帝国日本の「財界」形成についての研究:1895年-1945年

班長 籠谷 直人

19 世紀後半の日本において、政治形態は徳川幕府から明治政府へと移行する。そして、経済的本質としては資本主義とそれを支える政権が登場する。あわせて国民を統合する「主権国家」が、1899年の明治憲法体制によってつくられた。こうした近代日本の形成と拡張にたいして列強先進国は強く警戒する。実際に日本は、日清戦争(1894-95年)と日露戦争(1904-05年)によって、台湾と朝鮮を統合し、「帝国日本」へと変質する。この共同研究では、「帝国」の経済的基盤となる、「財界」の求心的性格を議論したい。

明治政府の形成は、近世日本の「薩摩」と「長州」の連合体によって主導された。長州では伊藤博文、山県有朋などが代表的である。西郷隆盛や大久保利通を失った薩摩にあっては、松方正義などの活動が注目される。なかでも経済政策においては、松方正義の施策の貢献が大きい。財政難という問題をかかえた新政府において、松方の多様な政策は、三井や三菱といった「財閥」の成長をうながし、日本に「財界」をつくりあげる経済的背景となる。この共同研究の目的は、「政界」概念とならんで表現されるようになる「財界」をとりあげて、その実態を定義し、あわせて「財界」と「政界」との均衡的関係を解明することにある。権力の支援をうけて誕生する「財界」には政府とのバーティカルな関係がみられるが、地域ごとには資産家のネットワークの伸張というホリゾンタルな関係も有していた。

この共同研究では、『日本全国諸会社役員録』、『商工資産信用録』によってマクロの視点から財界を定義する。そしてミクロの視点としては、実業家の残した『当用日記』(博文館)などの第一次史料を使いたい。第一次史料文書として、「堤林数衛(ジャワ)」、「三好徳三郎(台北)」、「三輪常次郎(名古屋)」の記録類を用意している。

班員
岩井茂樹・村上 衛