〈発表要旨〉
 今、「傷痍軍人」という言葉を聞いて、自ら受けた傷をさらしながら、白衣の姿で
募金箱を前にした、彼らを思い浮かべることが出来る人は、どれほどいるであろう
か。あるいは、彼らが奏でていた哀しげなメロディーを。今となっては、彼らを目に
する機会はほとんどないであろうが、彼らはどこに消えてしまったのだろうか。彼ら
が今も生きているとするならば、今はどうしているのであろうか。また、そうした彼
らの存在は彼らを目にした人々の心に何を残していったのであろうか。
 敗戦直後、彼らがそうした姿を見せはじめ、占領下から独立国となる前後で遺族、
未亡人への援護や遺骨収集といった戦後補償、戦後処理構想が打ち立てられていく中
で、傷痍軍人に対する援護施策の必要も唱え始められる。その中で、戦後十年を期に
国を挙げて、彼らを一掃しようとする動きが起こったのであった。そして、そうした
運動を支える中心となったのが、他でもない「傷痍軍人」たちであった。
 本発表では、そうした1950年前後の戦後日本に焦点をあて、「傷痍軍人」の代
名詞であった、白衣募金者たちが当時の人々の目にどう映っていたのか、それはどの
ような人々の戦争に体験を下敷きにした結果と考えることが出来るのか、また自らの
戦争体験をどのように位置付けようとする企図の結果であったのか、彼らをめぐる
人々の心の有り様を考察する。
 彼らは同情や哀れみの対象となる一方で、どこか近寄りがたい不気味な存在でもあ
り、早く街頭から姿を消して欲しい人々は願う。そうした思いから、ある人は募金箱
にお金を入れ、ある人は彼らを目にしないようにそそくさと立ち去るのである。しか
しまた、時に彼らは「戦争の惨禍」、「平和の象徴」として戦争犠牲者の代表とさ
れ、クローズアップされる対象ともなるのである。かつては「白衣の勇士」と呼ばれ
ていた彼らに対して、戦後、人々はどのような思いで受け止めていたのか、というま
なざされる人々の戦後にも本発表では着目したい。「傷痍軍人」たちが、戦後、皆が
自らを「傷痍軍人」であることを周囲に示して生きてきたわけではない。
 ここでは、さしあたり「傷痍軍人」であることを表明した者のテキストを読むこと
を通じてしか、それを考える術がないのだが、そうした彼らが戦後「傷痍軍人」とし
て自己形成をするに至った過程を周囲のまなざしとの関わりの中で、いわばその両者
の相互の関係から、戦後日本の傷痍軍人という存在が持つ意味を考察することにした
い。
 戦後日本では「傷痍軍人」が白衣募金者で代表されてきた。それは戦後日本の戦争
体験の位置付けがはらむ問題を象徴しているのではないだろうか。本発表では、死ん
でいれば靖国に祀られていたであろう傷痍軍人たちの戦後を見ることを通じて、「戦
死者のゆくえ」を、「傷痍軍人」とは誰か、そしてそこから「戦死者」とは誰かとい
う問題を考察することにしたい。