔九月一五日調製の名簿〕ニ登録シタル筈ナルモ昭和二十年十二月十七日選挙法ノ改正ニ依リ之等ノ者ノ選挙権ノ行使ヲ停止セラレタルヲ以テ付箋ヲ貼付シ投票ヲ為サシメザル様措置スルコト(23)

 このように日本在住朝鮮人・台湾人を注意深く排除した選挙人名簿にもとづいて、一九四六年四月一〇日、敗戦後最初の衆議院議員選挙が実施されることになったのである。
 

おわりに

 本稿は、敗戦直後の衆議院議員選挙法改正の際に、日本在住の朝鮮人・台湾人の参政権を「停止」する「戸籍条項」が盛り込まれた経緯を、いくつかの資料の分析を通じて検討した。特に、当初閣議で決定された「改正要綱」で朝鮮人・台湾人は参政権を保持することとされていたのが、二〇日余りで「停止」へと反転した経過を詳しく分析した。旧植民地出身者、特に朝鮮人の参政権問題が法理論上の問題としてだけではなく、むしろそれ以上に政治的・治安対策的問題としてとらえられた結果、参政権停止が決められたことを確認することができる。清瀬一郎に代表される議会、そして法制局・内務省、枢密院などにおいては治安対策の対象としての在日朝鮮人の姿が大きく映っていたのである。
 選挙法改正法案が作成され、議会で審議されていた頃は、朝鮮人に対する恐怖感が日本人をとらえていた時期でもあった。北海道や常磐の炭鉱における朝鮮人・中国人労働者の争議が「暴動」として新聞に報じられ、また朝鮮半島北部に残留する日本人に対する「迫害」が伝えられつつあった。衆議院議員選挙法改正法案を審議した議会では、開会劈頭の代表質問から朝鮮人・中国人労働者の「乱暴狼籍」「暴行危害」問題が取り上げられ、政府側は「華人、鮮人ノ事件ニ付キマシテ各地方ニ甚ダ不祥ナ事件ノ勃発ヲ見マシタ事ハ洵ニ遺憾至極ニ堪ヘマセヌ」(24)と答えるという場面が何度も見られた。在外日本人の問題も会期中にしばしば論じられ、満洲や朝鮮北部に残る日本人が「暴行、略奪、強姦等、聞クモ恐シキ目ニ遭ハサレ、奴隷ニモ劣ル取扱ヒヲ受ケ」ていることが強調された(25)。このような認識にもとづいて衆議院で「在外同胞救援ニ関スル決議案」が採択された(その後の議会・国会でも同様の決議案が採択されている)。
 朝鮮人に対する恐怖感にもとづく治安対策的発想だけが参政権停止の理由とはいえないとしても、法的解釈をこえて参政権停止を決定するにいたった大きな要因であったことは間違いない。内務省が自ら立案した改正案を貫くことができなかったのも、そのような発想によるところが大きかったといえよう。
 ところで、日本政府・議会による参政権停止の決定に対して、在日朝鮮人の側ではどのような反応が見られたのか。それを示す一つの資料を紹介しておきたい。
 選挙法改正案が議会で審議されていた一二月一日から三日まで、日本共産党は第四回党大会を開いて党を再建した。この大会で中央委員に選出された金天海は、朝鮮情勢、在日朝鮮人運動の情勢に関して行なった報告の中で、衆議院議員選挙法改正の問題に触れて、次のように述べている(26)

  選挙問題
  最後に選挙の問題であるが、日本政府は前には要求もしないのにわれわれにも選挙権被選挙権を賦與してやるといった、然るに彼等は前言を裏切る案をたてゝゐる、その理由は朝鮮人が日本共産党を支持投票すると困るからといふにある、日本の国籍を有するものには與えるがさうでないものには與へないといふので党の方からも抗議をしてゐる、民族主義者は、朝鮮が独立した現在われわれ朝鮮人には選挙権、被選挙権はいらないといってゐるが、それは非常な間違ひであって、われわれは選挙権被選挙権を要求し、これを天皇制打倒と人民共和政府の樹立のために行使しなければならない。

 金は、日本政府が朝鮮人に参政権を与えない理由として朝鮮人が日本共産党を支持していることをあげているが、共産党を支持するかどうかは別として朝鮮人の左翼化に対する政府・議会の恐怖が参政権停止の要因になったことはすでに述べたとおりである。金は「党の方からも抗議してゐる」としているが、日本共産党が朝鮮人・台湾人の参政権停止について政府に抗議をしたことを示す資料は見当たらない。
 金の報告で注目されるのは、「民族主義者」が選挙権、被選挙権はいらないと主張している点である。金が「民族主義者」と呼んでいるのは、日本共産党と密接な関係にある在日本朝鮮人連盟(朝連)に対立する右派の朝鮮人によって結成された朝鮮建国促進青年同盟(一一月一六日正式結成)や翌年一月二〇日に新朝鮮建設同盟を結成するにいたる朴烈らのグループのことであるが、これらのグループは一九四五年末の段階から参政権を要求することに反対していたのである。
 これに対して金天海に代表される日本共産党に加入した朝鮮人グループは、「天皇制打倒と人民共和政府の樹立」のために参政権を要求しなければならない、とするのである。以後、朝連を中心とする在日朝鮮人運動にとって参政権の要求が一つの課題になる。
 金の演説は、改正選挙法が議会で成立するまでに、参政権の停止に異議を唱えた唯一のものとして重要である。しかし、日本共産党自体が当時は選挙・議会を軽視する傾向にあったため、停止に反対する運動は展開されずに終わった。
 一方、日本を占領した米軍・GHQの側も衆議院議員選挙法の改正についてはほとんど口を差しはさまなかったといわれる。「改正作業は、全過程を通じてGHQの介入がほとんどなかったという点で、戦後改革上の希有の例といっていい」(27)
 結局、政府・議会・枢密院など旧来の支配層内部で議論がなされただけで、衆議院議員選挙法の改正がすすめられることになったのである。このような形で朝鮮人・台湾人の参政権が停止されたことは、参政権問題にとどまらず戦後在日朝鮮人の基本的人権に大きな影を落とすものとなった。一九四五年一一月上旬の数日の間に参政権に関して確定された政府の見解・論理が、占領期の在日朝鮮人の法的地位を決定づけた。その後に制定あるいは改正される参議院議員選挙法や地方自治体の選挙法で衆議院議員選挙法と同様に選挙権・被選挙権が「停止」されることになったのはいうまでもないが、それにとどまらず「戸籍条項」はさまざまな権利から在日朝鮮人・台湾人を排除する論拠、道具として使われることになり、サンフランシスコ講話条約発効の後には「国籍条項」へと引き継がれていくのである。
 




(1) 例えば、杣正夫「選挙制度の改革」東京大学社会科学研究所編『戦後改革 3政治過程』東京大学出版会、一九七四年。また、改正の経過を詳しく記したものとして、自治大学校編『戦後自治史W(衆議院議員選挙法の改正)』同校、一九六一年、がある。本稿のうち衆議院議員選挙法改正の経過に関する部分は、特に注記しない場合は、後者にもとづくものである。

 (2) 松本邦彦「在日朝鮮人の日本国籍剥奪ー日本政府による平和条約対策研究の検討ー」『法学』(東北大学法学会)第五二巻第四号、一九八八年一〇月、一一四頁、が、当初の改正要綱での参政権の維持から「停止」に変更されたことを指摘しているが、その理由は不明であるとして、それ以上の検討を加えていない。李英和『在日韓国・朝鮮人と参政権』明石書店、一九九三年、二一頁も、「どのような経緯で短期間に一変したのかは定かでない」としている。

 (3) 前掲『戦後自治史W』九頁。

 (4) 国立国会図書館憲政資料室所蔵「西沢哲四郎文書」八八六「選挙制度改正関係書類」に含まれるメモによる。西沢は衆議院の調査部第四課長、委員課長などを務めた。

 (5) 前掲『戦後自治史W』一三頁。

 (6) 前掲、西沢文書のメモによる。

 (7) 前述のように、筆者が松田利彦氏に提供したのは、「清瀬意見書A」であったので、松田氏の著書では清瀬が朝鮮人・台湾人の参政権に反対する理由としてあげる(1)と(2)しか紹介されていない。

 (8) 敗戦当時、日本「内地」にいた朝鮮人の正確な数は不明だが、二百万人前後と考えられている。しかし、敗戦直後から多くの朝鮮人が帰国し始めていたこと、二百万という数字には二〇歳未満の者まで含めていることなど、清瀬があげる数字が過大であることは明かである。

 (9) 清瀬については、丸山睦男「清瀬一郎論」思想の科学研究会編『共同研究日本占領軍』(下)徳間書店、一九七八年、参照。

 (10)若林正丈「台湾議会設置請願運動」岩波講座『近代日本と植民地』第六巻、一九九三年、参照。

 (11)国立公文書館所蔵内閣官房総務課資料『朝鮮及び台湾在住民政治処遇調査会』第一巻、および『第八六回帝国議会衆議院 衆議院議員選挙法中改正法律案委員会議録』第一回、一九四五年三月一八日、一頁。

 (12)前掲『戦後自治史W』一九頁。松田利彦、前掲書、一二一頁、は、内務省の第一次案の段階から「戸籍条項」が盛り込まれていたようである、としているが、誤りである。自治大学校史料編集室編『昭和二〇年一二月法律第四二号衆議院議員選挙法中改正法律制定関係参考資料』一九五九年、所収の付録2「改正法律案諸案(当初案より確定案に至るまでの各案及び両案の修正案)における主要内容一覧表」によれば、当初案(第一次案)から第三次案までには「戸籍条項」は見られない。ただし、この一覧表では、一一月一三日の閣議決定案が省略されており、枢密院の審議を経た後の「確定案」(一一月二八日)に「戸籍条項」がはじめて登場したことになっているが、事実に反する。

 (13)『公文類集』第六九編 巻四 政綱門四 帝国議会三 法律四二「衆議院議員選挙法中ヲ改正ス」。

 (14)なお、「均シク公選」という書き込みは、帝国憲法に関わってのものと思われる。参政権の停止が、「日本臣民」は「均シク」公務に就く権利を有し(第一九条)、衆議院議員は「公選」される(第三五条)とする憲法の趣旨に反するものではないかとの疑義が出ることを予想してメモしておいたものである。これに関しては、同じ「佐藤達夫文書」の「選挙法関係答弁資料」にその想定問答が見られる。この想定問答には、参政権停止の理由を前述の文書「朝鮮人及台湾人等ノ選挙権問題」と同じ論理で説明する答弁も記されている。

 (15)『公文類集』第六九編 巻四 政綱門四 帝国議会三 法律四二「衆議院議員選挙法中ヲ改正ス」。ちなみに、前掲『昭和二〇年一二月法律第四二号衆議院議員選挙法中改正法律制定関係参考資料』に収められている「改正要綱」も、「一〇・二三閣議決定」とされてはいるが、朝鮮人・台湾人の選挙権・被選挙権に関わる本来の第六項が削除されたものである。一一月一三日に閣議に提出された「参考資料」にもとづくのであろう。また、大霞会内務省史編集委員会編『内務省史』第一巻、大霞会、一九七一年、五二八頁は、「連日閣議で改正方針を決定し、十月二十三日に「衆議院議員選挙制度改正要綱」が閣議決定となり、第八九回臨時議会に提出されて両院を通過し、十二月十七日をもって公布をみた」としているが、これも改正要綱第六項「内地在住ノ朝鮮人及台湾人ニ関スル事項」の問題を無視した記述である。

 (16)公文書館所蔵、枢密院決議 2A/16ー1。

 (17)公文書館所蔵、枢密院委員会録 2A/15ー7。

 (18) 国立国会図書館憲政資料室所蔵「佐藤達夫文書」一二七四「選挙法関係答弁資料」中のメモ。

 (19)以下は、全国選挙管理委員会『選挙制度国会審議録(第一輯)』一九五一年、六八ー六九頁、による。

 (20)この頃、日本政府が講和条約締結の時点で旧植民地出身者に国籍選択を認める方法を一案として考えていたことは、すでに田中宏氏(『在日外国人』岩波新書、一九九一年)、松本邦彦氏(前掲論文)などが指摘しているが、選挙法改正作業を担当した内務省事務官小林與三次が、「若し其の際〔講和条約締結の際〕所謂選択条項の適用に依り日本の国籍を保有する者が多少出て来るとすれば、恐らくは戸籍の問題も同時に解決すべきであって、当然戸籍法を適用せしめ身分法上も名実共に日本人として同一の処遇を為すべきものと思ふ」(『改正衆議院議員選挙法解説』全国町村会、一九四六年三月、五九頁)と書いていることからも、それは裏付けられる。

 (21)佐賀県地方課『衆議院議員選挙事務要項』一九四六年一月、八五頁。

 (22)アイヌが除外されているのは、樺太アイヌは一九三三年に北海道アイヌと同じく「内地人」として扱われるようになったからである。高木博志「アイヌ民族への同化政策の成立」歴史学研究会編『国民国家を問う』青木書店、一九九四年、一七八ー一八〇頁、参照。ただし、高木論文は、樺太アイヌに「日本国籍が付与」されたとしているが、法的地位が「外地籍」から「内地籍」に変更されたと解するのが正確であろう。

 (23)前掲『衆議院議員選挙事務要項』五頁。

 (24)一九四五年一一月二八日衆議院本会議での堀切内務大臣答弁、『帝国議会衆議院議事速記録』八一、一九ー二〇頁。

 (25)一一月二九日衆議院本会議での福家俊一議員質問、同前、四一頁。

 (26)『赤旗』再刊第一〇号、一九四六年一月八日、「挑発に乗ぜられず/ファッショ的傾向と闘へ/第四回党大会 同志金天海の報告」。

 (27)石川真澄『戦後政治史』岩波新書、一九九五年、二五頁。

 
(付記)資料収集に当たっては、国立公文書館、国立国会図書館憲政資料室のほか、地方自治研究資料センターのお世話になった。また、『西日本新聞』の記事は松田利彦氏より提供を受けた。謝意を表したい。


続編「在日朝鮮人台湾人参政権「停止」条項の成立(続)―在日朝鮮人参政権問題の歴史的検討(2)―」を読む


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