京都人類学研究会 例会の記録
発表者の所属は発表当時のものです。
過去の代表者 谷泰(1996)、田中(1997)、市川光雄(1998)、菅原和孝(1999)、松田素二(2000)、足立明(2001)、田中(2002)、速水洋子(2003)、田中(20042005)

NO.1 1996522日(水)
「フィールドワークの苦労と愉しみ---アフリカ都市調査の場合」
 日野舜也(京都文教大)・松田素二(京都大)・野元美佐(総合研究大学院大学)
NO.2 1996612日(水)
「サル研究の『面白さ』」室山泰之(京都大・霊長類研究所)・黒田末寿(滋賀県立大・人間文化学部)
NO.3 199673日(水)
「男もすなる人類学というものを女もしてみむとてするなり」
中谷文美(京都文教大学人間学部)・李仁子(京都大学人間・環境学研究科)
NO.4 1016日(水)
「移動と定住する海女の生活ストラテジー」李 善愛(総合研究大学院大学)
NO.5 11 6日(水)
「柳の煙と犬の尾:動物考古学によるイギリス中石器時代分析、縄文時代と比較しながら」
内山純蔵(京都大学人間・環境学研究科)
NO.6 1211日(月)
「彼はゴリラになった:アフリカ熱帯森林の狩猟採集民と農耕民のアンビヴァレントな共生」竹内 潔 (富山大学人文学部)

NO.7 1997422日(火)
「エスニックシンボルの創成と対応:西南中国少数民族トン族の事例から」
兼重 努 (京都大学 人間・環境学研究科)
NO.8 1997527日(火)
「そして僕らはなにが知りたかったのか」の民俗誌論:『七浦民俗誌』の経験から」
菊池 暁 (大阪大学 文学研究科 日本学科)
NO.9 199767日(火)
「フィールドで「待っている」こと」
澤田 昌人 (京都精華大学)
NO.10 199778日(火) 
「狩猟行動と遺物化する動物骨:民族考古学的アプローチに基づく台湾パイワン族のイノシシ猟の研究」
野林 厚志 (国立民族学博物館)
NO.11 19971027日(火)
「東北タイの民間治療師の診断に見る病因論:モーラム・ピーファーの事例から」
加藤 眞理子 (京都大学 東南アジア地域研究センター)
NO.12 19971125日(火)
「シンガポールの団地と「多民族主義」」
鍋倉 聡 (京都大学 文学部 社会学専攻)
NO.13 1998127日(火)
「サマ人の潜水漁と爆薬漁:フィリピン・パラワン島海域」
赤嶺 淳 (国立民族学博物館)
NO.14 1998224日(火)
「サトイモ(名.Colocasia esculenta (L.) Schott)の日本への伝播について」
松田 正彦 (京都大学 農学部 熱帯森林研究室)

NO.15 1998515日(水)
「南東アナトリアにおける家畜化;チャヨニュ遺跡出土の動物遺存体資料から」
本郷 一美 (京都大学霊長類研究所 系統進化分野)
NO.16 1998623日(火)
「現代アフリカ都市のポピュラー文化研究へ向けての覚え書;タンザニアにおけるポピュラー音楽とスポーツの発展過程を中心に」
鶴田 格 (京都大学農学研究科農林経済学専攻)
NO.17 1998721日(火)
「墓石のフォークロア;文政13年江戸」
土居 浩 (総合研究大学院大学 国際日本文化研究センター)
NO.18 1998929日(火)
「英国コッツウォルズ地域における文化遺産マネージメントの起こり」
塩路 有子 (総合研究大学院大学 国立民族学博物館)
NO.19 19981026日(月)
「キリバスのマネアバ(集会所);外部世界との接点として」
風間 計博 (総合研究大学院大学 国立民族学博物館)
NO.20 19981124日(火)
「サルからみた表情」
金沢 創(京都大学 霊長類研究所)
NO.21 1999112日(火)
「漁撈社会の近代 ;マダガスカル南西部における高級海産物の利用」
飯田 卓(京都大学 人間・環境学研究科)
NO.22 199929日(火)
「雲南少数民族の生活様式と環境適応」
郭 艶春(京都大学 人間・環境学研究科)

NO.23 1999415日(木)
「古都の観光の可能性 ;チェンマイと京都を比較して 」
プロイスリ・ポラナノン氏(チェンマイ大学観光研究所研 究員)
NO.24  1999年6月29日(火)
「今昔写真からさぐる環境認識の変遷」
嘉田由紀子(滋賀県立琵琶湖博物館)
NO.25 1999年7月13日(火)
「海を越えた<ドラエモン>」
白石さや(京都文教大)
NO.26 1999928日(火)
「マレーシア・サラワク州のイバン村落における暮らしと田作り」
市川昌広氏(いちかわ・まさひろ)(京都大学人間・環境学研究科)
発表要旨:熱帯多雨林気候下に生きるサラワク農村の人々の暮らしを彼らの田作りを通して紹介します。焼畑に似た移動耕作により行われる田作りは、世帯ごとに田の大きさ、やり方、田を開く場所の植生が異なります。このような違いがなぜ生じるのか、世帯の生計の立て方などに着目して説明します。
NO.27 1999105日(火)
「イスラームと読み書き能力―パキスタンのイスマーイール派コミュニティの事例から―」
子島進(ねじますすむ)(民族博物館外来研究員)
NO.28 1999122日(木)
「オットー・グロスのバッハオーフェン受容―20世紀初頭のドイツにおける「母権論」の影響に」
林埼伸二(京都大学大学院 人間・環境学研究科)
No.29 19991213日(月) 
「アウトドアの社会学的考察」
井戸聡(いど さとし)(京都大学大学院文学研究科)
No. 30 200029日(水)
Civil Religionとしての日本文化論」
ベフ・ハルミ(京都文教大学)

No.31 2000427日(木)
「読まれる宗教から演技される宗教へ:シンガポールのヒンドゥー教」
田中雅一(京都大学人文科学研究所)
No.32 2000511日(木)
「人類学が考える「人種」」
竹沢泰子(京都大学人文科学研究所)

No.33 2000620日(火)
「デフ・エスノグラフィーの可能性」 
亀井伸孝(京都大学大学院理学研究科博士課程後期)
◆要旨:手話は少数言語である/ろうは文化である/ろう者コミュニティは少数民族であ る」という主張を引っさげて「ろう文化運動」が登場した。ろう者は自らが、医者の手によってではなく、文化人類学者の手によって記述されるべきであると主張する。ただし、少なくとも日本語圏においては、文化人類学の側の動きはほとんど見えないようである。 このパラダイム転換にもとづいてアメリカ合州国などで試みられている、デフ・エ スノグラフィー(ろう者の民族誌)の先行研究を概観する。また、報告者のアフリカ・カメルーンでのフィールドワークから見えてきたものや、日本でのろう者との付き 合いの中で感じた“異文化体験”をもとに、ろう者の文化について論じる。これらを 通して、ろう者の民族誌はいかにして書きうるのか、その意義は、等について考察する。
No.34 2000919日(火)
「精神医療の言説編成 『日常性批判』(せりか書房)の最終章より」
山田富秋(京都精華大)
No.35 20001031日(火)
「「正義」の人類学試論 −フィリピンの事例から」
森正美(京都文教大学)
No.36 20001130日(木)
「『難民研究』事始め―ケニア・カクマ難民キャンプの調査から」
栗本英世(大阪大学)
No.37 200122日(金)  
「生物多様性条約から見るグローバリゼーションとローカル・ノレッジ」
平川秀幸(京都女子大学) 
No.38 2001222
「人類学とアクター・ネットワーク論」 
足立明(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究科)
No.39 200137日(水)
「シベリアにおける文化復興運動とアイデンティティ:サハの事例を中心として」
山田孝子(京都大学総合人間学部)

No.40 2001419日(木)
「文化人類学の魅力:エスノグラフィーの世界へ」
松田素二氏(京都大学文学部)
No.41 2001年日531日(木) 
総合タイトル『特集小笠原諸島誌: その歴史、環境、文化と生活』
石原俊(京都大学 文学研究科)
  「<海賊>から<帝国>へ:小笠原諸島における<占領経験>の系譜学──」
春日匠(京都大学 人間・環境学研究科)
  「語られざる小笠原:日本におけるサバルタン研究の可能性」
齊藤望美(京都大学 アジア・アフリカ地域研究研究科)
  「野生化ヤギに関わる植生と人間活動」
小笠原諸島は、東京から南に千キロの海に浮かぶ小さな島々です。そこは、環境
的にも歴史的にも極めて特異な、興味深い場所ですが、十分に研究されてきた地域で
あるとはいえません。今回は、この小笠原をテーマに、多様な視点からの研究をご紹
介いただくことになりました。日頃なじみのない地域の実情を浮き彫りにするととも
に、現代日本における地域研究の可能性を探る試みになるかと思います。
No.42 2001628日(木) 
「伝統・秘密・変容 --- 先住権裁判の政治学とアボリジニー文化の存続」
細川弘明氏(京都精華大学)
No.43 2001913日(木) 18:1520:00
場所  京都大学人間・環境学研究科 433号室 
Pharmafoodの研究開発ーー新規素材や既知素材の導入」
山原條二(生産開発科学研究所 天然薬物資源研究室)
 インドや東南アジア、中国には約8000種の薬草がそれぞれの目的で活用されてきている。研究開発の視点を変え?健康茶?として日本へ導入するについて実務上遭遇してきた問題点を紹介、現地の方々との共存は当初からの念願でもあるが、貨幣経済依存のスピードは現地で年々加速されてきている。テレビやバイクなど、どの村に入っても日常化している現状からも理解できる。共存とは多様な問題を含んでいることを感じる。(山原條二氏はインド原産の薬用種「サラシア・オブロンガ」を日本にて開発し、現在でも効果的な糖尿病・ダイエット薬として世に広めた。現在ではベトナムにて天然薬物の栽培・人材教育に努めている。)
No.44 20011023日(火) 18:1520:00
場所  京都大学 人間・環境学研究科 333号室 
「民俗と写真のあいだー−日本民俗写真論序説」
菊地暁(京都大学人文科学研究所)
 民俗のヴィジュアル・イメージが写真という技法を通じて流通する状況は、
いつ、どこで、誰によってもたらされたのか? そしてその状況は、被写体とされる
民俗の担い手に、あるいはそれを分析する民俗学に、いかなる影響をもたらしたのか
? ある民俗の写真が「ある」ということは決して単純なことではない。写真の画面
の「こちら側」には、それを撮影したカメラがあり、それを操作した撮影者がいる。
そこには写真機やフィルムを所有する資本が存在し、それを操作する知が存在し、そ
れらを運用して民俗を対象化する欲望が存在する。そしてその「向う側」には、その
まなざしに晒されることを拒絶できない(しない)身体が存在する。この意味で、写
真は、「撮るもの/撮られるもの」という関係性そのものの証左なのである。である
ならば、写真の読解とは、その対象への透明性がどれほど自然化されていようとも、
画面には写らなかった「こちら側」の存在を認識することからしか出発できないはず
である。以上の問題意識から、日本の民俗写真を概観する。
No.45 20011212日(水) 18:1520:00
場所  京都大学 総合人間学部1号館1106
「文化と女性と植民地主義〜イスラーム世界を中心に〜」
岡真理氏(京都大学総合人間学部)
 北部同盟が制圧したカブールで、ターリバーンに強制されたブルカを
脱ぎ捨てアフガニスタンの女性たちの笑顔がマスメディアで報道されている。
「女性を抑圧するターリバーン」は絶対悪として、ブッシュ大統領夫人、ブレア首相
夫人らが、その根絶を正義として主張している。だが、なぜ、つねに「女性」が
焦点化されるのか。「文化」と「女性」をめぐる言説の政治学について考えたい。
No.46 2001210日(日) 18:1520:00
場所  京大会館 215号室
「時間標識とフィールドワーク−旧ソ連領中央アジア・クルグズ一村落での調査経験から」
吉田世津子氏(立正大学非常勤)
 旧ソ連領中央アジアは、20世紀で2度の体制移行が引き起こす、歴史的大変動
を経験してきた地域である。遊牧地域では最初の体制移行によって遊牧民が定住し、
その後1990年代まで、人びとはコルホーズ員・ソフホーズ員として生活してきた。ク
ルグズスタンでは、2度目の体制移行に際して急進的な移行政策を採用し、そのため
コルホーズ・ソフホーズの民営化・独立自営農化が進んでいる。発表では、マクロな
国家レベルの政治経済政策の変化が、ローカルな村レベルの社会変化とどのようにか
かわり合っているのかを中心的に取り上げる。

No.47 2002425日(木) 18:0020:00
      午後6時より : 総会
      午後6時30分より : 講演
場所 京大会館 212号室
「人類学とその境界- 構造主義的視点から考える-
大塚 和夫 氏(東京都立大学人文学部)
・司会: 田中 雅一 氏(京都大学人文科学研究所)
・コメンテーター: 足立 明 氏(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究科)
           菅原 和孝 氏(京都大学総合人間学部)
一二〇名近くの聴衆で大盛況となりました。人が入らず途中で部屋も変えてもらいました。知名度によってこうも違うものなのか。ただし内容については、コメンテータからの批判、それへの批判などがでて大荒れでした。懇親会、二次会、三次会と、お忙しいのに大塚先生はいつも遅くまでつきあって下さいます。私は大塚先生を外まで送って、夜明け近くにダウン。
No.48  2002年5月23日(木) 18:3020:00
場所  京大会館212号室
「援助交際のフィールドワーク:援助交際から考える現代日本社会」
圓田 浩二 氏 (関西学院大学社会学部)
 著書『誰が誰に何を売るのか?〜援助交際にみる性・愛・コミュニケーション』 (2001 
関西学院大学出版会)をもとに、その要点といくつかの社会学的な問題点につ いて、また
フィールドワークを通じた問題発見の仕方や論じ方などについてもお話い ただきます。
・コメンテーター: 青木 恵理子 氏 (龍谷大学社会学部)
          水島 希 氏 (京都大学理学部、SWASH
同名の著書の解説。コメンテータの議論も含め夜遅くまで盛り上がりました。きわめて曖昧な援助交際の定義、の探索で悪戦苦闘するより、いつ、どんなきっかけで援助交際と認識するようになるのか、というプロセスをみる必要があるのでは。そのしくみがテレクラなどの出会い産業ではないか。援助交際のタイポロジー、欠如型、快楽型、バイト型などは、すべてもてるかもてないか、という大きな言説から生み出されたものと言えないか。もてる女性はおなじことをやっていても援助交際とは認識しない。もてたい女性は出会い産業を通じて「もてる女」に変身する。バイト系はやはりもてたいために不可欠なファッション産業に使う金が必要だからだし、快楽系はまさに快楽追究型の女は真にもてない社会だからにすぎない。とすればファッション産業、美容産業、出会い産業アンドを総括する視点、もてるかもてないかについての自己認識の生成をさぐることこそ重要ではなかろうか。もうひとつ、フウゾクについて語ることは、現代日本で他者について語ることの常套手段に成りつつあると言うことも忘れては成らない。
    
  

No.49 2002年6月17日(月) 183020:00
場所 京大会館 211号室
「糸満漁師、海を読む:知識の保有者の論理と『土着の知識』」
三田 牧 氏 (京都文教大学)
 漁撈とは、広漠とした海に舟を浮かべ、はるか水面下を泳ぐ魚を捕獲する営みである。そこには、海を総合的に把握する「海を読む」知識が必要とされる。本発表は、沖縄県糸満漁師の「海を読む」知識に関する研究である。これまでの「土着の知識」研究が、それらの知識を環境保全と結びつけることによって評価してきた傾向に疑問をなげかけ、自然の搾取的利用でも、保全でもない、漁師の論理と海への姿勢を浮き彫りにすることを目的とする。具体的には、潮、魚の行動、漁場、風を読む知識を、漁活動の実践の文脈においてとらえることで、「自然の予測不可能性への挑戦」として、海を読む知識を位置付ける。
・コメンテーター: 山田 孝子 氏 (京都大学総合人間学部)
          縄田 浩志 氏 (京都大学大学院人間・環境学研究科)

No.50 2002年10月10日(木) 183020:00
場所 京大会館 211号室
「規律と逸脱のポリティクス 現代インドのヒンドゥー・ナショナリズム運動におけるデモ・政治集会・暴動」
中島岳志 氏 (京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究 科)
 周知の通り、現代インドにおいてヒンドゥー・ナショナリズム運動が高揚している。
運動の中心を担うRSS(民族奉仕団)は、近年、急速にメンバーを増やし、RSSから派
生したBJP(インド人民党)は1998年以降、政権与党の座についている。このヒン
ドゥー・ナショナリズム運動が世界的に注目されたのは199212月のアヨーディヤー
におけるモスク破壊事件であろう。このアヨーディヤー問題をめぐって、2002年初頭
にはモスク跡地にヒンドゥー寺院を建設しようとする動きが高まり、大きな問題と
なった。
 本発表では、ヒンドゥー・ナショナリズム運動の草の根レベルにおける暴力の問題を
議論したい。その際、2001年末から2002年初頭にかけてアヨーディヤー問題に関連し
て起こったデモ・政治集会・暴動事件を、フィールドワークの成果を通じて分析し、
そこにおける<規律>と<逸脱>のポリティクスを明らかにする。
No. 51 20021129日(金)  18:00-20:00
場所: 京都文教大学 指月ホール
「17世紀前半の西モンゴルにおける下位緒グループの勢力地図−史実
との齟齬から読み取る伝承研究の可能性−」
藤井麻湖 氏 (国立民族学博物館・外来研究員)
コメンテーター: 小長谷 有紀 氏(国立民族学博物館)

No. 52 12月3日(火)1830-2000
場所: 京大会館102号室
「基地と風水:沖縄・読谷村の事例より」
原 知章 氏(静岡大学)
コメンテーター: 冨山 一郎 氏 (大阪大学)

No.53 2002116日(木) 1800-2000
場所 京大会館
報告者:中村平氏(大阪大学大学院文学研究科博士後期課程)
題目:マラホーから頭目へ――台湾タイヤル族エヘン社の日本植民地経験
コメンテータ:中生 勝美 氏(大阪市立大学文学部)
要旨:
 「天皇は日本のマラホー」であるという、台湾先住民族タイヤル族の人々による日本語でなされた発話を、日本人である筆者はどう聞くのか。タイヤル族エヘン社に対する日本の植民地統治が常態化していくなかで、「マラホー」というタイヤル族の伝統的リーダーが、「頭目」という国家を後ろ盾にした政治的人物に換骨奪胎されていく。このときから、「マラホー」という語には植民地統治の刻印が焼きつけられた。日本人である筆者を前に「天皇は日本のマラホー」であるという発話が行われるということは、その刻印が再び熱く浮きあがってくるということだ。日本においては従軍慰安婦「問題」を機に、日本の植民地や占領地に対する戦争責任、戦後責任問題が論議されている。同時に必要なことは、村落レベルで植民地統治が行った所業の理解であり、日本人という存在が植民地の人々に現在においても想起させるものを、いかに想像し感知できるか、という点である。植民地経験の記述の可能性を、主体性と暴力の二概念を軸に考察していきたい。

No. 52 開発と映像人類学

京都人類学研究会では、以下の上映会に協力します。会員の方はぜひご参加ください。

■日程 
京都 2003417日(木)19時〜
関西日仏学館 上映作品:「すてきな王子様」
問合せ先:〒606-8301 京都市左京区吉田泉殿町8 075-761-2105
バス停 京大正門前

近年、日本においても単に諸民族の生活文化を研究対象とするにとどまらず、映像を活用した研究によって、その国の環境に合わせた開発と発展への貢献を目指す試みがとられつつあります。
本講演上映会では、長年、映像を発展途上国の開発に関する研究に活用してきたフランス国立開発研究所教授ロンバール氏の研究成果と解説を通して、民族学研究における映像人類学の位置づけと役割について論じていきます。

◇「すてきな王子様(Le Prince Charmant)」時間43分
急成長中のマダガスカルにおいて、近代的な社会とはうまくあわせられない人々がいる。このような人々に、マダガスカル北西にあった王国の王子に取り憑かれtrombaとなった女性が、王子と彼女自身の人格とを行き来し、癒しと助言を与えている。この様子を映像を通して見ることで、急成長する社会の変化と開発が、人々にもたらす影響について考えていきます。

■解説 ジャック・ロンバール氏(フランス国立開発研究所教授)・大森 康宏(国立民族学博物館 民族文化研究部教授)
■プロフィール
ジャック・ロンバール
(学歴)'66 フランス国立社会科学研究院 社会人類学博士号取得
(職歴)'75'80 仏国立科学研究センター「インド洋」研究主任
     '84'95 仏科学国際協力開発研究所(ORSTOM)にて「経済発展における文化と歴史の構成」研究班 主任
     '99〜   仏国立開発研究所(IRD)にてプログラム「映像と宗教」主任
     '00〜   仏国立開発研究所(IRD)研究班R107研究部長

大森康宏(国立民族学博物館教授)
(学歴)'77 フランス、パリ第10大学民族博士課程終了(民族学博士)専攻は民族誌映画学
(職歴)'85〜国立民族学博物館第3研究部助教授
     '89〜総合研究大学院大学助教授併任
     '91〜国立民族学博物館第5研究部助教授
    '95〜 国立民族学博物館第5研究部教授
'98
〜 国立民族学博物館民族文化研究部教授
    '01〜 総合研究大学院大学文化科学研究科比較文化学専攻長

■開催地 ※詳細は会場にお問い合わせください
京都 2003417日(木)19時〜
関西日仏学館 上映作品:「すてきな王子様」
問合せ先:〒606-8301 京都市左京区吉田泉殿町8 075-761-2105


No. 53 423日(水)
午後6時より総会
午後6時半〜9
春日直樹氏「人類学のリサイクル、またはのリサイクルの人類学」
京大会館

要旨:最近の人類学はあまり景気がよくない----、こう書くと金儲けの 話のよ
うです。でもこの学問は、文化の「差異」を不断に探求するかぎりで資本主義とそっくりです。人類学の軌跡と現状は、資本主義のポスト産業化やIT革命などに照らし合わせると
き、あらたにみえてくる部分があります。本発表では、文化の差異だけでなく他学問との差異を再検討しながら、差異の効果的な呈示方法として「廃品利用」について考えます。大学や人文科学の市場価値が激変する中で、人類学のアンティークな売りを考える、とも言えるでしょう。

No.54 530日(金)
サビーネ・フリューシチック氏
 (京都大学人文科学研究所、カリフォルニア大サンタ・バーバラ校) 
題 目:自衛官―日本における軍隊化された男らしさをめぐって
会 場:京都大学東南アジア研究センター 東棟207号室
コメンテーター:田中  雅一 氏 (京都大学人文科学研究所)
宇田川 妙子氏 (国立民族学博物館)
要旨
これまでの明白な憲法上制限にもかかわらず、日本は、すでに世界で最大の軍事
予算を持つ国のひとつであり、およそ236千人の自衛隊員がいる。そのうち約9
8百人あるいは4%が「婦人自衛官」という女性兵士である。伝統的には軍人と
いうのは特殊な男らしさを表現し、戦争をする時、「軍隊化されたジェンダー」
が増強されると言われているが、1954年の設立以来、今まで一度も直接軍事闘争
に巻き込まれたことがない自衛隊には「軍隊化されたジェンダー」はどういうふ
うに作られ、どのような形をとるだろうか。サビーネ・フリューシチックは1998
年以降の16月間のフィールドワークや資料分析の上、自衛官の男らしさを議論し
たい。
Sabine Fruhstuk, Associate Professor of modern Japanese cultural studies
at the University of California, Santa Barbara, is the author of
Colonizing Sex: Sexology and Social Control in Modern Japan (University
of California Press, 2003 [in press]) and is currently working on a book
titled Avant-garde: The Army of the Future. She can be reached at
sabine@zinbun.kyoto-u.ac.jp and at fruhstuc@eastasian.ucsb.edu
[TOP]

No.55 620日(金)
百瀬邦泰氏(京都大学アジアアフリカ地域研究研究科助手)
題 目:サラワク東部のイバン族の自然観:植物の利用と認識から探る
要旨
東マレーシア・サラワク州の東部で、水田、焼畑、ゴム園、コショウ園などを営む
イバン族の植物利用および命名体系について調査した。調査地は未開拓の原生林と、
100
年以内に定着した人々によって開墾された二次林を含む、フロンティア地区であ
る。利用については、この地域の植物の特殊な繁殖スケジュールの影響が大きい。原
生林の植物は数年に一度、多種が同調的に開花、結実する(一斉開花現象)。人々は
普段は二次林を利用し、一斉開花の時期にのみ、原生林を集中的に利用する。小泉都
が調査した狩猟採集民プナン族と、植物利用および命名体系の比較をすると際だった
違いが認められた。プナンにおいては実用的な植物が多く、直接的でシステマティッ
クに命名される。イバンにおいては、原生林の植物には呪術的に使われるものが多
く、身体や飼育栽培生物等で象徴させて命名される。彼らにとって原生林とはどのよ
うな場所なのかを、そこに生える植物に付与された意味を通して考察する。

No.56 926日(金)
浜元聡子(京都大学東南アジア研究センター非常勤研究員)
題 目:インドネシア・マカッサル海峡スプルモンデ諸島におけるムスリム女性の日常生活とメッカ巡礼

要旨
マカッサル海峡には、無数の有人島が点在する。17世紀以来、東インドネシア地域へ
向かう漁業活動や商業活動によって生計が営まれてきた。寄港先で新しい関係を築く
際にも、古くからの信頼を維持していくのにも、欠かせない条件はメッカ巡礼の経験
があり、そのことによって尊敬を得ることだと考えられてきた。では巡礼の経験は、
この島々の社会内部において、どのような意味を持つのだろう。本報告では、ある島
の女性の日常生活世界に注目する。その日常生活世界における、伝統的な儀礼の場面
や日常生活の場面で、巡礼経験がどのような作用を与えるものであるかを検討する。
巡礼を実現させるためのプロセスは、小商いから始まって、資本金が増えるにつれ商
う品目も変わっていく。宗教的に熱心であることと巡礼に行きたいという気持ちの間
には、大きな隔たりがある。この隔たりを、島の内部における巡礼経験者の社会的位
置づけを手がかりに、明らかにしようとする。


No.57 2003 1024日(金)
山田 仁史(京都大学人文科学研究所研修員, 京都造形芸術大学 非常勤講師)
題目: 焼畑のサイクルと祖霊をまつる大祭
    ―台湾のオーストロネシア系諸民族を中心にー

要旨
 台湾のオーストロネシア系諸民族(原住民/先住民)の間には、サイシヤット族の
パスタアイ(こびと祭)やパイワン族の五年祭のように、何年かに一度おこなわれる
大祭が存在する。このうち前者の原初的意義については様々な説が出されてきた。つ
まり、秋の収穫時に他族を招いた大饗宴であるとか(古野清人)、神話に登場し、か
つサイシヤット族によって滅ぼされたとされるこびと族タアイの霊を慰める祭(今日
一般的に語られる説)、といった諸説である。 報告者は、パスタアイで用いられる
榛木(ハンノキ、赤楊)が焼畑の休閑地に植えられ、休閑期間を短縮するために利用
されてきた樹木であることや、東南アジア大陸部(や東アジア・南アジア)の各地か
ら報告がある何年かに一度の大祭に注目し比較することで、従来見落とされてきた新
たな解釈の可能性を提示してみたい。すなわち、焼畑のサイクルにともなう周期的祖
霊祭という性格である。


No.58 2003114日(火)21COEセミナーのお知らせ
(
協力: 京都人類学研究会 南アジア地域研究懇話会)
Dr. David N. Gellner , University Lecturer in the Anthropology of
South Asia, Oxford University
テーマ:Resistance to the Nepalese State: Why did it collapse so quickly?

David Gellner is University Lecturer in the Anthropology of South Asia at
the Institute of Social and Cultural Anthropology, and Fellow of Wolfson
College
. His doctoral research (1982-4) was on the traditional, Vajrayana
Buddhism of the Newars of the Kathmandu Valley, Nepal. He has carried out
fieldwork in the Kathmandu Valley on many subsequent occasions, broadening
his interests to include politics and ethnicity, healers, mediums, and
popular approaches to misfortune, and religious change, in particular the
history and effects of the newly introduced Theravada Buddhist movement. He
has also done three months' exploratory fieldwork on Buddhist priests in
Japan. For eight years he taught at Brunel University, west London, the
first British university to introduce a Master's course on medical
anthropology. From 2002-5 David Gellner is on leave, holding a Leverhulme
Major Research Fellowship for research into the social history and practice
of activism in Nepal.



No.59 2003
1125日(火)「台湾の自然と文化研究会」との共催
連照美(国立台湾大学人類学系教授)
コメンテーター:角南聡一郎氏(財団法人元興寺文化財研究所主任研究員)
   *当日、日本語通訳つき
題目: 台湾の新石器時代と卑南文化について

要旨
 考古学の資料にもとづき、台湾の新石器時代文化の特質についてお話しする。発表
者が国立台湾大学人類学系(もとは考古人類学系と称した)の宋文薫教授らとともに
発掘にたずさわった台湾東南部の卑南遺跡は、印象的な玉器や特徴的な墓制を持ち、
台湾新石器文化を代表する遺跡として国内外に知られている。近年は卑南文化公園や
国立台湾史前文化博物館において遺跡・遺物の公開が進められているこの卑南文化を
中心に、パワーポイントを使いながらなるべく平易に概説したい。なお、この卑南遺
跡は1896年に鳥居龍蔵が発見したもので、その後1945年に台北帝国大学の金関丈夫・
国分直一の両氏が発掘をおこなっている。日本の人類学・考古学史にとってもゆかり
の深い遺跡といえる。


No.60 2004218日(水)18時〜
クリス・グレゴリー
(オーストラリア国立大学、京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科客員教授
題目:The Oral Epics of the Women of the Dandakaranya Plateau:
A Preliminary Mapping
場所:京大会館二階 212号室 

要旨:Anthropological studies of the oral epics of India are still in their
infancy. Existing studies show that men are the principal singers. The
songs they sing about reflect male concerns about wars and conquest; the
rituals they perform whilst singing them tend to have death as a central
theme. A contrary tradition, hitherto unreported, exists among the women
singers of the Dandakaranya plateau of middle India who sing about birth,
food production, and domestic violence. A preliminary mapping of these
epics shows how they are grounded in the ecology of the Dandakaranya plateau
 and in the sociology of the patriarchal household. We can learn much about subaltern thought from these epics but before the theoretical implications of them can be developed much more primary research needs to be done.

クリス・グレゴリー氏は、オーストラリア国立大学に所属する著名な人類学者で、現
在、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科の客員教授として来日中です。
パプアニューギニアにおける交換と商品について論じたGifts and Commodities
(Academic Press , 1982).
は、経済人類学の分野で新しい古典としての地位を確立し
ています。氏は、パプアニューギニアに続いて、中央インドのバスター地方でフィー
ルドワークを行い、その成果は二番目の主著であるSavage money : the
anthropology and politics of commodity exchange. (Amsterdam : Harwood
Academic , 1997)
 にまとめられました。現在は、精力的なフィールドワークを引き
続きバスター地方で行っており、研究対象を、女性の口頭伝承、親族と婚姻、米作に
まつわる神話と政治などに広げておられます。その成果の一部は、Lachmi Jagar:
Gurumai Sukdai's Story of the Bastar Rice Goddess. (Kondagaon: Kaksad
Publications 2003)
として発表されています。


No.61(公開講演)4月17日(土)午後1時半ー5時半

講演者 田辺繁治(国立民族学博物館名誉教授)
題目 夢と憑依の人類学」
司会 速水洋子(京都大学)
コメンテータ 船曳建夫(東京大学)、杉島敬志(京都大学)、岩谷彩子(京都大学)
業績紹介 西井涼子(東京外大AA研) 
場所 京都大学文学研究科新館2F大講義室
懇親会 京都大学正門 カンフォーラ 

趣旨:講演者の田辺先生は、国立民族学博物館を拠点におよそ30年にわたって、タ
イ研究と社会・文化人類学の分野において多大な寄与をなし、後進の指導にあたられ
てきました。さらに、英国とタイを中心に研究者との交流を重ねられ、指導的な立場
から将来の研究活動の方向を示してきました。最近では「実践」をキーワードに『生
き方の人類学』(講談社新書)や研究会の成果『日常的実践のエスノグラフィー』
(共編)を公刊しています。このたび、田辺先生が民博を退官し、大谷大学に移られ
るのを機に、京都人類学研究会では田辺先生の講演会を開催したいと思います。公開
講演会ではありますが、数名のコメンテータを通じて議論を深めていきたいと思いま
す。


No.62 520日(木)午後615分―午後830

講演者 栗本英世(大阪大学大学院人間科学研究科教授)
題目  内戦下における平和構築の課題―17年ぶりに再訪した南部スーダンの調査
から
場所 京都大学総合人間学部1号館 1階1102講義室

要旨 21年にわたって継続し、200万を超える死者と数百万の難民・国内避難民を生み出したスーダン内戦も、昨年来本格化した政府と解放戦線SPLAとの平和交渉の進展によって、ようやく終結への展望がひらけてきた。しかし、ナショナルなレベルでの内戦の主要な主体である政府と解放戦線とのあいだの平和協定が、いかに包括的で双方の合意に基づくものであっても、持続的な平和を保証するものではない。内戦は、ナショナル、ローカル、エスニック、さらにはインターナショナル、トランスナショナルな主体が複雑にからまりあいながら、さまざまなレベルで進行してきた。政府と解放戦線は、主要ではあるが、多数の主体のなかの二つにすぎない。また、内戦の過程で、エスニックな集団間と集団内の関係、世代間の関係、さらには個人レベルの関係は、高度に政治化・軍事化されており、こうした問題が正面から検討され、適切な対処がなされないかぎり、持続的平和の実現は困難である。その意味で、内戦が継続中の段階から、「草の根レベル」の平和構築の試みを実施することの意義はきわめておおきいと考えられる。
 発表者は、200312月から翌年1月にかけて、1970年代末から80年代中期にかけてパリ(Pari)人に関するフィールドワークをおこなった、南部スーダンの東エクアトリア地方を17年ぶりに再訪する機会をえた。これは、この地域で3年間にわたって「草の根平和構築プログラム」を支援してきたオランダのカトリック教会系NGO、パックス・クリスティから、中間評価の依頼を受けて実施されたものである。本発表では、国際NGOの支援を受けた「草の根平和構築プログラム」の困難性と可能性を、人類学の実践的課題として考えてみたい。
発表者は、2000年以降、ケニア、ウガンダ、スーダンにおいて、パリ人を中心とする難民と国内避難民の調査研究を実施してきた。また、2004年2月には短期間ではあるが、国際会議参加のため、首都ハルツームに滞在し、3月には外務省の委託を受けて、インターナショナルなレベルでのスーダン平和調停に関する調査をケニアとエチオピアでおこなった。これらの調査の経験と成果も織り交ぜつつ、報告する予定である。



No.63
 6月22日(火)18時半〜
講演者 田辺明生(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科助教授) 
題目 「倫理と民主の人類学−インド地域社会からの考察」 
場所 京都大学総合人間学部1号館1103教室


要旨 1990年代のインド社会は、「第二の民主化の波」と経済自由化を経て、大きく
変容した。地域社会においても、カースト間関係およびローカル・ポリティックスに
おける平等化・民主化の動きは著しい。こうした社会変化を、単に民主主義の浸
透と理解するのでは、地域の人々のエージェンシーをまったく無視してしまうことと
なる。ここでは、地域の人々が、実践的に身体化している倫理をいかに創造的に
改変し、民主主義の理念と実践と媒介することによって、どのような新たな価値と
実践を作り出しているかについて論じたい。またより理論的な側面としては、本発
表は、社会変化を説明するモデルの試論であり、「反省する身体」としてのエージ
ェントおよび「文化資源」と「社会実践」に注目する。



No.64  6月22日(火)18時半〜
報告者  Tony DiStefano カリフォルニア大学ロサンジェルス校博士課程
タイトル Exploring Violence Involving Sexual Minorities In Japan
場所   京都大学総合人間学部1号館 11103講義室


 2005

No.65 200542818:00
報告者
題目「自らの/他者の行為を『抵抗』として眺めること」
コメンテータ 杉島敬志 石井美保
会場 京大会館 
要旨

描写(記述)と描写される現実とのあいだの反照規定性については、人類学においても繰り返し主題化されてきた。しかし行為論、実践論の論脈ではこの問題は充分に論じられてきたとは言いがたい。誰が誰の行為をどのような記述のもとでとらえているか(これを「解釈」の問題とかんちがいしないようにしよう)は、社会的な出来事そのものの経緯に、したがって社会空間の生成と展開に構成的に関わっているので、記述の反照規定性の問題はむしろ実践論、行為論においてこそ中心的な問題であったはずなのだ。今回の発表では、この問題をいわゆる「日常的抵抗論」についての批判的検討を通じて展開し、行為論の論脈における記述の反照規定性の問題が人類学そのものの記述実践に対してもつ意味についても考察したい。


No.66 526日(木)18:30開始
発表者 倉島哲氏(京都大学人文科学研究所助手)
発表題目 身体技法とは何か――モース「身体技法論」の再読と武術教室の事例研究       を通して――
コメンテータ 金子守恵氏(アジア・アフリカ地域研究研究科)
発表要旨:

 身体技法とは、様々な生理的必要性を満足するための文化相対的な方法であると一般には考えられている。たとえば、歩くという生理的必要性がそれぞれの文化においてどのように満足させられているかを歩く身体技法として記述することができるだろう。しかし、身体生理と文化的表現という二元論は、本質主義的身体観を乗り越えているかに見えて、実際はこれを固定化してしまうことがジュディス・バトラーらによって批判されている。
 本報告では、身体技法の概念がこの二元論を流動化させうることを示し、この概念を現代的文脈において再生することを試みたい。その方法として、第一に、身体技法の概念が最初に提出されたマルセル・モースの「身体技法論」を読解する。身体技法とは本来、実践の名目的同一性の背後に発見された、生理的・心理的・社会的な差異によって照らし出された概念であることが示され、「差異が反照した身体技法」という概念が提出される。次に、私が1999年より2005年までフィールドワークを行ってきた京都市にある武術教室S流を考察することで、実践の名目的同一性の背後に具体的にどのような差異が発見され、それがどのように実践とアイデンティティを流動化するかを考察したい。

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No.67
日時:2005623() 18:00開場、18:30開始
場所:京都大学人間.環境学研究科棟2階 233教室
発表者:金孝眞氏 (京都大学人文科学研究所 外国人共同研究者)
コメンテータ:野田浩資氏 (京都府立大学福祉社会学部 助教授)
       Kati Lindstrom氏 (京都大学人間・環境学研究科 修士課程
タイトル:
90年代以降京都における町家再生運動と地域コミュニティ
 ―西陣のケースを中心に」

 最近町家はすっかり京都の生活文化の象徴として認められ、その保存や活用を目指す行政や町家関連NPOの活動も活発であるが、このような現象は主に90年代以降のもので、町家や京都のイメージの変化を表している。この報告では、まずこれらの変化の原因と意味を京都の地域アイデンティティや景観論争、新しいテイスト(レトロブームなど)の浮上という現象との関わりの中で考察する。また、今まであまり注目されなかった、町家が置かれている地域コミュニティのレベルで町家はどのような意味を持つか、また町家再生運動がどういうふうに受け止められているかを主に西陣S地域の新しい祭りのケースを通して考える。他の観光資源とは違い、文化財というカテゴリーでは括れない京町家の特性上、実際の地域コミュニティにおける京町家の問題は一般の認識より遥かに複雑かつ多様であるということを、私が2年にわたって行ってきた西陣でのフィールドワークの結果を基に具体的に見てみたい。


No.
日時:2006929日(金) 18:00開場 18:30開始
場所:京都大学人間・環境学研究科地下B23A
 
【発表者】加瀬澤雅人(国立民族学博物館 外来研究員)
【タイトル】現代インドの民族医療−グローバル状況におけるアーユルヴェーダの変容
 
【要旨】近年、アーユルヴェーダは世界的な医療となりつつある。南アジア地域固有の医療実践であったアーユルヴェーダは、今日では世界各地に拡大し、それぞれの地域で新たな解釈が加えられて実践されている。インドにおいて、アーユルヴェーダがグローバル化していることの影響は大きく、世界との かかわりのなかでこの医療実践は変容し、再構成されている。本発表では、インドのアーユルヴェーダの治療家たちが、グローバル状況下どのように治療にかかわる知識のありかたを変化させているのかを紹介する。そして、医療実践の再構成において、いかなる認識や知識のありかたが、その方向性の決定付けに際して重要な要因となっているのかを検討する。 

No.
【日時・場所】
 日時:20061027(金曜日)18;00開場 18:30開始
 場所:京都大学人間・環境学研究科地下B23A
 
【発表者】清水 展 教授 (京都大学東南アジア研究所) 
【タイトル】「北部ルソン・イフガオ・ハパオ村の植林と文化運動グローバル化(アメリカ化?)に対峙、対抗、あるいは便乗する企て」
 
【研究紹介・要旨】1997年以来、毎年、短期の調査を続けているイフガオ州ハバオ村は、第二次大戦中に山下奏文総司令官の率いる日本軍主力部隊が最後にたてこもった地区の中心に位置する。現在では土産用の木彫り細工の製作と壮麗な棚田の景観が有名であり、1995年にはユネスコの世界に登録された。その村で、「イフガオ・グローバル森林都市運動」と称する住民NPOによる植林運動、文化復興、社会開発の試みが進められている。そのリーダーのロペス・ナウヤック氏が、「ハパオ村の一帯は、第二次世界大戦の最終決戦の場となりかかったが、森の霊気によって山下将軍の荒ぶる心が宥められ、平和が降臨した。だから日米の心ある人々は、そのことを思い起こし、村の発展のための植林と文化運動を支援してほしい」と訴えている。彼の歴史解釈と意味付与実践の仕方、および実際のさまざまな活動がに関心がある。また彼の訴えに応えて、兵庫県丹波篠山の小さなNGOが、2001年以来、総額で4,000万円に達する国際協力を続けており、国境を越えた草の根支援・連携のあり方として興味深い。

No.
シンポジウム「マンガと人類学」
【日時と場所】
日時:20061216日(土)10:0015:00
場所:京都国際マンガミュージアム一階「多目的映像ホール」(京都市中京区烏丸御池上ル)
 
【ご案内】京都におけるユニークな学問的系譜の継承と革新をめざす「京都人類学研究会」。そして、同じく京都でマンガという文化を新たに    発信し始めた「京都国際マンガミュージアム」。この一見無関係な2つがコラボレーションすることで、これまでほとんど論じられなかった「マンガと人類学」の関係を改めて考える!
 
<第一部 世界のマンガ文化> 10:0012:00
 マンガミュージアムオープニング企画展「世界のマンガ展」にからめて、世界各地におけるマンガの受容状況をレポートしていただく。同時に、マンガと人類学の関係について考える。
総合司会:吉村和真(京都精華大学助教授)
スピーカー:村上知彦(マンガ評論家・神戸松蔭女子学院大学専任講師/東アジア)「受容から発信へ 東アジアとまんがの21世紀」
都留泰作(文化人類学者・マンガ家・富山大学助教授/アフリカ)「経験としての人類学、そしてマンガ。アフリカと沖縄から
マット・ソーン(文化人類学者・京都精華大学助教授/アメリカ)「コマの中を形づくるコマの外の世界」
 
<第二部 諸星大二郎の世界> 13:0015:00
 マンガ家の諸星大二郎氏と評論家の呉智英氏をお迎えし、『マッドメン』に代表される諸星作品の「神話」的世界を読み解く。また、マンガという表現に描出される現代社会における「神話」的機能を読み解く。
対談:諸星大二郎(マンガ家)
   呉智英(評論家)
 
☆諸星大二郎プロフィール1949年、東京都出身。1970年、「ジュン子・恐喝」が『COM』に入選し、デビュー。1974年、『生物都市』で第7回手塚賞入選。代表作として、「妖怪ハンター(稗田礼次郎のフィールド・ノート)」シリーズ、『
暗黒神話』、『孔子暗黒伝』など。2000年、『西遊妖猿伝』で第4回手塚治虫文化賞受賞。人類学・民俗学的モチーフにあふれた独自の世界は、文化人類学にも多大な影響を与え続けている。
 

No.
【日時と場所】
日時:2007119日(金) 18:00開場 18:30開始
場所:京都大学人間・環境学研究科地下B23A
【発表者】蛭川立氏(明治大学情報コミュニケーション学部助教授)
【コメンテータ】岩田一樹氏(情報通信研究機構未来ICT研究センターCREST脳機能イメージングチーム研究員)
【演題】ブラジルの集団的宗教儀礼における物理乱数発生器のゆらぎの計測
【要旨】コンピュータで「真の」乱数を使用するために、ダイオードに逆電圧をかけたときに生じるトンネル電流を利用した物理乱数発生器(RNGまたはREG)が使用されている。つまりこの乱数は量子論的で原理的にランダムな物理過程にもとづいて生成される。ところで、多数の人間が集まって感情的に高揚している場ではこのRNGの出力のゆらぎのランダムさが減少する(エントロピーが減少する=情報量が増大する)ことが統計的に知られている。メカニズムは不明だが、量子力学における観測問題との関係が議論されている。本研究は、この方法論を宗教人類学的フィールドに応用することを試みたものである。主に南部ブラジル・パラナ州における、集団トランス的宗教儀礼(グアラニ人のマテ茶会、カンドンブレ、ウンバンダ、サント・ダイミなどのアフロ・ブラジリアン系儀礼)においても同様のランダムさの減少が観測されたことについて報告し、またこのような視点からの研究の今後の可能性についても展望したい。
 
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No.
【日時と場所】
日時:2007316日(金) 18:00開場 18:30開始
場所:京都大学人間・環境学研究科地下B23A
 
 
 
【発表者】春日直樹氏(大阪大学大学院人間科学研究科教授)
 
 
【タイトル】「旧人類学 新人類学」
 
【発表要旨】最近の人類学の状況をみると、新旧二つのタイプが入り交じっている印象を受ける。たとえば、旧い人類学が「成員」「システム」「社会」などをキーワードにしつづけるとすれば、新しい人類学では「エージェンシー(アクタント)」、
 
 
「ネットワーク」、「集まり」[assemblage]が重要な用語である。旧い人類学が社会的文脈の重視を説くのに対し、新しい人類学では構成要素を明確化しながら分析を開いておくことに注意を払う。旧い人類学が人間の顔のみえる記述を大切にするのに
 
対し、新しい人類学では「人間」がどうやって構成されるのかを問う。旧い人類学が研究対象との距離の縮小を突きつけられて危機意識を深めたのに対し、新しい人類学はむしろ対象と人類学的知識との相同性をみいだす好機ととらえる。旧い人類学に
とって、新しい人類学は社会の個人化や知識化という現象の産物に映り、そのためにしばしば、浅薄な現実理解のように思える。
新しい人類学にとってはそうした批判こそが時代遅れであり、自分たちは現実に即して現実をとらえようとするのだと考える。
新しい人類学と旧い人類学の優劣を決することは容易ではない。二つは年齢や世代と必ずしも符合するわけでもない。確かなことは、両者の違いが「社会」「人」「行為」といった人類学の基本用語をめぐるイメージの差異と深く結びついている点である。
本発表は人類学の針路を論じるための第一歩として、こうした基本用語を再検討する。

No.
【日時と場所】
日時:2007412日(木) 18:00開場 18:30開始
場所:京都大学 百周年時計台記念館2階 国際交流ホールII
【発表者】内堀基光氏(放送大学教授)
【コメンテータ】松田素二氏(京都大学教授)
信田敏宏氏(国立民族学博物館助教授)
【タイトル】「民族誌を乗り越えていくために:人類学のボリシェヴィズム」
【発表要旨】演説をする。
人類学によって何をなすべきか、何をなしうるか。
期待と可能性の具体的な射程は、人によってずいぶん違うと思う。
だが、これまでの(社会・文化)人類学の核となる実習に民族誌があったこと(だけ)は確かであり、この実習形態は、その対象を時に応じて変えつつも、アカデミアのなかにこの分野があるかぎり存続してゆくであろう。
というよりも、この実習形態を固有の記述の方法として主張しつづけることによって、人類学は当面は生き延びることができるし、この記述法に関して、さまざまな理論(記述理論)を練り上げることを通じて、死に体でないふりもできる。
けれども確実に、そうした生存法は人類学の対象を過剰に拡大することによって、ディシプリンのボーダーを曖昧にする。
それで良い、それが良いという立場をとる研究者が多数ではあると思う。
ディシプリンの境界、対象の範囲などは歴史的に可変であって当たり前だから、このことをとやかく言うつもりはない。
だが、これによって名称と制度の存続を図るというのであれば、本末転倒である。
私は旧い人類学の志に固執しているので、志がなくなったところに、名が残っても、かなわない気がするだけである。
この旧い志のあり処を語りたいが、予告的に一言で言い表わせば、それは人類総体の未来に向けた可能性とその限界についての実証にもとづく思惟である。
これは、現実の記述と分析とは異なる意志の働きである。

No.

【日時と場所】
日時:2007622日(金)18:10開場 18:30開始
場所:京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 中央総合研究棟(旧・工学部4号館) 4階会議室(AA447

【発表者】橋本和也氏(京都文教大学人間学部教授)
【演題】「『地域文化観光』と『地域性』−『真正性』の議論を超えて−」
【要旨】
地域とは本来関係のないものを地域の売り物にした有名な例がある。湯布院の馬車と音楽祭・映画祭である。
一方、通常のまちおこし・地域おこしでは地域で昔から継承された「伝統」や「地域の文化資源」の創出が話題になる。
この両者を比較しつつ、「地域文化観光」において「地域性」なるものに柔軟性をもたせる意味、すなわち観光の現場では「真正なる伝統性」といった議論に足を引っ張られることなく、地元の人々が創造する「地域性」の意味にこそ注目すべきであるということを訴えたい。
  目次は以下の通りである。
     
[T]「地域文化観光」の事例
      (1)湯布院の事例
   
    (2)内子の事例
   [U]真正性の議論と「地域性」
      (1)真正性の議論
       (2)「地域文化観光」における「地域性」
    [V]「地域文化観光」の現場における国家的規制とその利用
      (1)道路規制 −宇治橋通り商店街−
           
(2) 国の事業、市の事業 −遠野市
           
(3)マンション建設反対のための「伝建」 −川越一番町−
       [
W]「真正性」の議論を超えて ―まとめー


No.
【日時と場所】
日時 200777日(土) 1330開場 14:00開始
場所 京都大学吉田南キャンパス 総合人間学部棟11102講義室
【演題】シンポジウム『台湾をめぐる歴史人類学の現在』
【コーディネーター・司会】王柳蘭氏(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)
【趣旨】先住民(原住民)をめぐる外来者との接触と社会変容、漢民族の移住と開拓、オランダや日本による植民地支配というさまざまな歴史経験が織りなされた台湾を研究する人類学者をお招きし、台湾をめぐる歴史人類学的研究の現在についてお話しいただきます。
【発表者】
王柳蘭氏「シンポジウムの趣旨」
植野弘子氏(東洋大学)「台湾アイデンティティをめぐる人類学研究の課題−『中華』、日本の植民地」
松澤員子氏(神戸女学院大学)「1970年代初期の台湾原住民社会―日本植民地統治から中華民国統治への適応と葛藤」
野林厚志氏(国立民族学博物館)「台湾の『先住民』とは誰かという問題―考古学と民族学との接点と矛盾」
山路勝彦氏(関西学院大学)「多文化共生のもとで―台湾平埔族、民族の覚醒?本来性への願い?」
【発表要旨】
 植野弘子氏(東洋大学)
 台湾において、「台湾認同」(台湾アイデンティティ)とは、自らを「中国人」であるよりも、「台湾人」であるとする意識であるが、それは、「中華」における台湾を、また50年に亘る日本による台湾の植民地統治をいかに認識するかがあらわれているといえよう。こうした台湾アイデンティティが形成されるまでの政治動向は、台湾に関する人類学研究のあり方にも反映されている。本報告では、特に、中国大陸にルーツをもつ漢民族にとっての「台湾認同」をめぐる人類学的研究を検討する。日本統治期には、台湾の漢民族に対する人類学研究は未発達であったが、日本化の波の中にあった彼らの民俗は多様な形で書き残された。その後、台湾は、フィールドワークを行うことが困難な中国大陸の代替地として人類学研究のフィールドとなり、「中華」のなかに位置づけられたといえよう。そして社会情勢の変化によって起こった台湾研究の興隆とともに、人類学研究も、台湾の独自性、また日本統治期やポストコロニアルな状況に目を向けるにいたっている。台湾漢民族の「台湾認同」に関して、台湾の人々による歴史認識や生活世界の認識を踏まえた人類学研究はいかに可能か、先行研究の検討から今後の課題を提示したい。
 
 松澤員子氏(神戸女学院大学)
 日本植民地統治の影響が色濃く残っていた1970年代初期から、台湾社会の高度経済発展の影響を受け始めた1970年代後半にかけて、台湾原住民社会、特に報告者がフィールドワークを行ったパイワン族社会を中心にその実態を報告したい。その中で民族としてのアイデンティティ形成過程の揺らぎに注目する。
 
 野林厚志氏(国立民族学博物館)
 日本統治時代における台湾の考古学研究は、考古資料の由来や機能を当時の原住民族の人々の生活や物質文化と照らし合わせながら考察する傾向が強かった。これに対して、「光復」後の考古学研究は、生業研究や遺跡分布論の視点がとりいれられ、地域文化の設定とそれらの編年とに勢力が注がれる一方、台湾の先史時代の文化的な位置づけが大陸との関係の中で考えられる視点も生まれた。大岔坑文化圏の設定はその一つの例であろう。こうした研究のながれを変えたのが、十三行遺跡の発掘調査であった。十三行遺跡は大規模な発掘が行なわれると同時に、遺跡を中心とした博物館が建設され、調査や研究の成果が広く一般に公開されている。ここで留意すべきは、この遺跡が台湾原住民族(平埔族)によって残された可能性が指摘されてきたことである。換言すれば、台湾の先史時代に台湾原住民アイデンティティが存在したという議論が行なわれているのである。
 台湾における考古学的研究は、鳥居龍蔵が行なった園山貝塚の表層調査を嚆矢とし、以後、日本の研究者、台湾の研究者を中心に進められてきた。17世紀以降に残された歴史遺址は別とし、台湾の考古学遺跡の大半はいわゆる先史遺跡に相当しているため、その調査、研究は考古学的手法を中心に行なわれることになる。一方で、台湾の先住民は誰かという問題は、つね
にこうした先史遺跡を誰が残したのかという問題と表裏一体となって考えられる傾向は強い。今回の発表ではこうした点を中心としながら、民族学と考古学の接点と矛盾について考えてみたい。
 
 山路勝彦氏(関西学院大学)
 民進党の陳水扁が政権を獲得し、民主化を推進してきたなかで、台湾は多文化共生を国策として採用してきた。多くのテレビ局が林立するなかで「原住民電視台」が作られ、「原住民」関係の報道番組が日夜、放映されるようになってきたなかに多文化主義をかかげる台湾の現在を見ることができる。
 1980年代、日本の植民地統治、そして戦後の国民党統治によって奪われた権利の主張をかかげて組織された「原住民」も、現在では一定の政治的立場を確保し、さらに自己の認同を求めてさまざまな活動をするようになった。こうしたなか、漢民族の文化を受容して漢化した人たち、すなわち「平埔族」にもいくらかの変化が生じてきた。漢族との族境(民族境界)を曖昧
にし、漢族の一員であるかのように振舞ってきた平埔族は、しかし事情は複雑である。この発表では、この平埔族の動向を追いながら、台湾の民族事情の昨今をみておきたい。
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No.
【日時と場所】
日時:20071012日(金)18:10開場 18:30開始
場所:京都大学吉田南キャンパス 総合人間学部棟11102講義室
【発表者】竹沢尚一郎氏(国立民族学博物館教授)
【演題】「文化」概念を廃棄すべきか?
文化の名による統合と排除−フランス移民第2世代の試み
【要旨】
「文化」はどのようにして少数派を排除するための道具となってしまったのか?
排除と抑圧の道具と化している「文化」概念を、どのように解体し、あるいは代替する概念をつくり出していくか?
私は発表でこれらの課題に取り組む予定であるが、それに際して依拠するのはつぎの2点である。
1.フランスにおける移民第2世代に対する政治−文化的排除。
2.合衆国人類学における「文化」概念の、今から見れば誤ったとしかいえない定式化。
貧困その他の社会問題は、労働組合や市民団体等による社会運動を通じて回収されるというのが、社会学のメタ物語であった。ところが、今日ヨーロッパ各国で生じているのは、外国人移民とその子弟に対する文化の名による排除であり、これに対しては社会的アクターも、メタ物語も作り出すことができていない。この問題に対してどのような取り組みがなされており、どのような課題が積み残されているか、を検討することを通じて、「文化の諸問題にかかわる学」としての人類学について考えたい

No.
【日時と場所】
日時:20071116日(金)16:30開場 17:00開始

 
 
 
 
 
 
 
 
 
場所:京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 中央総合研究棟(旧工学部4号館4階会議室(AA447
【発表者】青木恵理子氏(龍谷大学社会学部)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
【演題】社会変容の固有音と通奏低音:「改革」の時代のインドネシアにおける東部インドネシア・フローレス島の事例に焦点をあてて

 
 
 
 
 
 
 
 
 
【要旨】
 スハルト政権が19985月に倒れてから、インドネシアでは、「改革reformasi」、なかでも地方分権化と民主化が、急速に推し進められてきた。分権化・民主化の影響は、中央からの距離、階層、文化の違いによって大きく異なる。影響の大きい地方、階層、文化についてはよく取り上げられるが、影響のとらえどころのない地域や文化はほとんど取り上げられない。しかし、そのような地域は少なくない。ここで取り上げるフローレス島中央山岳部のWG地域はその一例である。
 言うまでもないが、インドネシアの地域社会は多様である。17世紀にはジャワ島を、20世紀初頭からインドネシア各地を巻き込んでいった植民地体制による抑圧と教化、第二次世界大戦後のインドネシア国家体制による抑圧と教化から、WG地域はごく限られた影響しかうけてこなかった。辺境にある、持たざる者たちの幸運により、植民地政府もインドネシア中央政府の持続的な介入から免れてきた。植民地化以前にも、ヒンドゥー、イスラム王権の影響をこうむった証拠はみられない。かなりの程度、自治と民主的な社会を実現してきたWG地域にとって、インドネシア政府による分権
化と民主化の推進はどのような意味を持つのだろうか。
 インドネシアにおける分権化は、その見せかけに反して、グローバルな圧力のもと、ナショナルな中心周辺構造を守るために施行された。確かに、天然資源の豊富な地方、抑圧蹂躙されていた地方には、望ましい一面を持っている。しかし天然資源を欠き、中央政府によって持続的な関心を払われてこなかったWG地域の生活世界に、分権化の直接的な影響を見い出すことはむずかしい。
 2004年の直接総選挙、正副大統領選挙は、インドネシアにおける民主主義が一応の成立を見たとされる。しかしながら、選挙の結果からは、「ジャワ(中心主義)+エリート統治」の基盤となる選挙民主主義体制成立が見て取れる。インドネシアの推進する「民主化」は、自治と民主的な社会を実現してきたWGの人々にとって、統治される周辺的国民となる契機となるかもしれない。
 このような「改革」の時代に、WG地域社会の中核部分でかなり興味深い変化が見られた(2006年フィールドワーク)。それを紹介しながら、「社会変容の固有音と通奏低音」について考察する。

No.
【日時と場所】
日時:20081017日(金)1800開場 1830開始
場所:京都大学総合研究棟2号館(旧工学部4号館)4階会議室(AA447
【演題】見えないもののリアリティ:タイのピー信仰へのアプローチ
【発表者】津村文彦氏(福井県立大学学術教養センター講師)
【コメンテータ】山田孝子氏(京都大学大学院人間・環境学研究科教授)
【要旨】 
 東北タイ村落の呪術師のもとに、「悪霊(ピーポープ)に取り憑かれた」とされる若い女性が連れてこられた。呪術師によると、その悪霊は隣の村に住む老婆から発生したものだという。それを聞いた村人は「女性の夫が老婆の村に博打によく出かけていた」、「老婆は国道脇の土地を売って最近大金を手に入れたらしい」などと語り合う。
 この状況を目の前にした文化人類学者は、しばしば機能主義的に、あるいは象徴論的に、悪霊をめぐる〈社会的現象〉を分析する。「伝統的慣習」の維持に機能するものとして、あるいは外部から侵入する「近代」・「貨幣」を表象するものとして、悪霊をめぐる信仰を解釈する。しかし、「モラルの維持」や「社会的紐帯の強化」をキーワードにした機能主義的/象徴論的な視角は、ある程度の切れ味を見せながらも、悪霊の本質には決して届かないのではないだろうか。本発表で、古典的な文化人類学的手法への懐疑を出発点としながら、悪霊という超自然的存在を理解する際のもう一つのアプローチを探る試みを示したい。
 対象とするのは、タイ東北部におけるピー phii と呼ばれる精霊であり、そのピーについての様々な語りである。タイ王国の宗教複合のひとつとして数え上げられることの多いピー信仰は、守護霊祭祀を通じた社会構造との関連性や、上座部仏教との関係に注目されて、これまでの研究が蓄積されてきた。だがこうしたアプローチではピーをめぐる現実の重要な部分が充分に掬いきれない。「ピーが社会的含意として別の何かを表している」という説明の位相とは異なったところにある、「目に見えない何かについて恐怖する」というそこに生きる人々の社会的現実が抜け落ちるのである。ピーをめぐる社会的現実を支えるものは何かを問うことで、ピーという超自然的存在がもつ本質に迫ることが本発表の目指すところである。
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No.
【日時と場所】
日時:2008117日(金)1800開場 1830開始
場所:京都大学総合研究棟2号館(旧工学部4号館)4階会議室(AA447
【演題】ジャマイカからみた日本のレゲエ文化:アフロ−アジア民族誌に向けて

 
 
 
 
 
 
 
 
 
【発表者】マーヴィン・スターリング氏(インディアナ大学人類学部/京都大学人文科学研究所招聘研究員)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
【要旨】
人種概念のパフォーマティビティと表象への理論的な関心のなかで、これまで日本におけるジャマイカン・ポップ・カルチャーの受容について幅広く調査をしてきた。本発表では、国際的なレゲエ・シーンでの日本人アーティストの活躍に対して、ジャマイカでどのような反応が起きているのか、考察する。そして、アフロ−アジアに関する民族誌的研究のアプローチが、ジャマイカ人と日本人とのあいだで展開しているグローバルな異文化接触を考えるための有効な視座であると論じる。とくに今回は、「アフリカ人」と「アジア人」とのあいだの3つの鍵となる言説的つながり、「植民地近代」・「ポスト植民地」・「グローバル・ポスト近代」について分析する。(※発表は日本語で行われます)
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No.
【日時と場所】
日時:2009116日(金)18:30
場所:京都大学稲盛財団記念館3階中会議室(京都大学東南アジア研究所キャンパス内)
【発表者】大村 敬一 氏(大阪大学大学院言語文化研究科准教授)
【タイトル】人類イヌイト化計画:解放と連帯のための美学
【要旨】

 
 
 
 
 
 
 
 
 
「知識」とは何だろうか。私たちは脱コンテキスト化された「知識」を当たり前と考えることに慣れすぎてはいまいか。「知ってゆくこと」から「知識」を脱コンテキスト化して抽出し、その「知識」を記述したり、伝達したり、継承したり、利用したり、果ては売り買いすることの意味をどこまできちんと考えているだろうか。
 この発表では、発表者の調査の成果に基づいて、カナダ極北圏の先住民であるイヌイトのIQ(「イヌイトが知ってきて知りつつあること」Inuit Qaujimajatuqangit)とは何かについて考察しながら、以下のことについて論じ、人類学が目指すべき地平について考える。
(1)IQとは、イヌイト個々人が人間を含めた万物と関係を切り結んでゆくための相互行為の作法のことであり、「知識」というかたちで分離することはできない。
(2)現在、極北圏の環境管理や環境開発の現場やヌナヴト準州政府の運営の現場でイヌイトが主張しているのは、テクノサイエンスや官僚制が万物を管理する作法とは異なるIQという作法に正当性があるということであり、自らの作法が蒸留と区分化の操作によって「知識」に変換されてテクノサイエンスと官僚制の支配と管理の作法に取り込まれることに対する抵抗である。
(3)IQがテクノサイエンスや官僚制と異なる点は、テクノサイエンスや官僚制が意識的な超コード化(もしくは第三項排除)によるものであれ、脱コード化(「帝国」のやり方)によるものであれ、支配と管理(もしくは搾取と抑圧)の様式で万物を秩序化する一方で、IQは偶然を利用する繋がりによって多次元的な平面を多重的にコード化することで、万物と多平面的に接続してゆく様式で万物と交流する点にある。この意味で、IQには、支配と管理の様式で万物を搾取して抑圧してしまうテクノサイエンスや官僚制のやり方とは異なる万物との交流の作法が示されていると言える。
(4)もちろん、テクノサイエンスや官僚制のすべてが悪いわけではなく、その働きによって人類はかつてないほど緊密に結びつき、大きな幸せを手にした。問題は、その作法には支配と管理(搾取と抑圧)の構造が組み込まれていることであり、この構造を固定化することなく流動化して相対化することである。支配と管理の様式が役立つ場合もある一方で、それが固定化してしまうと搾取と抑圧が恒常化してしまうからである。
(5)IQの多次元的接続の作法はテクノサイエンスや官僚制の支配と管理の作法に論理的に先立つとともに包摂するため、IQの作法の多次元的な接続の一部にテクノサイエンスと官僚制の作法を組み込んで相対化することが可能である。これを「人類イヌイト化計画」と呼びたい。この計画はテクノサイエンスや官僚制の近代の作法をIQの多次元的接続の作法で補完するという意味で「人類補完計画」と呼ぶこともできる。
(6)人類学が目指すべき地平とは、この「人類補完計画」(私個人としては「人類イヌイト化計画」)を実施するために、生きた「社会的労働」もしくは「協働」(マルクス)あるいは「仕事」(今村仁司)を「知識」や「具体的有用労働」(生産的労働)に蒸留して区分化するのではなく、多次元的に接続するための作法を考えだすことにある。それは「知識」の記述と流通ではなく、人のあり方を身体に閉じ込められた個体から解放しつつ新たな連帯の様式で結びつける作法の研究、すなわち解放と連帯の美学のかたちをとるかもしれない。
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No.
(共催:京都大学東南アジア研究所)

【日時】 2009327日(金)18:30
【場所】 京都大学総合研究2号館(旧・工学部 4号館)4階 会議室(AA447)
     会場までの道のりは、以下をご覧下さい。http://www.asafas.kyoto-u.ac.jp/about/access.html
【発表者】三瀬 利之 氏(国立民族学博物館 外来研究員)
【タイトル】人類学研究における〈帝国誌〉の可能性――英領インドのジェントルマン官僚に焦点を当てて――
【コメンテーター】栗本 英世 氏(大阪大学グローバルコラボレーションセンター 教授)
【要旨】
 
人類学における帝国主義研究は、植民地行政によって被った伝統社会の変化や、植民地主義と人類学との関係を問うものが主流であった。近年、「ネイティブよりの支配者」や「現地人協力者(コラボレーター)」といった行政末端の両義的存在への注目がみられるものの、植民地機構の中枢についての人類学的な研究は、いまだ萌芽的な段階に留まっているといっていいのではないだろうか。統治集団である「植民地行政官」に焦点を当てた民族誌的アプローチは可能であるのだろうか。彼らの社会的出自やハビトゥス、官僚制組織の構造や職場環境などに注目することで何かを明らかにできるのだろうか。本発表では、英領インドにおいて「新しい支配カースト」と形容されたイギリス人高級官僚団(インド高等文官)、なかでもインテリジェンス業務や社会調査に携わった内務省系のエリート官僚と彼らのカースト研究の事例から、<行政官のエスノグラフィー>ないし<帝国誌ethnography of Empire>の可能性を考えてみたい。
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No.
【日時・場所】
日時:2009519日(火)1800開場 1830開始
場所:京都大学 総合研究棟2号館(旧工学部4号館)4階会議室(AA447
【演題】在日ムスリムとしての自己の構築プロセスにみる差異の重層性:パキスタン人ムスリムと結婚した日本人女性たちの事例から
【発表者】工藤正子(京都女子大学)
【要旨】
日本に「ニューカマー」とよばれる外国人が増加し始めて約20年が経過した。そのなかには、日本人と結婚して家族を形成する人々もふえてきており、日本社会の多元化において重要な位置を占めつつあるといえるだろう。本発表は、そうしたケースのなかで、関東圏におけるパキスタン人ムスリム男性と日本人女性との国際結婚をとりあげ、結婚を機にイスラームに改宗する日本人女性の宗教的自己の形成過程に焦点をあてる。彼女たちの自己形成のプロセスに、トランスナショナルな生活世界に交差する重層的差異がいかに関与しているのかを考察することが発表の主な狙いである。また、「外国人ムスリム」として他者化されがちな夫たちの位置どりや、これら国際結婚の夫婦の一部で近年生じているトランスナショナルな家族の分散にも目を向け、それらとの関連において日本人女性配偶者たちの位置や自己形成について議論し、そこにみられる複雑な差異の交差が現代日本の多元化に示唆するところを考察したい。
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No.

【日時と場所】
日時:2009618日(木)1800開場 1830開始
場所:京都大学 
総合研究2号館(旧工学部4号館)4階 大会議室
【演題】身分契約の人類学――人と人との絆を律する法とは何か
【発表者】
石田慎一郎(大阪大学人間科学研究科特任助教)
【コメンテータ】松村圭一郎(京都大学大学院人間・環境学研究科助教)
【要旨】

血盟は、血液の交換による関係構築という側面を捉えて、身体の次元で操作される社会性・共同性の様態をよく示す事例とみなされる古典的事例のひとつである。血盟研究を再検討したルーズ・ホワイトは、市場経済と植民地行政が東アフリカの諸社会に浸透する過程で現れた都市に潜む吸血鬼をめぐる噂話を分析し、血盟における血液が人格の個別性を備えていたのに対して、吸血鬼が吸いとる血液はそうした個別性を欠く匿名的なサブスタンスだったと対照し、植民地化以降に血液が「全く新しい別の意味合い」を持つようになったと述べている。本報告は、以上のような仮説を法人類学の見地から再考し、身分契約の例外化(下記)を批判する。これまでの社会科学のなかで、血盟は婚姻とならび、それが当事者双方の意思表示の合致によって成立する身分上の取決めであり、かつ双方に対して拘束的な権利義務関係をもたらすことから、「身分契約」と呼ばれてきた。同時に、自由意思の合致による権利義務発生のメカニズムを特徴とする点において身分契約は「通常」の財産法上の契約と同様だが、効果として生ずる婚姻関係と市場取引における当事者間関係・…

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No.
【日時と場所】
日時:1016日(金)1800開場 1830開始
場所:京都大学 総合研究2号館(旧工学部4号館) 4階 大会議室
【演題】巻物のある風景 −三匹獅子舞の上演に用いられる文書類の諸相−
【発表者】笹原亮二(国立民族学博物館・准教授)
【コメンテータ】菊地暁(京都大学人文科学研究所・助教)
【要旨】
関 東地方の東京都多摩地区、埼玉県域、栃木県域の三匹獅子舞においては、獅子舞の由緒・由来を記した巻物を初め、獅子舞の伝承・上演にかかわって作成された様々な文書類が各地に伝来している。その中には、埼玉県秩父市浦山や同県越谷市下間久里のように、獅子舞の上演の現場に持ち出されて呪物や依代として用いられ、人々にその存在が提示される場合もみられる。そうした実践的な文脈における文書類の様相について、演者たちの巻物自体やその記載内容に対する認識に注目しつつ考えてみたい。
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No.
【日時と場所】
日時:20091113日(金)1800開場 1830開始
場所:京都大学 総合研究2号館(旧工学部4号館)4階 大会議室
【演題】バングラデシュの聖者廟における人類学者と現地の人々
【発表者】外川昌彦(広島大学国際協力研究科・准教授)
【コメンテーター】東長靖(京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科・准教授)
【要旨】
 バングラデシュで国民的人気を誇る聖者フォキル・ラロン・シャハ(1774?1890)が祀られる、クシュティア地方の聖者廟での政府による観光地の開発計画とそれへの反対運動をめぐる出来事の分析を通して、人類学者と現地の人々との関係を考察する。
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No.
【日時と場所】
日時:2009126日(火)1600開場 1630開始
場所:京都大学 総合研究2号館(旧工学部4号館)4階 大会議室
【演題】アフリカ都市の同郷者コミュニティとその戦術:カメルーン、バミレケを事例に
【発表者】 平野(野元)美佐(天理大学講師)
【コメンテーター】 中村亮(総合地球環境学研究所)
【要旨】
本発表では、アフリカ都市の同郷者コミュニティとその戦術について、カメルーンの首都ヤウンデに暮らすバミレケ都市移住民を事例に考察したい。
バミレケは20世紀初頭から、都市部やプランテーション地域に移住を開始し、勤勉な労働者として、また商才に長けたエスニック・グループとして有名になった。彼らはまた、移住先で同郷者コミュニティを形成し、出身村と密接な関係を保ってきた。しかし、同郷者コミュニティといっても一枚岩ではなく、世代、経済階層、性別などにより、都市での活動や村との関わり方が異なる。彼らはこのような異質性を包摂しながら、同郷者コミュニティを維持するために、さまざまな戦術を用いている。同郷会を世代、性別ごとに組織し、頼母子講の金額に幅をもたせ、時には一つのイベントに全員で関わらせる。多大な労力と時間と知恵がコミュニティに注がれるのは、それが都市において欠かせないものだからなのである。
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2009年度3月例会
【日時と場所】
日時:2010311日(木)1800開場 1830開始
場所:京都大学吉田南構内総合人間学部棟1102講義室
【演題】アボリジニ・アートの起原―工芸のグローバライゼーションと芸術
【発表者】窪田幸子(神戸大学大学院国際文化学研究科・教授)
【コメンテータ】細川弘明(京都精華大学人文学部・教授)
 【要旨】
 20世紀になってオーストラリア先住民アボリジニの美術工芸はおおきく変転した。それはオーストラリア国家と先住民との関係の変化を象徴するものといえる。彼らの伝統的な生活においてローカルな意味を持つ儀礼具や装飾文様が、20世紀初頭に人類学者やキリスト教宣教団によって「美術工芸品」として見出され、1970年代にはじまる政府の介入によって流通市場にのり、そして20世紀末にはアボリジニ.アートとして世界的に有名になった。この展開はオーストラリア国家におけるアボリジニの地位の変化とも並行して進んできた。
 その一方でこの現象は、「工芸」をめぐるローカルな価値体系がグローバルに広がり、また芸術という価値体系がアボリジニ社会というローカルな場に浸透してきていることを示している。つまり、グローバル化とローカル化がせめぎあう場面が美術工芸をめぐって現出しているのである。これはオーストラリアのアボリジニ社会に限定的なものではなく、かなりの程度の普遍性をもって世界的にみることのできる現象である。
 オーストラリアに固有のアボリジニ美術工芸を考察することで、20世紀に起きた変化の内実に迫ってみることにする。そこから「もの」をめぐっておきている先住民、国家、国際的な動きの動態的な関係が具体的に見えてくるだろう。先住民をとりまく現状理解の一助とすると同時に、マテリアル・カルチュアの新しい研究動向についても考察してみたい。
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2010年度4月例会
【日時と場所】
日時:2010423日(金)18:00開場 1830開始
場所:京大会館101号室
【演題】レヴィ=ストロースは『神話論理』で何を問うたのか?
【発表者】渡辺公三(立命館大学大学院教授)
【コメンテータ】檜垣立哉(大阪大学大学院教授)
【要旨】 
 レヴィ=ストロース(19082009)のライフワーク『神話論理』がようやく完訳された。1964年から1971年の7年間の集中的な作業で著者、レヴィ=ストロースは何を問おうとしたのだろうか。半世紀近く前の作品に、まだ読みとられるべき何かがあるのだろうか。この問いに、三つの視点を重ね合わせて答えてみたい。ひとつは、著者自身の、第二次世界大戦前夜、西欧世界の危機への1930年代の考察から始まり20世紀後半まで持続した著者自身の思考の軌跡のなかでこの作品を位置付ける視点。第二に、20世紀後半の1960年代の同時代の世界の動向の何に、著者は答えようとしたのかという視点。そして第三に、数世紀にわたる西欧の思考の歴史の流れの、どのような固有の設問の磁場のなかで、この作品の考察が実現されたのかという視点。
 『神話論理』には、神話を語った南北アメリカの諸地域のインディアンたちの声と、それを聞き取り書き留めた白人たちの言葉と、それを読み解きながら半ば匿名であろうという意思を表明する著者レヴィ=ストロースの長大な独語とが輻輳し混交した、いわばひろびろとしたヘテロトピックな作品(オペラ)という側面もある。あるいは4巻の『神話論理』が壮大な長歌だとすれば、それに続く『仮面の道』(1975)、『やきもち焼きの土器つくり』(1985)、『大山猫の物語』(1991)が反歌として応えているともいえるだろう。それぞれ大『神話論理』と小『神話論理』と、著者自身が名付けた神話研究を、今も有効な人類学的設問が埋蔵されているかもしれない鉱脈として試掘することを試みてみたい。
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2010年度5月例会

【日時】:2010514日(金)18:00開場 18:30開始
【場所】:京都大学 稲盛財団記念館3 大会議室
【発表者】梅屋潔(神戸大学大学院 国際文化学研究科 准教授)
【コメンテータ】白石壮一郎(関西学院大学大学院 社会学研究科 特任助教)
【演題】

呪詛か、あるいは政治批評か?
ウガンダ東部アドラ民族の流行歌を通して
【要旨】
ウガンダ東部トロロ県を中心にすむアドラ民族は、歌と踊りを盛んに行うことで知られている。葬送儀礼の挽歌(ajore)、雨乞い、呪詛(lam)、そして週末の宴などの席でロング・ドラム(fumbo)、弦楽器(tongol)、板と撥による打楽器(teke)といった楽器の演奏にあわせて歌い踊る。宴会でなかば即興的に歌われるもののなかには、実際の時事をあつかった歌詞も多い。本報告では、そのなかから1960年代から1970年代ごろの出来事、特にアミン政権(1971-1979)を中心として歌われたものをとりあげる。歌詞の背景にある史実と照らし合わせて、またのちにいくつも作成された歌の歌詞も視野に入れつつ歌詞にあらわれた出来事についてtipo(死霊の祟り)、lam(呪詛)、juogi(死霊)、kiddada(毒)などに彩られる当該地域の現代史解釈と評価の独自性を分析する。一般にコロニアル、あるいはポストコロニアル・エリートたちが妬みからウィッチクラフトの対象となることはよく知られている(逆に予言者などの力で現在の地位を得たのだ、と語られることもよくある)。本報告では、当該地域で具体的に誰が、どのような形で、ウィッチクラフトとかかわりを持ったと考えられているのか詳細に検討する。

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2010年度6月例会

 

【日時】:2010625日(金)18:00開場 18:30開始
【場所】:京都大学文学研究科新館2階第6講義室

【発表者】:日下渉(京都大学人文科学研究所・助教)

【演題】

フィリピン政治と争われる境界線
 
新自由主義時代における民主主義の隘路
【要旨】
フィリピン政治は、エリート支配と同時に、活発な市民組織の政治参加でも有名である。従来の多くの研究は、高い道徳性を掲げて積極的に政治参加する「市民」に期待を寄せてきた。だが、正しい「市民」という概念は、悪しき「非市民」という概念も生み出す。実際、貧困層は、政治家のばら撒きに依存し、政治参加に必要な能力と道徳を持たぬ「非市民」として扱われてきた。その背景には、「市民」を標榜する都市中間層が、有権者人口の多数派を占める貧困層の投票に対して嫌悪と恐怖を抱いていることがある。> このような「国民」の分断は、「ポスト福祉国家」化が進む先進諸国でも他人事ではない。「国民」は、経済に貢献できるセクターと、社会保障に依拠せざるを得ないセクターに分断され、後者は政治において正当に扱われない人びとへと転落しつつある。そして、「国民」の分断は、対等な討議を困難にし、非正当化された人々の不満は政治不安の要因になりうる。
本報告では、民主化後のフィリピン政治を「我々/彼ら」という境界線の構築という視座から分析し、新自由主義時代の民主主義の隘路と可能性についても検討したい。

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20107月例会

 

【日時】2010723日(金)18:00開場 18:30開始

【場所】京都大学文学研究科新館2階第6講義室

【演題】エンタテインメントと文化人類学

【発表者】都留泰作(京都精華大学マンガ学部 准教授)

【コメンテータ】

泉直亮(京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科)

神本秀爾(京都大学人間・環境学研究科 博士課程)

松田有紀子(立命館大学大学院先端総合学術研究科 博士課程)

宮下芙美子(京都大学総合人間学部 学部生)

安井大輔(京都大学文学研究科 博士課程)

【要旨】

いわゆるエンタテインメント作品において、文化人類学の知見やフィールド知がいかに活用されているかを、表現者の視点から試論する。文化人類学の知見と、芸術・文学などの表現活動との関係は、これまで差別や異文化表象の問題として扱われてくることが多かった。しかし、本発表では、そのこととは別個の問題として、文化人類学の知識やフィールド経験が、作品を「面白く」する素材として、表現者たちの手でいかに利用されているかを検討する。「スターウォーズ」など、ポピュラーなエンタテイメント作品を検討しながら、エンタテインメントにおける文化人類学的な知の利用は、特にいわゆる「世界観構築」に関わっているという視点を示し、表現者たちの関心の所在が、アカデミックな関心と重なり合いながらも、微妙だが無視しがたいズレをはらんでいることを明らかにする。これを通じて、文化人類学という分野における、学問と表現の間における協調関係の可能性を追究してみたい。

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201011月例会
 
【日時】20101119日(金)18:00開場 18:30開始
【場所】京都大学文学研究科新館5階社会学共同研究室
(参加人数によっては、総合研究2号館(旧・工学部4号館)第8講義室に移動します)
【演題】
「平等的カースト性」を求めて―現代北インドにおける「改宗仏教徒」の宗教儀礼実践の様相から―
【発表者】舟橋健太(京都大学 東南アジア研究所グローバルCOE研究員)
【討論者】杉本星子(京都文教大学 人間学部 教授)
【要旨】
 往々にしてインドとほぼイコールで結びつけて語られるものに、「カースト制度」がある。
 このカースト制度の最下層に位置するとされているのが、「不可触民」(ダリト)とされる人びとである。独立前後期より、さまざまなかたちでの不可触民解放運動/ダリト運動が活発にみられており、そうしたひとつに、仏教改宗運動がある。すなわち、かれら「不可触民」の間で、独立以降、仏教への改宗の動きが漸進的に増加していると認められるのである。それでは、かれら「改宗仏教徒」たちは、どのように改宗に至り、どういった生活を送っているのであろうか。特に、改宗仏教徒の宗教儀礼実践に焦点をあてて、その混淆性と選択性に着目しつつ、かれらが改宗以前の過去(自己のカースト性)と完全に断絶するのではなく、また他者関係、とりわけ親族・姻族関係においても断絶することなく、むしろ、継続性・共同性を希求・主張している様相を検討したい。そこにおいては、平等主義を標榜したブッダや中世の詩聖人であるラヴィダースとの系譜の同一性が唱えられ、同一カーストの非仏教徒(ヒンドゥー教徒)との共同性が主張されることになる。これはつまり、現代北インドに生きる改宗仏教徒たちによる、「平等的カースト性」の追求・主張であるといえるのではないだろうか。
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201012月例会
 
【日時】20101217日(金)18:00開場 18:30開始

 
 
 
 
 
 
 
 
 
【場所】京都大学文学研究科新館2階第7講義室【演題】「新しいネパール」とローカリティーの生産―連邦制と民族自治をめぐる議論

 
 
 
 
 
 
 
 
 
【発表者】藤倉達郎(京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科 准教授)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
【討論者】葛西映吏子(関西学院大学社会学研究科 研究員)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
【要旨】

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 民族誌の対象は、とある民族でも文化でも社会でもなく、とある状況であると考えてみよう。民族誌は、ある種の安定性や不確実性をはらんだ状況を記述する。そこに登場する「民族」や「社会」は、その状況と独立して存在するものではなく、状況と不可分なものとしてとらえられる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ネパール共産党(毛派)と議会派政党の共闘による第二次民主化運動により、国王は敗北し、10年間にわたる内戦が終結した。しかし、ポスト紛争期/平和構築の途上にあるネパールにおいて、新憲法の制定作業は停滞している。ネパール南部平野の先住民族であるタルーは、新憲法下で自治州(タルハット)を獲得することを目指している。」

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 以上のような常識的な記述を、民族誌的に書き直すとしたら、どうなるのだろうか? ネパールでの生活の中からのいくつかの断片をもとに、アルジュン・アパドゥライの「ローカリティーの生産」についての議論やジョン・ローの空間についての議論を参照しながら考えてみたい。
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20111月例会
【日時】2011128日(金)18:00開場 18:30開始
【場所】京都大学 川端キャンパス 稲盛財団記念館3階 中会議室
【演題】賭けと妄執−出来事としての日常と妖術に関する一考察−
【発表者】近藤英俊(関西外国語大学外国語学部 特任准教授)
【討論者】松田素二(京都大学文学研究科 教員)
【要旨】
運 命、神、霊、呪術といった神秘的な存在が、ふって湧いた災難を意味づけ、対処可能なものに変えるのは、古今東西を問わず観察されるところ である。この儀礼過程に関し、これまで研究の多くはその日常的秩序の回復機能に着目し、一連の現実を専ら日常−非日常(儀礼)−日常(し ばしば高次の)という枠組みにおいて認識してきた。しかし神秘的存在が日常茶飯に経験されているような場合、それはどのように理解すべきものであろうか。そう した現実は日常的なのか非日常的なのか。神秘的存在は安定的な日常性の回復に寄与するものとみることができるのだろうか。ナイ ジェリア北部の都市カドゥナで借家業を営むI氏は、毎日のようにウィッチ問題に悩まされていた。彼は自分の家に入居するテナントをやがて ウィッチと考えるようになり、追い出してしまう。ここでI氏はウィッチと同定したテナントを立ち退かせることで、平穏な日常を回復しているとみることはできない。なぜなら次 に入居するテナントも必ずやウィッチと化し、彼を悩ませることになるからである。この際限ないウィッチ現象を理解する鍵は、不確実な現実 を生き抜くなかでI氏が身につけた実践、「賭け的実践」と、賭け的実践のやり直しがつくる「出来事としての日常」にあると考えら れる。ウィッチは賭けのやり直しに臨んでI氏が典型的に想起するものであり、そしてやり直しがうまくいかなくなるにつれ妄執化していくものである。
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20113月例会
【日時】2011325日(金)18:00開場 18:30開始
【場所】京都大学文学研究科新館2階第6講義室
【演題】「トランスナショナルに生活するフィリピン人と出会う、そして今後」
【発表者】永田貴聖(立命館大学先端総合学術研究科 研究指導助手)
【討論者】石井正子 (大阪大学 グローバルコラボレーションセンター 特任准教授)
【要旨】
 本報告では、3月に出版された拙著『トランスナショナル・フィリピン人の民族誌』(ナカニシヤ出版)の内容を踏まえ、日比間の国境を越えた社会関係拡大の続きとなるだろう、日本国籍及び、日本での在留資格を取得できるようなった「新しい」フィリピン人たちへの調査について議論する。具体的には、人類学者がどのように人々と関係するのか、調査枠組み、方法論についての展望を検討する予定である。本研究は、80年代以降、多くのフィリピン人たちが日本、フィリピン間を移動し続け、日本人、フィリピン人双方と、国境を越えて社会関係を構築していく過程を来日するフィリピン人たちの時代や、世代ごとの社会関係の移り変わりを明らかにすることを目指している。特に、報告者がこれまで実施した、集団により来日するのではなく、日本人との親族関係を活用し、個人を単位として来日するフィリピン人の特徴を把握するため「個人を中心とする民族誌」を記述するため調査を実施した以降の動向について議論する。
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20114月例会
【日時】2010422日(金)18:00開場 18:30開始
【場所】京都大学時計台記念館国際交流ホールT
【演題】ネイティヴの人類学と先住民:アイヌの言語学者・知里真志保を中心に
【発表者】桑山敬己(北海道大学大学院文学研究科 教授)
【討論者】(交渉中)
【要旨】
 
拙著『ネイティヴの人類学と民俗学:知の世界システムと日本』(弘文堂、2008年)におけるネイティヴとは、主に英語圏の日本研究における日本人であった。日本人はあくまで研究対象として扱われていて、日本人が日本について学問的に語ったり、そこから普遍的な理論を構築したりすることは期待されておらず、日本人は「もの言わぬ土人=ネイティヴ」に過ぎない、というのが私の主張であった。それは27歳で渡米し、かの地で11年間の研究生活を送った私の体から出てきた、いわば悲痛な叫びであった。ところが、2003年に北海道に渡ってアイヌ民族と接触を重ねていくうちに、まったく同じ構造が日本のアイヌ研究にもあることが分かってきた。支配民族の和人研究者によって調査され、分析され、描写され、ただ語られるだけの存在として扱われてきたアイヌ民族の窮状が、知の世界システムの周辺に置かれた日本人の窮状と二重写しになるのである。本発表では、アイヌ出自の言語学者で北海道大学教授にまで上り詰めた知里真志保を事例に、先住民が学問とりわけ人類学の在り方に投げかける問題について考えてみたい。
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20115月例会

                                    

【日時】2011519日(木) 18:00開場 18:30開始
【場所】京都大学 総合研究2号館 4階会議室(AA447
【演題】「『カーストと平等性:インド社会の歴史人類学』とその後」
【共催】京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科附属 現代インド研究センター(http://www.indas.asafas.kyoto-u.ac.jp/)南アジア・インド洋世界研究会(http://www.asafas.kyoto-u.ac.jp/WS/sa-io/

【発表者@】 田辺明生氏(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
【発表者A】 内山田康氏(筑波大学人文社会学研究科)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
【要旨】

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 拙著『カーストと平等性−インド社会の歴史人類学』(東京大学出版会、2010年)で、私は、史料分析と臨地調査を組み合わせることにより、過去と現在を往復しながら、18世紀から2009年現在までのインド社会のダイナミズムを理解することを試みた。特に注目したのは、カースト間関係の歴史的変容、そしてそこにおける人々の行為主体性(エージェンシー)のはたらきであった。そこでは、現在のインド・オリッサ地域社会の変容は、<地位のヒエラルヒー>と<権力の中心性>という植民地下において強化されたヘゲモニー構造を乗り越え、生活世界のなかに維持されてきた<存在の平等>という価値を媒介として、下層民(サバルタン)の観点から供犠倫理とデモクラシーとを接合しようとする<ヴァナキュラー・デモクラシー>への動態として理解することができるのではないかと論じた。本発表では、拙著で提示した議論をできるだけわかりやすく論じ直してみたい。また社会変容および民主化を議論していく上で、人類学的視点と方法はなぜ重要なのかについて考えてみたい。
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20116月例会
 
【演題】「北海道の鍛冶屋の変化と生存−利尻島の鍛冶屋とその生存を支えた磯漁との関係」

 
 
 
 
 
 
 
 
 
【発表者】齋藤貴之氏(京都文教大学人間学部文化人類学科)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
【日時】2011616日(木) 18:00開場 18:30開始

 
 
 
 
 
 
 
 
 
【場所】京都大学 総合研究2号館 4階会議室(AA447

 
 
 
 
 
 
 
 
 
【発表要旨】

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 漁業は、北海道、特に、西海岸の開拓を先導し、今もなお、漁業は北海道の主要な産業のひとつとして重要な役割を担っている。そして、漁具を生産する鍛冶屋は、さまざまな工夫や努力によって変化に対応し、その時々に応じて多様な採集用具を供給することで、北海道の漁業との密接な関係を維持してきた。そこで、こうした北海道の漁業と鍛冶屋の関係に着目し、旧留萌・宗谷支庁、特に利尻島の鍛冶屋とその製品を利用する人びとを対象とした現地調査から、利尻島の生産物とその採取道具の変遷、および、漁業における鍛冶屋の役割について明らかにし、利尻島の磯漁と鍛冶屋の関係を見いだす。そして、それをもとに、利尻島の鍛冶屋の減少をもたらした要因を踏まえながら、北海道の漁業と鍛冶屋との関係について考察する。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「イソマワリ」で採取される魚貝藻類は、さまざまな道具を用いて船上から採取されており、それらの道具は、それぞれの採取を支える技術と同じくらい重要な役割を果たしている。このため、いかなる注文に応じてくれる「地元の鍛冶屋」はなくてはならない存在であった。しかし、近年は、コンブ、ウニ、アワビ以外は、自家消費用に採取されるに過ぎず、コンブ採取には主として木製の道具が用いられ、ウニやアワビも身を傷つけないように採取するために「タモ」を用いることが多くなり、「カギ」や「コンブガマ」、「テングサトリ」などは、高齢の漁業者によってのみ利用される状況にある。また、短いコンブを採るのに適した「グリグリ」や、ナマコ漁用の「ハッシャク」、ウニ採り用の「ハサミ」、ウニやアワビを採るのに使用される「タモ」などは、鍛冶屋の技術を必要とせず、溶接等によって生産することができることから、鴛泊や沓形の「鉄工所」などにおいて生産されている。このため、鍛冶屋やその製品への依存度は著しく減少しており、磯漁の場から鍛冶屋製品が姿を消しつつある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 これらのことから、「磯漁が多くの鍛冶屋製品を必要とし、鍛冶屋が利尻島の磯漁を支えてきたこと」が、利尻島に多くの鍛冶屋が共存することを可能にした要因のひとつであることを提示するとともに、「鍛冶製品の利用者である利尻島の人口および漁業組合員の減少」や、「磯漁の生産物の縮小、漁業生産物の多様化」、「磯漁に利用される道具の多様性の低下と、鍛冶屋の技術を必要としない道具の増加」などが、利尻島の鍛冶屋を衰退に追い込んでいることを示す。
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20117月例会
 
【タイトル】「ストリートの人類学」

 
 
 
 
 
 
 
 
【日時】722日(金) 1330開場 1400開会

 
 
 
 
 
 
 
 
【場所】京都大学本部構内 百周年時計台記念館国際交流ホールV
【プログラム】

 
 
 
 
 
 
 
 
1400-1410 趣旨説明: 藤倉達郎(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
1410-1510 関根康正(関西学院大学大学院社会学研究科)「<ストリートの人類学>の発端と行方:ケガレから都市の歩道へ」

 
 
 
 
 
 
 
 
 
1510-1610 丸山里美(立命館大学産業社会学部)「ストリートで生きる女性たち――女性野宿者たちの実践」
30 コメント:冨山一郎(大阪大学大学院文学研究科)
30 総合討論

 
 
 
 
 
 
 
 
 
【発表要旨】

 
 
 
 
 
 
 
 
・関根康正氏 「<ストリートの人類学>の発端と行方:ケガレから都市の歩道へ」

 
 
 
 
 
 
 
 
インド社会の文脈において儀礼的なケガレ観念に関する私自身のオリジナルな理論(「不浄」と「ケガレ)との区別の導入)提示から、都市ストリート特にインドの巨大都市のストリートの縁辺の歩道空間(政治、経済、宗教などあらゆる生活活動が認められる活発な生活行為空間)に注目する現在の関心事へと、私の研究は外見的には展開・移行した。そうなってみて、遡及的に考えてみたとき、私の問題意識の軌跡の一貫性に自ら驚く。反復によるにじり寄りといった趣である。実は、この一見異なる関心の外装とは裏腹に、その両者(ケガレとストリートの縁辺)には<中心化志向の視点と脱中心化志向の視点との絡み合った抗争contestation>という共通した理論的枠組みが貫かれている。ケガレ理論では、 否定的な意味を体現する「不浄」にだけ還元する中心化視点を脱して、肯定的で生成的な意味をもつ「ケガレ」の脱中心化視点を区別し析出できることを示した。同様に、歩道空間上に生きる社会的弱者とされる人々は、単にその弱者という受動性に打ちひしがれているだけではなく、支配的な社会権力が差し出す抑圧的環境下で、人(ヒト)からもの(モノ)まで可能なアクターを繋ぐ所為をミクロに発明して生き抜いている。さまざまな失敗も含めて。ケガレもインドの歩道も、<生活の論理>というものを考える格好の場所である。自己が他者になる、他者が自己になるところで存在を獲得する、それがすでにヘテロトピアとして実在する模様を目撃できる。それこそが、ネオリベのもたらす絶望のなかでの確 かなそしてたぶん唯一の内在的な希望である。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
・丸山里美氏 「ストリートで生きる女性たち――女性野宿者たちの実践」

 
 
 
 
 
 
 
 
 市井の人々の生活の諸実践が繰り広げられるストリートの空間は、女性にとっては、男性とはまた異なるものとして経験されている。本報告では、このストリートを生活の場にしている野宿者のなかでも、少数派である女性たちの存在に焦点をあてる。そこから、「ストリートの人類学」にジェンダーの視点を導入することで見える、限界と可能性とを考えたい。
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201110月例会
 

【演題】「地域で育てる、地域をつなぐ文化人類学的教育・研究・地域連携活動」
【発表者】森正美氏 (京都文教大学人間学部文化人類学科)

【コメンテータ】西真如氏(京都大学東南アジア研究所)
【日時】20111027日(木) 1800開場 1800開始
【場所】京都大学 総合研究2号館 4階会議室(AA447)
【発表要旨】
報告者は京都府宇治市の京都文教大学文化人類学科の教員として、2000年から宇治市内でのフィールドワークを実施してきた。その活動の目的や経緯については2007年の『文化人類学』(72/2)の「地域連携」特集内の「「地域で学ぶ、地域でつなぐ――宇治市における文化人類学的活動と教育の実践」で論じた。
今回の報告では、その後の展開内容や課題などを紹介し、他者との関係を結ぶことそのものに困難を感じる学生たちをも対象とした、文化人類学の専門性を生かした教育研究のあり方について参加者と共に考えたい。
具体的には、(1)教育手法としての「プロジェクト型学習」と文化人類学のフィールドワーク教育の連続性と可能性、(2)宇治市が「重要文化景観」の指定を受け、文化・総合政策的に転換する過程に行政委員として関与している経験に基づき、文化人類学に何が求められているのか/できるのかを報告の手がかりとしたい。

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  201111月例会 【演題】「存在とモノ−文化人類学における新オントロジー論をめぐって」
【発表者】
ファビオ・ギギ氏(同志社大学社会学部社会学科 助教)

【日時】20111125日(金) 18:00開場 18:30開始
【場所】京都大学 稲森財団記念館3階 中会議室

【発表要旨】
文化人類学の領域で「本質主義」というラベルを張られたオントロジー(存在論)は近年新しい意味で用いられるようになった。その新オントロジー論は三つのカテゴリーに分けられると考える。一つ目は、批判的な分析道具としての意義を失った「文化」の代わりに「オントロジース」(複数形)を使用する理論である。二つ目は、科学技術論でMolが提唱している「praxiography」との関連で使われている「関連性としての存在」である。三つ目は、 Viveirosde Castroのアマゾン研究に由来する西洋形而上学に対する批判である。この三つ目は、Holbraadによって文化人類学の新しい方法論に取り入れられたと考える。この方法を用いて「ゴミ屋敷」と「片付けられない女」の研究の事例を挙げつつ、物質性とオントロジーの新しい関連性を検討する試みを行う。

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20121月例会


【演題】「不浄」から「野生の聖」へ−南インドのブータ祭祀におけるヒエラルキー、憑依、環境ネットワーク

【発表者】石井美保氏(京都大学人文科学研究所)

【日時】2012112日(木) 18:00開場 18:30開始

【場所】京都大学 総合研究2号館 4階会議室(AA447

【発表要旨】
トゥル語を母語とする人々が多く居住することから、トゥルナードゥとも呼ばれる南インド・カルナータカ州沿岸部には、「ブータ祭祀」と呼ばれる神霊祭祀が存在する。祭祀の対象であるブータ(神霊)の多くは、非業の死を遂げた人間や、山林に棲む危険な野生獣の霊であるとされる。この祭祀は地域社会の領主層によって運営され、なかでも最高位の領主が祭主の役割を務める。他方、憑坐として儀礼の場で神霊になり替わるのは、指定カースト(元「不可触民」)であるパンバダやナリケ・カーストの人々である。
 インドにおける低位カーストの人々の儀礼実践については、高位カーストの儀礼の模倣を通した社会的地位の上昇志向や、「浄/不浄」の対立を基軸とするカースト・ヒエラルキーの内面化という側面が指摘されている。その一方で、低位カーストの人々による儀礼実践は、しばしば高位カーストの支配に対する抵抗としても意味づけられてきた。これらの議論に共通する問題とは、「不可触民」をはじめとする低位カーストの儀礼実践をどのように考えるべきか、という問題である。
 本発表では、ブータ祭祀において神霊の憑坐となるパンバダの人々に焦点を当て、低位カーストの儀礼実践をめぐる模倣論/サンスクリット化論、および抵抗論を再考する。トポロジカルな視座を用いてブータの儀礼を分析することにより、ヒエラルキーの再構築や高位カーストへの抵抗としてではなく、人々を内包する環境の循環を創出する差異のネットワークとしてブータ祭祀を捉える視座を提起したい。

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20123月例会

【演題】呪いには虫の糞がよく効く−日常と呪術の境界から
【発表者】東賢太朗氏(名古屋大学大学院文学研究科)
【コメンテータ】常田夕美子氏(大阪大学グローバルコラボレーションセンター
【日時と場所】
日時:2012329日(木) 18:00開場 18:30開始
場所:京都大学 総合研究2号館 4階会議室(AA447
【発表要旨】
「呪術とは何か?」という謎に取り組む上で、それが日常的実践の一形態であるとする方向付けは、呪術の他者性を過度に強調して描こうとしたり、近代やグローバル化という大きな物語に回収しようとする欲望を回避するためには効果的だろう。その上で、もう一度問いかけてみたい。呪術は日常的実践なのだろうか、と。たしかに、Favret=Saada1980]が「そんなはずはない、だがしかし…」という言明に寄せたように、私たちの日常のあちこちには呪術が現れる契機が偏在している。誰かが何かを恐れたり何かを願ったりするときに、神や精霊や超自然など、合理的な思考の枠組みには収まりきらないものへの想像力が発動することはとくに珍しいことではない。日常とは、むしろそのような呪術的想像力に彩られながら、合理と非合理、世俗と超越を含みこんで成立している。その点では、日常から呪術を切り離し、隔たったものとして扱う必然性はどこにもない。発表者自身も同様の観点から、特に呪術の経験や感覚という「実体性」に注目し、そのアイロニカルな心意作用が日常と非日常の差異を無化してしまうプロセスに注目してきた[東 2011]。だがしかし、当然ながらすべての日常的実践が呪術的であるわけではない。私たちの日常は、多くの場合日々の淡々とした、自明な行為の繰り返しによって構成されている。そのような日常の自明性のなかに、突然呪術的な想像力が動き出すのである。その想像力は、強ければ強いほど普段は自明視していた世界のあり方を異化し、異なった世界の中でのみ妥当だと思われる呪術的実践へと展開していくかもしれない。日常における呪術的な想像力の発動、また日常的実践から呪術的実践への移行というプロセスにおいて、いかにして日常と呪術は結びついているのか。「日常的実践としての呪術論」が回避しがちなこの問いについて、本発表では取り組んでみたい。そのために、これまで発表者の呪術論において扱いきることのできなかった特殊事例を取り上げたい。フィリピン地方都市のある1名の女性呪医は、他の呪医の病治しと比較して明らかに奇異にみられる呪術的治療を行っている。発表では、患者にとっては受け入れがたい呪術的な世界観や民間医療の体系が、「物語り」によってコンテクスト化され、行為によって「真理化」されていくプロセスを、いくつかの治療の現場から微視的に描写してみたい。その上で、日常と呪術を架橋する決定的要因としての「希望」について、考察を試みる。

東賢太朗 2011 『リアリティと他者性の人類学―現代フィリピン地方都市における呪術のフィールドから』三元社
Favret-Saada, J. 1980
 Deadly Words: Witchcraft in the Bocage.
Catherine Cullen trans. Cambridge: Cambridge University Press.

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20124月例会

 

【演題】
「暦が停止するとき」
【発表者】

浜本満氏(九州大学人間環境学研究院)
【日時と場所】
日時:2012423日(月) 18:00開場 18:30開始
場所:京都大学 総合研究2号館 4階会議室(AA447
【発表要旨】
ドゥルマ(ケニア・コーストプロビンス)の間では4日で一周する「週」が用いられていた。2011年の夏、調査地を訪れた私はそれが完全に消滅していることを知った。誰も今日がドゥルマ週の何曜日か、答えられなくなっていたのである。
毎年、私は調査地に入ると、今日が何曜日かを人に尋ね、ドゥルマの曜日を使って日誌をつけていた。それがこの年には、1983年以来はじめて不可能だったのである。
考えてみてほしい。今から一年後にここに居る誰もが、今日が何曜日か言えなくなってしまうという可能性を。とてもありえそうにない。
私は一年前にはドゥルマの週がなくなるなんて考えてもいなかった。それゆえこの変化は恐ろしく唐突なものに感じた。当のドゥルマの人々自身が、あらためて自分だけでなく自分たちの周囲にも今日が何曜日か知っている人がいないという事実を気まずく感じている風だった。
これは一つの社会的制度や事実が、どのようなものによってリアリティを持ち続けることが出来るのかという問題を改めて私に考えさせた。ANT(Actor
Network Theory)
の一つの主張を体感できたような気がした。しかし同時に、ANTが前提としていながら、十分な注意を払ってはいない一つのプロセスにも気づかされた。人々の間での知識や信念の相互参照実践のプロセスである。Dennettが志向性のレベルとして問題にし、Tomasello
recursive mind reading と名づけているようなこのプロセスがはらんでいる問題を、人類学ではおなじみの特定の集団の人々が「共有している信念」をめぐる問題系との関連で、考え直してみたい。

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20125月例会

 

【演題】
「個・集合性・部分性:復興の人類学に向けた事例報告」
【発表者】
木村周平(富士常葉大学)
【日時と場所】
日時:2012525日(金) 18:00開場 18:302030
場所:京都大学稲盛財団記念館・中会議室
【発表要旨】
東日本大震災が発生してから1年以上が過ぎた。あまりの被害の大きさにまだ将来のことを考えはじめられないでいる人もいるが、他方、被災地の内外で、様々な復興に向けた取り組みも現れてきている。そうした動きをどのように追いかけることができるのか。本報告では、復興の人類学に向けて、報告者が細々と行っている定点観察的な現地訪問を通じて見聞きしたものを整理してみたい。そのなかで焦点を当てるのは「復興の主体」の形成をめぐる動きである。ここでいう「主体」は、個々人というよりは、ある地域なり集落なりを復興させていこうという人びとの集まりのことである。それは場合によっては「コミュニティ」と呼ばれることもあるが、いずれにせよ、それほど単純なかたちの集まりではない。本報告ではいわゆる高所移転を行おうとしているあるひとつの地区の事例において、この「主体」というものがどのように現れつつあるかということから、人類学的な関与のあり方について考える。

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  201211月例会
  

【日時】20111125日(金) 18:00開場 18:30開始
【場所】京都大学 稲森財団記念館3階 中会議室
【演題】
「<パブリックスケープ>の人類学−マレーシア先住民の事例−」
【発表者】
信田敏宏氏(国立民族学博物館) 【コメンテータ】藤倉達郎氏(京都大学)

 

【発表要旨】

支援のグローバル化が進む今日、国家や国連などの公式のアクターに加えて、NGOやボランティア団体、市民ネットワーク、宗教ネットワークなどの非 公式のアクターによる支援活動は、人類学が伝統的に調査研究のフィールドとしてきた世界各地の周辺地域にまで及び、人びとの生活や人間関係、自己認識や他 者認識に大きな影響を与えている。

マレーシアの先住民オラン・アスリの社会でも、近年、公的支援に加えて、NGOによる支援活動が活発化し、次第にNGO活動や先住民運動に関わる人びとが増えはじめており、血縁や地縁に基づく従来の関係性に変化が生じている。

本 発表では、公式/非公式のアクターが介在し、人びとの関係性が活性化しているフィールドの状況を、アパデュライの「スケープ論」を援用した「パブリックス ケープ(公共景観)」という概念によって対象化する試みを紹介する。その上で、多様なアクターが媒介する新たな人間関係の形成や人びとの世界認識の変容と いった「パブリックスケープ」に見られる諸現象を人類学的に解明していく糸口を探っていきたい。

 


2013年4月例会(文化人類学講座20周年記念講演会第一回(全五回))

演題】 「身体化の人類学から身ぶり論まで」



【日時】
2013426日(金) 1830分‐2030分(18時開場)
 
【要旨】
身体化(embodiment)は、生のもっとも根源的な条件でありながら、文化人類学の主題として正面から取り上げられることは稀であった。本発表は二つのパートに分かれる。前半では、2013年4月に刊行された『身体化の人類認知・記憶・言語・他者』(世界思想社)の序論で提起したもっとも困難な問題に焦点をしぼる。その問題とは、「身体化された心」(embodiedmind)に依拠して客観主義を乗り超えようとする企てがつねに自然主義とのねじれた関係に巻きこまれざるをえないということである。後半では、メルロ=ポンティが提起した、「言語は表象の伝達ではなく、表情をおびた身ぶりである」という洞察を経験的に補強することを試みる。おもな素材は、南部アフリカ狩猟採集民グイの語りにおいて生起する身ぶりである。ただし、上記の編著書ですでに公にした分析を反復することは生産的ではないので、やや視点を変えて、身ぶりを対面相互行為への参与者の関係性(relatedness)に埋めこまれた非-言説的な実践として捉える道すじを素描する。
【発表者】
菅原和孝氏(京都大学大学院人間・環境学研究科)
【コメンテーター】
佐藤和久氏(京都文教大学)
 
 
趣旨説明
田中雅一(京都大学人文科学研究所)
【会場】
京都大学 大学院人間・環境学研究科棟 地下大講義室(B23

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2013年5月例会(文化人類学講座20周年記念講演会第二回(全五回))
 
【演題】

SEX×感情労働×官能労働」

【日時】
2013
524日(金) 18302030分(18時開場)

【要旨】
セックスをしてお金を受け取る人たちは、一般のサービス産業に携わる人々と同じ労働者(ワーカー)なのか?性的サービスは、ほかの接客サービスとどこが違うのか?1980年代から、世界各地で性的サービスに従事する人々を労働者として位置づけ、労働環境の改善を求める動きが認められる。しかし、こうした動きには、根強い抵抗がある。すなわち、性的サービスを行う人々は家父長制や国際的な犯罪組織の 犠牲者である。性産業で求められているのは新人である。新人に価値が置かれているような仕事は、真の意味で仕事とは言えない。最後に、ほかのサービス業と異なり、性は人格と密接に結びついているため、賃金と引き換えに無差別に性的サービスを要求する仕事はサービス提供者にさまざまな精神疾患を引き起こす。これは労働環境の改善で済む問題ではない。本報告では感情労働と官能労働をキーワードに、性的サービスに従事する女性たちの「仕事」の実態を紹介し、上記の批判について検討していきたい。
【発表者】
田中雅一(京都大学人文科学研究所)
【コメンテーター】
茶園敏美 (独立行政法人 国立病院機構姫路医療センター付属看護学校)【会場】
京都大学人文科学研究所本館1F  セミナー室1

 
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20136月例会(文化人類学講座20 周 年記念講演会第三回・第四回(全五回))
■臨時特別シンポジウム(例会1)

「民俗芸能の実践と継承―「西浦の田楽」を舞う―」

共催:「相互行為としての身ぶりと手話の通文化的探究」(科学研究費基盤B)

【日時】 
2013
622日(土)14時開演(1330分開場)


 【発表者】 
 「田楽を舞って45年」  守屋治次氏(国指定重要無形民俗文化財「西浦の田楽」保存会会長)

 「若い衆の実践―練習場面における身体技法の獲得」  菅原和孝氏(京都大学大学院人間・環境学研究科)

 【コメンテーター】 
 藤田隆則氏(京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター)
 細馬宏通氏(滋賀県立大学人間文化学部)

 【趣旨説明】
 菅原和孝氏(京都大学大学院人間・環境学研究科)


【会場】 
京都大学総合人間学部棟1102(1階)

【発表要旨】 
静岡県水窪町(現在・浜松市)の深い山あいに西浦(にしうれ)地区はある。ここに「観音様のお祭り」と呼ばれる民俗芸能が280年にわたって受け継がれてきた。観音様は旧暦一月十八日夜から徹夜で舞われ地能33演目・はね能12演目が神様に奉納される。地能の役は世襲制により父から長男に伝承されてきた。22戸あった能衆の家は過疎化により減少し、現在では13戸となったが、舞の役を柔軟に再配分し世襲制の危機に対処している。田楽舞は、五穀豊穣・無病息災・子孫長久への切実な祈願をこめた神事であるが、同時に舞うことを楽しむ能衆の情熱によって受け継がれてきた。演目はきわめて多彩で、幽艶荘厳とユーモアとが複雑に織りなされる。民俗学の泰斗・折口信夫が魅了されたことを発端に「西浦の田楽」は名声を得て1976年に国から重要無形民俗文化財の指定を受けた。守屋治次氏は保存会会長として田楽舞継承の中心を担われている。この講演では、45年間の経験に基づいて実践者の視点からのご苦労と歓びを語っていただく。ついで、菅原が「若い衆」の練習風景を映像で紹介し習熟のプロセスを照らす。本講演会が、伝統を継承することの意味を新しい視点から問いなおす機会になることを願っている。


■例会2

「バナバ人とは誰か―強制移住の記憶と怒りの集合的表出―」

【日時】
 2013625日(火)、1830分開演(18時開場)

 【発表者】
 風間計博氏(京都大学大学院人間・環境学研究科)

 【コメンテーター】
 西井凉子氏(東京外国語大学アジア•アフリカ言語文化研究所
 
  
 【会場】
 京都大学総合研究2号館4階会議室(AA447 (34番)

 【発表要旨】 
 人類学にとって、文化および生物への還元論の超克を目指すことが重要な課題であると、私は考えている。この課題に向き合ううえで、記憶という人間の能力が手掛かりを与えてくれるだろう。ある種の記憶は、 多様な装置を通じて人々の間に伝わり、世代を超えて継承される。記憶は静態的な情報ではなく、想起の都度作り変えられる。ときに、昂揚した感情として身体に立ち現れることもある。本発表では、第二次大 戦中、強制的に故郷を追われ、現在フィジーに住むバナバ人ディアスポラをとりあげる。数奇な歴史経験を経て今を生きるバナバ人たちが、些細に見える出来事を契機として、怒りに打ち震えたという印象的 な事例を紹介する。新たな環境のなかでバナバ人たちは、状況に応じて自らを変化させてきた一方、神話化された歴史的記憶を怒りとともに保持し続けている。

 

【共催】

科学研究費補助金基盤研究(A)「太平洋島嶼部におけるマイノリティと主流社会の共存に関する人類学的研究」(研究代表者: 風間計博) 

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文化人類学講座20 周 年記念講演会第五回(全五回)は7月季節例会として開催

2013年10月例会

 【日時】 
 2013
年10月4日(金)、1830分開演(18時開場) 

【会場】 
 京都大学総合研究2号館4階会議室(AA447 
(構内マップの34番) 

 【タイトル】 
 
「バリ島文化観光論再考−バロン・ダンスの仮面に着目して」 

 【発表者】 
 吉田 ゆか子(国立民族学博物館)
(第8回日本文化人類学会奨励賞受賞者)

 

【コメンテーター】
未定

 

【要旨】

 本発表は、バリ島で観光客に向けて上演される代表的な演目であるバロン・ダンスについて、そこで用いられる仮面に着目しながら考察します。

 バリの村々は御神体のバロンとランダを祀っていますが、観光ショーに登場するのは、通常それら御神体ではなく、代理品の仮面です。一見、人々が仮面を使い 分け、巧みに儀礼と「世俗の観光用上演」を切り分けているかのようです。しかし実際には、観光用に作られた仮面が、次第に霊力を獲得し寺で祀られるように なったり、地元の御神体の霊力を借りていたり、御神体と共演したり、といった事例があります。観光化を契機に生みだされた大量の「非神聖・非真正」なバロ ンとランダも、人々と関わる中で多様な出来事を引き起こしていきます。

 本発表では、これら仮面の動きを追い、バリ芸能の観光化という良く知られた現象を、モノ(仮面)の側から再考し、人間中心的な視点が見落としてきたバリ文化観光の諸相を明らかにしたいと思います。 

 

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201311月例会


【日時】 

 20131115日(金)、1830分開演(18時開場) 

【会場】 

 京都大学総合研究2号館4階会議室(AA447 (構内マップの34番) 

【タイトル】 

 「代理懐胎のメタ・バイオエシックスの試み――インドにおける代理母への聞き取りの中間考察」 

【発表者】 

 島薗洋介(大阪大学グローバルコラボレーションセンター) 

【コメンテータ】

井家晴子(日本学術振興会特別研究員RPD/京都大学人文科学研究所) 

 

【発表要旨】 
 近年、体外受精やそれから派生する生殖補助技術が普及しつつある。一部の新興国では、「第三者が関与する生殖補助医療」(the third party reproduction)が実施されているようになっており、国際的な精子、卵子、代理母市場が形成されつつある。こうした動きが特に顕著に見られるのはインドである。中でもインドでの代理懐胎ビジネスは世界の注目を浴びつつある。代理懐胎契約の是非をめぐっては主に欧米の倫理学者やフェミニストの間で様々な論争がなされてきた。また、多くの国々で代理懐胎契約は禁止または厳しく規制されており、米国の一部の州では依頼者と代理母のあいだの親権訴訟など法的な争いも生じてきた。その中で、インドでは代理懐胎契約および代理母への金銭的報酬の支払いを合法化する方向で法制化が進みつつある。本報告では、報告者自身が現在行っているインドのコルカタとハイデラバードでの調査の成果を中間考察を踏まえて、人類学的な代理懐胎の人類学的「メタ・バイオエシックス」の可能性を展望する。特に、インド人女性の代理懐胎の経験をめぐる語りが、欧米およびインドにおける倫理的・法的言説にどのような問題を提起するかを考えたい。 

 

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20141月例会


 
【日時】 
 2014
131日(金)、1830分開演(18時開場) 

【会場】 
 京都大学総合研究2号館4階会議室(AA447 
(構内マップの34番) 

 【タイトル】 
 
「モノがエイジェントになるとはどういうことか? フェティシズム研究の視点から考えるArt and Agency 

 【発表者】 
 
田中雅一(京都大学人文科学研究所)

 

【コメンテーター】
大村敬一(大阪大学大学院言語文化研究科)

 

【要旨】

東日本の被災地の復興を願って、破損した底引き網を材料にミサンガを作ろうという動きがある。「底引き網には漁師の魂が宿って」いて、海女たちが作るミサンガには彼女たちの復興への願いが込められている。使い慣れた道具(底引き網)は使用者たちの身体や自己(魂)の延長である。ミサンガを購入し、身につけることで海女たちの思いに人びとは応えようという決意を持つ(第140話「おら、やっぱりこの海が好きだ!」)

身につけることがなによりも重要だというきわめてフェティッシュな誘惑がそこに認められる。ミサンガが贈与であれば、そこに反対給付の義務(たとえばボランティア)が生じる。また商品であれば、復興への貢献度はミサンガの購入数で決まる。ここでミサンガは贈与でも商品でもないなにか、つまりフェティッシュとして人びとのあいだを流通し、あらたな社会関係を生みだそうとする。本発表では、Gellの遺作 Art and Agency の議論を検討しつつ、フェティシズムの可能性を考えてみたい。

 

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20142月例会(1) 

 
【日時】 
 2014
218日(火)、1830分開演(18時開場) 

【会場】 
 京都大学総合研究2号館4階会議室(AA447 
(構内マップの34番) 

 【タイトル】 
 
「不殺生戒と肉食をめぐる文化の政治―現代ブータンにおける仏教振興と「屠畜人」の現在Art and Agency 

 【発表者】 
 
宮本万里(国立民族学博物館)

 

【コメンテーター】
未定

 

【要旨】

本発表では、自然神崇拝やボン教を含む多元的宗教空間としてのブータンにおける仏教と屠畜および屠畜人の位置づけについて考察を試みる。ブータンの多くの地域では、ヒンドゥー社会やイスラーム社会と比較して牛や豚といった特定の動物に対する神聖視あるいはタブーがなく、ボン教の影響や自然神崇拝の強い地域では、動物を使った供儀が広く行われてきた。また、養豚や肉食の習慣も盛んであり、人々は特別な祭礼の際はもとより、日常的に牛肉や豚肉を消費してきた。そうしたなかで、牧畜村や農村において家畜の屠殺や解体は身近な習慣であり、特に北部の牧畜民にとっては家畜の肉の販売は、現金収入源として不可欠な仕事である。しかしながら、近年ブータンをはじめ東ヒマラヤ地域一帯でみられる仏教振興の動きは、「屠畜人」に対する社会的スティグマを高め、牧畜民の生業のありようも大きく変容させつつある。本発表では、ブータン社会における「屠畜人」へのまなざしの変化を、宗教空間の一元化を希求する近年の仏教振興の実践をとおして考察してみたい。特に、仏教教義からくる不殺生概念の広まりと、それに伴う放生実践、およびそれらと反比例するように拡大する食肉市場の動態も手がかりにしつつ、現代ブータンの宗教空間と生業をめぐる文化の政治の描出を試みる。

【共催】

人間文化研究機構「現代インド地域研究」京大拠点(KINDAS)

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20142月例会(2)

 
【日時】 
 2014
228日(金)、1830分開演(18時開場) 

【会場】 
 京都大学総合研究2号館4階会議室(AA447 
(構内マップの34番) 

 【タイトル】 
 
「境界を渡る人びと:在日済州島出身者の生活史からArt and Agency 

 【発表者】 
 
伊地知紀子(大阪市立大学)

 

【コメンテーター】
高正子(神戸大学)

 

【要旨】

この20年近く在日済州島出身者の生活史を聞かせてもらってきました。時に一人で、時に複数名で。朝鮮半島の南に位置する済州島と日本との間での移動は20世紀を経て現在までさまざまな位相を示しながら継続しています。その連続性・非連続性を通して、人びとが生きてきた生活圏について考察します。

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2014年3月例会

 
【日時】 
 2014
年3月5日(水)、16時00分開演(15時30分開場) 

【会場】 
 京都大学総合研究2号館4階会議室(AA447 
(構内マップの34番) 

 【タイトル】 
 
「ハイパー・インフレーションの人類学的研究」 

 【発表者】 
 
早川真悠(大阪大学)

 

【コメンテーター】
 平野(野元)美佐(京都大学)

 

【要旨】

本発表では、2007年から2009年初めにかけておこったジンバブエのハイパー・インフレーション(以下、ハイパー・インフレ)下における貨幣の使われ方について汁医学的に考察する。南部アフリカのジンバブエ共和国は2000年以降、「ジンバブエ「危機」」と呼ばれる深刻な政治・経済危機に陥った。現地通貨ジンバブエ・ドルは、最終的に年間2億%を超えるハイパー・インフレを起こした。

ハイパー・インフレの本質的特徴は、現地通貨の急激な減価にあるが、ジンバブエのハイパー・インフレ末期にはそれに加え、次のような特異な貨幣状況があった。(1)現金と銀行の預金との間に価格の差が生じた。(2)日常経済に外貨(主に米ドル)が流入し、現地通貨と並ぶ支払い手段として使用された。(3)高額紙幣と小額紙幣との間に計量的不整合が生じた。本発表では、ハイパー・インフレ下のこのような貨幣状況において、人びとがどのように貨幣を使用するのかを事例をとおして確認しポランニーらの経済人類学の議論を踏まえながら、多元的貨幣現象を考察したい。

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2014年4月例会

 
【日時】 
 2014
年4月18日(金)、18時30分開演(18時開場) 

【会場】 
 百周年時計台記念館 [3] 国際交流ホール III
 

 【タイトル】 
 
「福の民 −しあわせの民俗誌に向けて−」 

 【発表者】 
 
関 一敏 (九州大学人間環境学府教授)

 

【コメンテーター】
 藤原久仁子 (大阪大学言語文化研究科特任助教)
 古川彰 (関西学院大学社会学部教授

 

【要旨】

マチにすむ人々の日々の暮らしとその挙措動作には、どのような知恵と仕組みが読みこめるだろうか。なぜか今まで総合的な市史のなかった「最後のマ チ」福岡市の民俗調査をはじめるにあたって、わたしたちの考えたのはそのことだった。都会とは何か?一人前でなくとも暮らしていける場所。モニュメントが そこかしこに遍在する場所。にぎやかな行事とイベントの場所。そして夜をつくる場所。いくつものアイデアのなかで、おのずとふくらむ主題があり、これを柱 に次のような構成にたどりつきました。特別篇「福の民」、民俗篇・第一巻「春夏秋冬・起居往来」、第二巻「ひとと人々」、第三巻「夜と朝」。いま三冊目に とりかかっているところです。

そのなかで、どうしても知りたいことは、ひとが幸福になる条件でした。すでに柳田國男たち草創期の民俗学 には、「しあわせよき人、または家」への問い(昭和10年頃の山村生活調査・100項目の質問)があり、質問をする側もされた側も戸惑ったとのことです。 語彙史をみると、翻訳語の幸福はアチーブメント型だが、やまとことばの「さち・さいわい・しあわせ」にはめぐりあわせの語感があります。このめぐりあわせ よき幸福観は、アチーブメント主流の現代社会にもそこかしこにマダラもように生きており、われわれの生き方を微妙に方向づけています。よいめぐりあわせに は待ちうけるほかないが、その待ちうけの幅をおおきくする工夫はできるだろう。その際、マチバの半人前(オオビヨコ)を見守る人たちがおり、ひととひとの あいだにあって、あらかじめ葛藤と軋轢をなだめる人たちがいます。

今回は、これらを背景に、「無事の民俗」「あいだの幸福」について話してみたい。

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2014年5月例会

 
【日時】 
 2014
年5月30日(金)、18時30分開演(18時開場) 

【会場】 
 人文科学研究所4階大会議室
 

 【タイトル】 
 
「環境の書き換え:ガーナ南部における結核と複数の統治」 

 【発表者】 
 
浜田明範(国立民族学博物館)

 

【コメンテーター】
 中谷和人(日本学術振興会特別研究員PD/京都大学文学研究科)

 

【要旨】

近年のアフリカにおける生物医療や公衆衛生に関する人類学的研究では、国家による医療サービスの失敗が前提とされた上で、それが何に起因し、また、その失 敗がNGOや現地の人々によってどのように補われているのかという議論が盛んにされています。しかしこれらの議論の多くは、国家や生物医療の一体性を標準 と仮定し、外部から押し付けられる生物医療とそれへの現地からの対応という二元論的な枠組みに依拠しているように見えます。それに対して本発表では、国家 による医療サービスの提供が比較的成功しているガーナ南部における結核対策プロジェクトについて、他者の統治と自己の統治の同型的な連続性について言及し ていたフーコーの統治論を発展的に継承しながら議論していきます。この作業を通じて、複数のアクターによる環境の書き換えが相互に干渉しながら事態の推移 を導く母体を形成しているという、統治についての領域媒介的なモデルを提出する ことを目指します。

 

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2014年6月例会


 
【日時】 
 2014
年6月27日(金)、1830分開演(18時開場) 

【会場】 
 京都大学総合研究2号館4階会議室(AA447 
(構内マップの34番) 

 【タイトル】 
 
北米・北西海岸先住民社会における世襲の復権について 

 【発表者】 
 
立川陽仁(三重大学)

 

【コメンテーター】
 大村敬一(大阪大学)

 

【要旨】

19世紀後半以後、北米では先住民の同化を推し進める過程で政治的リーダーの民主的な選出が推奨された。カナダの〈北西海岸〉のように、従来から世襲でリーダーを決めていた社会では、その影響は甚大であった。北西海岸では20世紀半ばに投票でリーダーを選ぶ制度が導入されていき、その結果、ほとんどのコミュニティで従来からの世襲チーフのほかに、投票で選ばれた選出チーフが併存するという状況が生みだされた。

多くの文献では、両者は対等な形で勢力の棲み分けをおこないながら併存していると述べられているが、クワクワカワクゥという先住民社会では、90年頃から世襲制の明らかな復活がみられる。この発表では、同社会における世襲制の復権、人びとがリーダーシップを握るための戦略を紹介すると同時に、世襲そのものの意義について検討する。

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2014