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JL-MK-1700-KB2_1日時:2015年7月11日(土)13:00~17:30

会場:京都大学人文科学研究所本館・1Fセミナー室1

 

発題:大橋幸泰(早稲田大学):近世日本の「邪正」と異端的宗教活動
応答①井上智勝(埼玉大学):近世日本の宗教構造―国家権力と異端的宗教活動をめぐって
応答②中園成生(平戸市生月町博物館・島の館):かくれキリシタン研究から
応答③渡辺順一(金光教羽曳野教会):『淫祠教』的救済世界の潜伏化と民衆の暴力
司会:永岡崇(日本学術振興会)・日沖直子(南山宗教文化研究所)

※事前申込不要・無料

これまで、「キリシタン」「かくれ念仏」「新宗教」「民衆宗教」「民間信仰」といった、近代アカデミズムが形成してきたカテゴリーが、日本の宗教および宗教史研究者の活動を分断し、タコツボ化してきたことは否めない。しかし、素直に民衆の信仰実践を見すえるならば、そうした制度的カテゴリーは副次的なもので、むしろさまざまな領域を横断しながら形成される宗教性をとらえなければ、宗教史は理解できないのではないだろうか。
そういった観点からすると、大橋幸泰氏の近著『潜伏キリシタン』(講談社選書メチエ、2014年)で議論されている「異端的宗教活動」という概念は、日本宗教史研究に新たな地平を開く、意味深い提言だと言える。ある種の異端性をはらんだ、しかしとりあえず海のものとも山のものともつかないような宗教活動が、あるものは如来教や金光教のような教団宗教として成長していき、またあるものは「切支丹」へと転回していく。こうしたダイナミズムを、近世日本の政治的力学とかかわらせて考えていくところに、既存の枠組みをこえた新たな宗教史叙述の可能性があるのではないだろうか。

 

発題 大橋幸泰
「近世日本の「邪正」と異端的宗教活動」
本報告の課題は、近代移行期の潜伏キリシタン・隠れ念仏・隠し念仏を材料に、その異端的宗教活動としての類似性に注目して、近世から近代への秩序の転換の意味を考えることである。
異端的宗教活動とは、近世日本の治者の側から見て警戒するべき宗教活動を意味する報告者の概念用語で、徹底的に排除されるべき対象であった「切支丹」とは区別される。異端的宗教活動は治者にとって警戒の対象ではありつつも、治者によって積極的に摘発されることはなかった。近世期を通じて異端的宗教活動がまったく問題視されなかったのではないが、異端的宗教活動を実践する人びとの外在的属性が近世秩序から大きく逸脱しないものである限り、彼らの内在的属性は基本的には放置された。それは、近世秩序における「邪」の宗教が、現実のキリシタンとは異なる虚像としての「切支丹」のことを指すのは明快であった一方で、近世秩序の「正」の宗教がきわめて曖昧であったからである。このような条件のもとでは、潜伏キリシタンを含む諸宗教は曖昧性を保ちつつ共生していたとみることができる。
しかし、近世後期において「邪」の明快さが失われるとともに、異端的宗教活動を取り巻く外側と内側の状況が変化していった。外側の変化とは異端的宗教活動への規制が強化されていったということであり、内側の変化とはそれらを実践する人びとの内部の確執や分裂が進んでいったということである。その結果、異端的宗教活動のような曖昧な存在は許されなくなり、新たな秩序の構築に向かっていったというのが報告者の見通しである。これらの検討を通じて、近世から近代への秩序の転換とはいかなるものであったのかを考えたい。

おおはし・ゆきひろ
1964年、新潟県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業、同大学大学院文学研究科史学(日本史)専攻博士後期課程満期退学。武蔵高等学校・中学校教諭を経て、現在、早稲田大学教育・総合科学学術院教授。博士(文学)。専門は日本近世史。著書に、『キリシタン民衆史の研究』(東京堂出版)、『検証 島原天草一揆』(吉川弘文館)、『潜伏キリシタン』(講談社)などがある。

 

画像:マリア観音(上智大学キリシタン文庫蔵、ラウレス・キリシタン文庫データベース)