Posted カテゴリ 活動記録.

日時:2015年9月12日(土)午後1時~午後5時

場所:京都大学人文科学研究所1Fセミナー室1

 

 

プログラム:

1時~1時10分 趣旨説明 吉永進一(舞鶴高専)

 

1時10分~1時40分 発表 並木英子(国際基督教大学)

『耶蘇教審判』にみる本田親徳のキリスト教認識

 

1時40分~2時10分 発表 野村英登(二松學舍大学大学非常勤講師)

陽明学の近代化における身体の行方

 

(休憩10分)

 

2時20分~2時50分 発表 栗田英彦(日本学術振興会)

岡田式静坐法にみる国家観―身体・技法・霊性―(仮題)

 

2時50分~3時20分 発表 塚田穂高(國學院大學)

霊術・身体から宗教・国家への跳躍―三井甲之の手のひら療治―(仮題)

 

(休憩10分)

 

3時30分~3時45分 コメント 永岡崇(日本学術振興会)

 

3時45分~4時 コメント 師茂樹(花園大学)

 

4時~5時 討論

 

司会 吉永進一(舞鶴高専)

 

連絡先:bodyandpolitics@gmail.com(ワークショップ専用アドレス/担当:栗田)

 

要旨:

近代日本における霊術、精神療法、心身修養といった霊的な―つまり、宗教ならざる、しかし宗教的な―心身技法には国家論が結びつく事例が多い。静坐法の佐藤通次、手のひら療治の三井甲之をその典型とする。しかも彼らにおいては偶発的な関係というよりも、身体技法の実践は政治思想と内在的に結びつき、宗教、政治、医療といった近代的なカテゴリーを越えていった。今回はさらに、霊術と対抗した神道霊学、あるいは近代化した儒教という二つの補助線を引くことで、心身技法の持つ思想の領域をあぶりだしていく。本ワークショップは、昨年度の日本宗教学会におけるパネル「近代日本の修養・精神療法・新宗教における身体論と国家論」を発展させたものであり、さらなる議論が期待されよう。

 

 

『耶蘇教審判』にみる本田親徳のキリスト教認識

並木英子(国際基督教大学)

 

1887年(明治20)、海老屋専売店刊、『耶蘇教審判』の著者、本田瑞園はまたの名を本田親徳(1822~1889)(文政5〜明治22)といい、鎮魂法・帰神術を実践した霊的神道家である。

本発表の中心文献となる『耶蘇教審判』は親徳の生前に刊行された唯一の著作であり、親徳の神道思想の布教的側面を理解する上でも注目に値する。本書は談義本の様相を呈し、イエス・キリストを被告人とした裁判ものである。本書の中で親徳は漢訳・和訳聖書、水戸学・仏教系反耶蘇文献、そして当時の英米の哲学書をもとにキリスト教の基本信条である「創造主としての神」「マリアの処女懐胎」「神の一人子イエス・キリスト」「贖罪」などを取り上げ、茶化しつつも、自らの「身心論」および「魂」の浄化法を教訓として提示している。

また、本書の時代背景としては、幕末の水戸学系反耶蘇思想と明治10年代をピークとした明治期の反耶蘇運動が存在する。そのため本発表では、当時の思想状況・社会状況を踏まえつつ、本田親徳がキリスト教をどのように認識していたのかを明らかにしていきたい。

 

 

陽明学の近代化における身体の行方

野村英登(二松學舍大学大学非常勤講師)

 

明治期の陽明学は、欧米圏のキリスト教やスピリチュアリズムのリセプターの役割を果たす一方で、禅と共に煩悶青年のための「修養」として機能することも期待され、多くの啓蒙書が書かれた。当時の陽明学理解の基本的枠組みを提供したもっとも有力な一人が井上哲次郎である。井上は、カント・武士道・陽明学を結びつけ、徳川体制を維持する朱子学に対抗した、在野の学としての陽明学が明治維新を導いたという言説を立ち上げた。国体護持の思想として陽明学を構築したのである。その際井上は、江戸儒学の中でも中江藤樹を日本的な陽明学の先駆者としての役割を与え、中江の説く自己修養の実践に対して、近代的な「道徳」を補強する「修養」としての役割を求めた。天人合一の思想による孝概念の拡張は、天皇と国民の関係を都合よく説明してくれたからだ。しかし井上は同時に中江の思想を支える身体技法に関わる静坐などの「行」的要素を迷信として排除した。この傾向は井上に学んだ高瀬武次郎などによって、「中国哲学史」における定説となっていく。この報告では、明治以降の陽明学の受容の様相を、哲学や実学だけでなく健康法や精神療法まで射程を広げ、井上の排除した江戸儒学の身体性の行方を探っていきたい。

 

 

岡田式静坐法にみる国家観身体・技法・霊性(仮題)

栗田英彦(日本学術振興会)

 

佐藤通次(ドイツ文学研究者、1901~1990)は、教学錬成所所員・大日本言論報国会会員として15年戦争期に超国家主義・天皇主義を説いた人物として知られている。佐藤の超国家主義の特徴は、呼吸法や坐法を含んだ身体論と密接に結びついていたことにある(〈身体=国家〉論)。これについて、片山杜秀『近代日本の右翼思想』(講談社、2007年)は、政治思想・国家思想が身体論・健康論へと行き着き、無限の現状肯定へと転化したものとして論じている。

しかし、佐藤の経歴を見ると政治思想から身体を論じるようになったのではなかった。佐藤は、大正期に流行した心身修養法・岡田式静坐法を実践しており、そこから身体論を語る中で国家を論じるようになったのである。とすれば、むしろ、なぜ身体論が政治的・社会的な領域へと進出していったのかが問題になってくる。また、〈身体=国家〉論の背後にある信憑性構造はどのように形成されていったのかも問われるべきだろう。こうした問題意識に鑑み、本発表では、岡田式静坐法の創始者・岡田虎二郎(1872~1920)における国家論を再構成し、それが佐藤の〈身体=国家〉論とどのような連続性があったかについて、時代状況の変化を視野に入れながら考察する。

 

 

霊術・身体から宗教・国家への跳躍三井甲之の手のひら療治(仮題)

塚田穂高(國學院大學)

 

本報告では、歌人であり戦前の代表的な右翼思想家とされる三井甲之(1883~1953)の「手のひら療治」の実践と言説に焦点を当て、そこにおける「国家」の位相と「宗教」化の様相とを時代状況・思想状況との関連から明らかにすることを目指す。思想家としての三井に関する研究の蓄積は重ねられているものの、その「手のひら療治」についての位置づけは適切になされてきているとは言いがたい。はたしてそれは、思想右翼の行き着いた思考停止と身体への没入と結論づけることができるのだろうか。三井の手のひら療治の特性をつかむにはまず、三井の実践と言説とを同時代の霊術――手当て療法のなかに位置づけて見てみる必要がある。三井のそれとは、単なる病気治しの精神療法ではなく、「カムナガラミチ」(神道的世界観)ならびに「シキシマノミチ」(短歌の思想と実践)に連結されているところに彼の独自性がある。すなわちそれは「国民宗教礼拝儀式」であるとされ、「人と人との挨拶の儀式」かつ「神と人との交通の儀式」だとする。また、明治天皇御集は「「手のひら療治」の読誦経典」であり、その拝誦によって「神の心に通う」ことで「精神教化」「病気治療」「生活浄化」が同時に行われると論じているのである。その点において、三井甲之の手のひら療治の思想と実践とは、単なる身体的実践に留まらない国家的・社会的次元を射程に捉えたものなのであり、霊術を飛び越え「宗教」的次元に跳躍した例として位置付けることができよう。