京都大学人文科学研究所 Institute for Research in Humanities, Kyoto University

専門は歴史学、とくに農業史と環境史です。20世紀の食と農の歴史や思想について研究をしています。これまで、戦争、技術、飢餓、ナチズム、給食などについて考えてきました。

分析概念として「分解」(ものを壊して、属性をはぎとり、別の構成要素に変えていくこと)と「縁食」(孤食ほど孤立してなく、共食ほど強い結びつきのない食の形態)を用いて、自然界と人間界とを同時に叙述する歴史の方法を考えています。

食べること。育てること。考えること。

 
 

 「食べること」とは、耕すことに加わること。生命の潮に浸り、生命を噛みちぎり、ありったけの消化液をかけ、内臓と、内臓に棲む細菌たちのはたらきで栄養を吸収し、分解されたもので世界を肥やすことである。

 「育てること」とは、何かが育つことに加わること。植物や動物や子どもを育てるたくさんのいきものたちの一員として、成長過程に加わり、見守るプロセスのことである。

 「考えること」とは、ありえたかもしれない別の世界を思い描いた上で生じる現代世界との齟齬と、ゆっくり対話をすること。現代世界には、人、植物、動物が動いている。それらの存在を、ありえたかもしれない別の世界に招き入れることである。

 「食べること」と「育てること」を「考えること」。この人文学のプロジェクトは、偶然の複数性の突拍子もない湧き出しを観察し、叙述することである。

 食のない政治と経済、自由のない教育と農業、考えのない暴力と殺生。そんな現代世界を前に、現実を追認するだけの現状分析も、理想を追認するだけの理想論も通用しない。暗闇でも眼を開き、耳をすまし続けることで、ようやく思考の足掛かりを得られるはずだ。

 
 

農業とは何か? 食とは何か? 

 なぜ、人間生命の根源であるはずの食は、これほどまでに衰微したのか?
 なぜ、食べものは、世界中のおなかが減った子どもたちに届かないのか?
 なぜ、食べものを自然から創り出す農業は、市場経済に馴染みにくいのか?
   このような問いを、歴史学の立場から考えることが、研究の目的である。

 世界第一級の工業国・科学立国であったにもかかわらず、人間および家畜の食べものを国外からの輸入に頼り、農民たちも戦争にかり出されたため、第一次世界大戦時に飢餓に陥ったドイツ。この悲惨な体験に学んだナチズムは、「子どもたちを飢えさせない」国内食料自給自足体制の構築を目指したが、この事実からわたしたちが知らなくてはならないのは、世界史のなかで最も暗黒な時代をつくりあげたナチスの根幹には、農業蔑視にたいする怒り、食べものにたいする恨み、生きることにたいする不安があった、ということにほかならない。

 たとえば、大量の化学物質を添加した食料品、夜に野宿者へ弁当配りをするボランティア、料理酒をラッパ飲みする男性がくつろげるフードコート、自社の農薬にのみ耐性をもつ種子の遺伝学的な開発、借金を返済できない農民、夜中に仮眠をとる客を追い出すファストフード店など、食と農の現状を知るたびに、「食べること」を主軸にした人文・社会科学の再構築が必要である、という思いに駆られる。たしかに、人間はパンのみにて生きているわけではない。他の生物を刻んで、焼いて、咀嚼し、飲み込む行為にのみ人生が割かれるだけでは、文化は衰弱する。けれども、食べものがこれほど不安定であり、生が脅かされつづけるこの世界システムのなかでは、生成する文化は、その持続力を失い、すぐに消費されてしまう。「食べること」、もっといえば「生きること」が生み出す人間社会の根底から、つまり、肉体から絞り出された言葉と思想こそが、持久力を持った文化を生み出し、それを土壌に新しい社会が育つのである。

 この文化創出プロジェクトのために必要な歴史の事実を調べ、まことにささやかではあるが、現在と未来に伝えていきたいと思っている。