朝鮮史研究会関西部会  2000年6月例会報告要旨         (『朝鮮史研究会会報』第142号、2001年1月、に掲載)

                                             石原発言をめぐる動向(2)

「三国人」という言葉の起源を考える

                                                                  水野直樹


  石原都知事の「三国人」発言をめぐっては、さまざまな議論がなされているが、「三国人」(正確には「第三国人」)という言葉の起源に関しては、GHQ・連合国が使い始めたという説が、石原発言の擁護派・批判派を問わず受け入れられている。しかし、本当にGHQがこの言葉を使っていたのかについて事実の検討はなされてこなかった。朝鮮史研究会の声明を作成する際に浮かび上がったこの問題を検討することにしたい。

  GHQ・連合国(米国)が日本在住の朝鮮人の地位を規定した文書としてよく知られるのは一九四五年一一月の「初期基本指令」だが、そこでは「解放国民」と位置づけると同時に「必要な場合には敵国人として処遇する」とする二重の規定をしていた。朝鮮の国家としての地位について規定した文書では、一九四七年に「特殊地位国」と定義したのが最初である。これらの地位規定から「第三国」「第三国人」という言葉が生まれたという説が流布しているが、GHQが日本在住朝鮮人(および台湾人)を「第三国人」という言葉で呼んだ文書は見当たらない。「第三国人」という言葉を使い広めたのは、日本側(警察・マスコミ・官僚・政治家)であったと考えるべきである。

一九四五年冬の帝国議会では、主に強制連行された朝鮮人の労働争議や帰国問題が取り上げられたが、まだ「第三国人」という言い方はなされていない。

  「第三国人」という言葉が最初に登場する資料は、確認できる限りでは、『毎日新聞』(大阪本社版)一九四五年年一二月三一日付に掲載された神戸での闇市取締りに関する記事である。米軍当局が「国籍の如何を問わず」法律に従わせねばならない、と指令したのに対して、県警察部が「第三国人といへども日本の法律に触るるものは容赦なく取締を断行すること」を決定したと伝えている。闇市などの犯罪取締りを担当する警察、それを報道するマスコミあたりから、この言葉が使われ始めたことを推測させるものである。その後も、闇市に関わる新聞記事で使われているのが目につく。

   この言葉が定着することになったのは、新聞記事によって流布されただけでなく、政府当局が「公式用語」であるかのように使い始めたからでもある。しかも、GHQ文書が朝鮮人・台湾人を「非日本人」という言葉で表現している部分を「第三国人」に置き換えることまでしているのである。その例は、一九四六年七月の「非日本人に対する普通税の付課に関する総司令部覚書」の日本語要約文書に見られる。また、同時期の議会での質疑・答弁を報道した新聞記事でも、「非日本人」を「第三国人」に言い換えている事例が確認できる。

   このように「第三国人」という言葉が定着したのは、闇市の取締り、裁判権、課税などに関わる朝鮮人・台湾人の地位が日本政府・GHQ間で問題となった時期であり、朝鮮人・台湾人(さらには中国人)による「犯罪行為」がマスコミで大きく取り上げられた時期でもあった。議会でも大野伴睦(七月二三日)、椎熊三郎(八月一七日)が本会議で緊急質問を行ない、朝鮮人らが法律を無視して社会秩序を混乱させる犯罪、暴力行為をほしいままにしていると非難し、大村清二内務大臣がそれに答えて「第三国人」の取締りを強化することを言明している。議会でも「第三国人」という言葉が使われることになり、それを新聞が報道することによって、「公式用語」として広まり定着するにいたったと考えられる。

   「第三国人」という言葉の起源を確定することは困難であるが、主に闇市などの取締りの現場で使用され始めたこと、その際に朝鮮人・台湾人を「解放民族」として扱うことを嫌った敗戦直後の日本人(特に取締り当局)の意識が反映していることは明らかである。「第三国人」という言葉には、交渉当事者としての地位・能力を否定する意味合いが含まれているといえよう。

   (付記)例会報告後、何人かの方々から寄せられた意見・情報を取り入れて、「「第三国人」の起源と流布についての考察」『在日朝鮮人史研究』第三〇号(二〇〇〇年一〇月)を発表した。事実関係の詳細についてはそれを参照されたい。



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