毛沢東に関する人文学的研究

石川 禎浩

毛沢東に関する人文学的研究
若き日の毛沢東を描いた1967年の油絵「毛主席去安源」。毛がなぜ傘を持っているのかを解明するのにも、人文学的な手法は欠かせない。

1976年のその死の後、とりわけ“改革・開放”政策によって、中国が目覚ましい経済発展を遂げて以降、革命家“毛沢東”の存在は、驚くほどのスピードで風化し、その姿は皮肉にも、かれが敵視したはずの市場経済において、商品として流通し、消費されているありさまである。しかしながら、中国では、今もかれの遺産とも言うべき社会主義的な文化様式やイデオロギーがなお根強く残存している。現にそれらは、一般民衆の思考様式に影響を与え、貧富の格差を抱えつつ、なお経済発展を優先する体制にたいする異議申し立てのアイコンとなっている。他方で、中国共産党の幹部たちにとっては、その晩年の過ちを差し引いても、毛沢東は今も政治指導者たる者の師表(ロールモデル)であり続け、それゆえ中国共産党史や現代史の歴史記述を強く規定していることに変わりはない。

中国史上最大の巨人と言っても過言でない毛沢東に関しては、誹謗・中傷から称賛・崇拝にいたるまで、これまで膨大な言説が積み重ねられてきた。伝記も年譜も著作集も出ており、もはや研究・評価されつくされたかに見えるが、実はその半生には、なお解明を待つ人文学的課題が山積している。人文研では、かつて1970-80年代に故竹内實教授が主宰した共同研究班で毛沢東が取りあげられたことがあるが、資料状況が劇的に改善された今日、往事の研究を乗り越えることは大いに可能である。本共同研究班は、毛沢東という巨人が持っていた政治家・革命家としての側面だけでなく、読書家、詩人、書家といった文人的側面や水泳・ダンスの愛好者といった運動人の側面、あるいは毛沢東に関する情報が如何にして形成・共有されたのかといったイメージ生成の側面に対しても、歴史学、文学、芸術学など人文学的見地を総動員して、新知見を産み出すことを目指す。

班員
岩井茂樹、村上衛、武上真理子、森川裕貫