マンダラ国家から国民国家へ-東南アジア史のなかの第一次世界大戦

早瀬晋三

2011年12月10日

本報告の目的は、まず、大戦の前と後を、大戦中に起こった具体的なことを念頭に考察することである。とくに、政治形態の変化と輸出経済の進展に注目する。つぎに、当時、タイを除き欧米各国の植民支配下にあった国・地域が、それぞれの宗主国とのかかわりが違うにもかかわらず、同じように民族運動が高まり近代国民国家形成へと向かったことを、どのように理解するのかを考えることである。それは、この大戦を「世界」のなかで、どう考えるかということと大いに関係する。東南アジアをヨーロッパから遠く離れた地域に及んだ大戦の影響の一事例と考えるのではなく、もはや辺境という考えが成り立たない「世界性」を大戦とのかかわりのなかで見出していく。それは、欧米の植民地化による近 代化や宗主国との関係だけで国家形成の歴史を理解しようとした欧米中心史観やナショナル・ヒストリーからの解放を意味する。

本報告のタイトルである「マンダラ国家から国民国家へ」の道程は、もちろん東南アジアのそれぞれの国・地域で一様ではない。タイのように前近代的な王制から近代的な立憲君主制へと衣替えしようとしたところもあれば、ラオスのようになにを統合のシンボルにするのか手探りの状況のところもあった。しかし、時間の長短、深化の度合いの違いにもかかわらず、確実に近代国民国家へと向かっていったことは、その後の歴史が物語っている。そして、今日起こっているさまざまな問題の基本が、近代国民国家形成時に解決されないまま、今日まで影響していることを考える。

本報告では、フランス領インドシナを中心に考える。

第一次世界大戦中の中国人労働者研究の現在

小野寺史郎

2011年11月28日

第一次世界大戦が勃発すると、当時の中華民国政府(袁世凱大総統)は局外中立を宣言する。しかし政府内では、参戦により戦後世界における発言権を高め、不平等条約の撤廃に代表される国際的地位の向上を成し遂げるという方針も検討されていた。ただこの早期参戦の試みは日本の反対により挫折、そのため中立義務に違反しない範囲で連合国に貢献する方途が探られた。当時、総力戦体制下の連合国各国は国内・植民地から労働力の戦時動員を行っていたが、さらに大量に、安価な労働力を必要としていた。そこで中国政府がとったのが「以工代兵」(兵士の代わりに労働者を使う)と呼ばれる、民間企業を通じて労働者を連合国に派遣するという方策である。その総数は西部戦線だけでも14万人に達し、うち5000人が死亡したと考えられている。

様々な要因によりこのことは中国近代史上長く忘れられたエピソードとなっていた。しかし2000年代に入り、フランスで中国人戦死者の追悼式典が初めて開催されるなど、この問題が中国史研究者の注目を急速に集めつつある。本報告はこの問題に関する現在の研究状況を概観し、その成果と課題を示すとともに、今後の研究の可能性を探る。

合評会 小関隆『徴兵制と良心的兵役拒否─イギリスの第一次世界大戦経験』

2011年11月12日

コメンテーター:後藤春美、草光俊雄

小シンポジウム「西洋の没落?―思想史のなかの第一次世界大戦」

王寺賢太

2011年11月 5日

パネラー:森本淳生、池田浩士、田辺明生

私自身の関心は、1)第一次世界大戦前後からヨーロッパの知識人のなかに一定共有されていた「西洋の没落」論を踏まえた上で、2)その「西洋の没落」を内在的に超える思想・運動としてマルクス主義を位置づける一方、3)ヨーロッパの外からの批判の現れとしての「インド」問題を位置づけることで、単純化した形ではありますが、第一次世界大戦前後における「西洋の没落」の問題系を思想史的に概観してみたい、というところにあります。いずれの場合も、「西洋」ないし「ヨーロッパ」の没落という主題を、世界のなかでのヨーロッパの位置の変化として考察してみたいと思います。その際、端的に言って、19世紀後半以来の「帝国主義」時代の終わりの始まりとしての第一次大戦という位置づけができるでしょう。ただし、また「西洋」「ヨーロッパ」が、つねに危機を糧として生き延びてきた覇権的地域である以上、アメリカやソ連の勃興といった現象はあるとしても、「没落」論をどこまで真に受けるべきか、といったことも考えに入れておかなければならないかもしれません。その意味で、「西洋の没落」には「?」をつけてみました。

1)については、もちろんシュペングラーが念頭にありますが、私自身はジンメル・ヴェーバーといったルカーチの先達たち、あるいは『精神の危機』の著者であるヴァレリーもここに含めて考えており、主に森本さんに担当いただくお話ということになります。「西洋の没落」の主題系で、ヨーロッパの知識人たちはいったい何を名指していたのか、といったことが問題になるかと思います。2)については、『小説の理論』から『歴史と階級意識』へのルカーチの飛躍をーその間には、もちろんロシア革命が存在しますがー、政治史のみならず思想史的に見ても非常に重要な位置を占めるものと考えています。というよりも、問題はむしろ、文学・思想が政治・経済に関わらざるを得なくなった状況が否応なく生じた、という事態というふうに捉えられるかもしれません。これについては言うまでもなく、池田さんからの御介入をお願いすることになります。そして3)については、いかんせん「ヨーロッパ中心主義者」の私には、疎い話題になってしまいますが、田辺さんに現代インド史・思想史の観点からお話しいただければと思っています。ここでは日本の対華21か条に対して批判的な態度を取ることもあったタゴールのような人物が、第一次世界大戦後の国際連盟の一連の国際会議で果たした両義的な役割に注目してみてはどうかと考えています。この点に関しては、植民地帝国へと変成を遂げた大正期の日本の「デモクラシー」や「コスモポリタニズム」の功罪も視野に入ってくるべき問題かと思います。

合評会 久保昭博『表象の傷』をめぐって

2011年10月 8日

評者 塚原史

合評会 河本真理『葛藤する形態』をめぐって

2011年9月24日

評者 高階絵里加

外交指導者としての加藤高明-二十一ヵ条要求問題を中心として

奈良岡聰智

2011年7月11日

合評会 山室信一『複合戦争と総力戦の断層』をめぐって

2011年6月11日

評者:小島亮、小野寺史郎

合評会 岡田暁生『「クラシック音楽」はいつ終わったのか?』をめぐって

2011年5月30日

評者:片山杜秀

戦争神経症と表象の終焉

立木康介

2011年5月16日

戦争神経症が「心の発見」の契機になったと見ていた精神分析家たちは、その症状を「反応」としてではなく「表現」として捉えたと言ってよい。そのことは、それ以後今日のPTSDにまでつながる流れのなかでいかに位置づけられるだろうか。終戦直前に開かれた第5回国際精神分析協会大会の報告から出発して考えたい。

合評会 藤原辰史『カブラの冬』をめぐって

2011年4月23日

評者:服部伸

第一次世界大戦前夜までのオスマン帝国─帝国・政治社会・国際関係

鈴木董

2011年4月 9日

小シンポジウム「未完の戦争」としての第一次世界大戦

小関隆・藤原辰史

2011年2月12日

パネラー:津田博司

小関隆「アイルランド独立戦争に見る「大戦の大義」と「野蛮化」」
藤原辰史「ヴァイマル共和国の「火種」はどこにあったのか」
津田博司「未完のユートピア 大戦間期イギリスにおける平和運動の盛衰」

第一次大戦は「未完の戦争」「うまく終わらなかった戦争」であり、この戦争を理解するうえでは戦間期との接続という視点がとりわけ重要になる。「未完」の内実は、休戦後も戦火が消滅しなかったことやヴェルサイユ体制において火種がくすぶりつづけたことだけにあるわけではない。いわゆる「戦争目的」の不達成あるいは空無化、戦時から平時への回帰に伴う困難、総力戦体制の残存・継続、等もまた、「未完の戦争」を把握するための論点となりうる。
3本の報告は、アイルランド独立戦争、ヴァイマル共和国、イギリスの平和運動を各々素材としながら、これらの論点を検討する。

ドイツ、中欧、ヨーロッパ統合―結節点としての第一次世界大戦

板橋拓己

2011年1月24日

1917年春のフランス軍兵士の「反乱」

松沼美穂

2011年1月 8日

1917年春に西部戦線のシュマン・デ・ダム一帯でフランス軍内におきた兵士の反乱は、戦場で戦うことを拒否したという「国民軍」にあるまじき性格、反乱兵が即決で大量処刑されたという憶測、直前のシュマン・デ・ダム大攻勢の失敗を連想させることなどを背景として、その実態は長い間ヴェールに覆われていた。出来事から半世紀後に公刊された最初の本格的な歴史研究の解釈は学問的に承認され定説化したが、今日でもその問い直しは続いている。反乱の規模、原因、性格について考察することは、フランスの大戦研究史の重要な関心動向に焦点をあてる作業ともなるだろう。 発表の最後に、反乱の舞台となったクラン村を2010年9月に訪問したときの報告を行い、現代における大戦の歴史と記憶の保存と伝承に関する考察を加えたい。