南アジア北辺地域における文化交流の諸相

班長 稲葉 穣

南アジア北辺地域における文化交流の諸相
アフガニスタン北中部の小村タンゲ・サフェーダクで発見されたバクトリア語仏教寺院建立碑文(715年)。アフガニスタン地域における仏教の最後期の様相を示すとともに、稀少なバクトリア語言語資料としても重要。2005年龍谷大学学術調査隊撮影

現在のインド亜大陸と中央アジア、西アジアの間には、ヒマラヤ、カラコルム、ヒンドゥークシュなど、「世界の屋根」とも呼ばれる険しい山岳地帯がそびえ立っている。「南アジア北辺地域」というあまり聞き慣れない言葉は、これらの自然の障壁を南北に挟んだ地帯を指して用いている。歴史上、このような山岳地帯を越えて人やモノが相互に交流し、多様かつ重要な文化現象を産み出してきたことはよく知られている。人文科学研究所が行ってきた北西インド、アフガニスタン仏教遺跡に関わる発掘調査、あるいはインドと中国を往来した仏教僧の足跡をたどる研究などは、そういった文化現象の一端を明らかにするための重要な貢献となっている。

このような地域は、一般にfrontierあるいはborderlandと呼ばれたり、地政学的な意味でshatter-zoneと呼ばれたりもするが、いずれにせよ、政治的・文化的勢力が外界と接触する窓口としてとらえられてきた。しかしながらいわゆる「交易港( port oftrade )」や「交易離散共同体( trade diaspora )」の研究に見られるように、このようなフロンティアそのものに足場を置いた分析の重要性が強く意識されるようになってきている。一方でそれらのフロンティアの後背地を形成する各々の地域の文化については、それを「本質主義」的にとらえる立場への批判がなされており、そもそもフロンティアにおいて接触する「異なる文化」なるものの実態が何であるのかが問われている。

以上のような問題意識を共有しつつ、本研究班は、時代枠を古代から近代までと広く採り、「南アジア北辺地域」に立って通時的に周囲を俯瞰することによって、文化伝播・文化接触・文化融合といった普遍的かつ今日的問題を考えるための手がかりを得ようと試みている。


班員
船山 徹