『図書新聞』第2393号(1998年6月13日)掲載 
(書評)和田春樹『北朝鮮―遊撃隊国家の現在―』
(岩波書店、1998年3月、2200円)

  この一、二年、書店には北朝鮮関係の本が山積みされている。文庫本として出ているものも多い。北朝鮮関係の本などあまり書店で見ることがなかった五年前、一〇年前のことを考えると、嘘のようである。しかし、それらの多くは、著者・和田春樹氏の表現を借りれば、北朝鮮に対する「反感と憎しみ、嘲笑と罵倒、優越と恐怖をふりまくもの」である。謎の国に対して好奇心、興味を抱くのは自然なことだが、あまりにも興味本位の本が氾濫している。
 
  このような出版状況をもたらした一因は、北朝鮮に対する学問的な研究の乏しさである。日本の大学で北朝鮮を本格的に研究しているのは、慶応大学くらいである。資料をきちんと蓄積している大学・研究機関も数えるほどしかない。著者は、このような北朝鮮認識のための「知的努力の貧困」を指摘しつつ、「北朝鮮研究はもっとも高度な学問的テーマ」であるとする。北朝鮮の歴史と現状を検討するには、世界各国の文献・資料を利用しなければならず、語学能力も要求されるからであり、「墓石の銘からインターネットのホームページまでの幅の中に、無数に、多様にある」資料の中から、厳密な資料批判を通じて必要な資料を選び出さねばならないからである。
 
  ロシア史を本来の専門とする著者は、一九七〇年代以降、韓国民主化支援の市民運動に関わる中で、韓国・北朝鮮の現代史に関心を抱き、「現代朝鮮論」をも専門領域とすることになった。朝鮮問題の研究者を含めて他の誰もがなし得ないような研究を手がけてきた著者は、大学定年の直前に本書を刊行した。そこには日本の知的状況に対する憂いの気持ちがこめられている。
 
  本書は、著者がすでに単行書として出した研究(『金日成と満州抗日戦争』、『朝鮮戦争』)を土台に、新たな史料による知見を追加し、さらに北朝鮮の現在に関わる部分を書き足して、北朝鮮の政治・社会体制を歴史的に理解しようとした試みである。副題に示されているように、北朝鮮を「遊撃隊国家」と名づけ、一九三〇年代中国東北地方(満洲)で展開された抗日武装闘争を歴史的な起源とし、抗日遊撃隊をモデルに形成されてきた体制と把握する。本書の前半でそのような遊撃隊国家の成立が歴史的に検討された後、後半で北朝鮮の政治・国際関係・軍事・経済の現状、金正日体制への移行が分析され、さらに展望が示される。
 
  本書を貫く著者の主張は明確である。すなわち、北朝鮮の体制は不変のものではなく、変わりうるというものである。それは、六〇年代初めまでに成立した国家社会主義体制の基礎の上に、六〇年代後半に「遊撃隊国家」(他の研究者は「首領制」などと名づけている)が確立されたものであり、上下の構造から成り立っているものととらえられる。体制の全面的変化(あるいは崩壊)ではなく、構造的な改革があり得ることが示唆されているのである。
 
  では「遊撃隊国家」の改革の可能性はどこにあるのか。日本との国交交渉がその可能性を開くものと著者は考える。植民地支配の処理、謝罪を日本が明確に行ない、和解がなされるなら、「抗日」の論理は消えるからである。
 
   しかし評者の考えでは、北朝鮮の体制論理は「抗日」だけにあるとはいえない。確かにスローガンとして強調されるのは抗日遊撃隊に由来するものだが、実際の体制論理を規定しているのはやはり南北分断ではないだろうか。スローガンが変わるとすれば大きな変化に違いないが、それだけで改革が進むかどうかは疑問である。著者は日本のなすべきことを明確にするためにそのように論じているわけだが、「遊撃隊国家」という概念にも関わる問題として今後さらに検討すべき点であろう。
 
  本書は北朝鮮現代史の概説書でありながら、新たな知見も随所に付け加えられている。例えば、日本敗戦直後、ソ連にいた抗日部隊の中の朝鮮人に北朝鮮で工作すべき派遣先が指令されたが、著者はロシアの文書館でこれに関する文書を探し出し、本書に収めている。これらの文献・資料をもとにして、北朝鮮の中核となってきた「満州派」の構成員に関して、従来の研究に比べて厳密で正確な把握がなされていることも本書の優れた点である。
 
  本書は、日本人の歴史的責任を踏まえつつ北朝鮮をいかに認識するかという課題に取り組んだ著者の努力の成果であり、北朝鮮理解のための必読書である。

                                 水野直樹(京都大学人文科学研究所助教授・朝鮮近代史)


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