2.東南アジア島嶼部各地域
2-1.インドネシア(蘭領東インド)
2-1.インドネシア(蘭領東インド)
2-1:A.論文・論説
- 安達宏昭「対蘭印交渉政策の形成」『歴史学研究』(歴史学研究会)643(1993.)pp.1-16, 34.
- 秋野晃司「日系インドネシア人の軌跡―Life-historyに関する調査報告」『社会科学ジャーナル(国際基督教大学学報UB)』26/2(1988.3)pp.101-112.
- 青木好三『私録ジャガタラ郵便―占領中の旧蘭印での郵便』不明:切手研究会,1987.(『切手研究』別冊11)
- ブース,アン(波多野澄雄(訳))「日本の経済進出とオランダの対応―植民地インドネシアの経済政策」杉山伸也+ブラウン,イアン(編)『戦間期東南アジアの経済摩擦―日本の南進とアジア・欧米』東京:同文舘出版,1990,
pp.199-230.
- カラサス,ジーン「近藤三郎の思想と軌跡―セレベスにおける日本軍政の一断面」早稲田大学社会科学研究所インドネシア部会(編)『インドネシア―その文化社会と日本』早稲田大学出版部,1979,
pp.87-107.
- 深見純生「日本軍政下ジャワにおける調査研究機関」『日蘭学会会誌』13/1(1988.10)pp.21-36.
- 後藤乾一「イワ・クスマ・スマントリの日本軍政観と独立観―1940年代のインドネシア知識人の政治体験と関係して」『アジア経済』(アジア経済研究所)16/4(1975.4)pp.63-76.
- 後藤乾一「日本人のインドネシア観―市来龍夫論序説」『社会科学討究』(早稲田大学社会科学研究所)20/2-3(1975.3)pp.65-96.
- 後藤乾一「戦前期インドネシアにおける日本人ジャーナリストの活動―「南方関与」の一事例」『社会科学討究』(早稲田大学社会科学研究所)24/3(1979.3)pp.49-68.
- 後藤乾一「一九三〇年代の日本・インドネシア関係史論序説」『アジア研究』(アジア政経学会)26/1(1979.4)pp.1-29.
- 後藤乾一「シンガパルナ事件に関する史的考察―日本軍政期におけるインドネシアの抵抗運動」『社会科学討究』(早稲田大学社会科学研究所)26/2(1981.6)pp.1-38.
- 後藤乾一「開戦前夜の「南進」政策とインドネシア―興亜協会の役割をめぐって」東京外国語大学インドネシア語学科研究室(編)『伊東定典教授・渋沢元則教授退官記念論集・インドネシア研究論叢』東京:編者,1981,pp.71-88.
- 後藤乾一「サレカット・インドネシア考―在日留学生会の民族主義と日本の南進問題」早稲田大学社会科学研究所(編)『日本の近代化とアジア―早稲田大学創立百周年記念特集〈研究シリーズ〉』東京:編者,1983,pp.151-202.
- 後藤乾一「ポンチァナック事件の史的考察―インドネシア・西カリマンタンにおける日本軍政」田中(編)[1983]pp.21-40.
- 後藤乾一 「日本軍政期のインドネシアにおける 「労務者問題」 覚書」 『社会科学討究』(早稲田大学社会科学研究所)
29/3 (1984.
- 6)pp.65-98.
- 後藤乾一「日本軍政とインドネシア独立問題―日本側関係者の回想録を手掛かりに」『社会科学討究』(早稲田大学社会科学研究所)30/1(1984.9)pp.99-134.
- 後藤乾一 「海軍南進論と 「インドネシア問題」」 『アジア研究』(アジア政経学会) (上) 31/2 (1984.7)
pp.1-38;
- (下)31/3(1984.10)pp.33-69.
- 後藤乾一「戦前期インドネシア知識人の日本観―スバルジョの「滞日経験」を手掛かりに」早稲田大学社会科学研究所東南アジア部会(編)『転換期のアジアの開発』東京:早稲田大学出版部,1985,pp.119-140.
- 後藤乾一「台湾総督府の「南方調査」と原口竹次郎」早稲田大学社会科学研究所(編)『アジア学への視角―創設四十周年記念論文集』東京:編者,1985,pp.311-348.
- 後藤乾一『昭和期日本とインドネシア―1930年代「南進」の論理・「日本観」の系譜』東京:勁草書房,1986.
- 後藤乾一『近代日本とインドネシア「交流」百年史』東京:北樹出版,1989.(フマニタス選書11)
- 後藤乾一『日本占領期インドネシア研究』東京:龍渓書舎,1989.
- 後藤乾一+リー・エントアン「インドネシアにおける「従軍慰安婦」問題の政治社会学」『社会科学討究』(早稲田大学社会科学研究所)39/2(1993.12)pp.129-157.
- 後藤乾一「戦後日本・インドネシア関係史研究序説」『社会科学討究』(早稲田大学社会科学研究所)40/1(1994.12)pp.3-32.
- 後藤乾一「「大東亜戦争」の意味」矢野暢(編)『東南アジアと日本』東京:弘文堂,1991.(講座東南アジア学 第10巻)pp.166-183.
- 後藤乾一「日本のインドネシア支配の遺産」細谷千博+本間長世ほか(編)『太平洋戦争』東京:東京大学出版会,1993,
pp.483-509.
- 後藤乾一「「大東亜戦争」解放史観の虚妄性」『世界』608(1995.5)pp.170-180.
- GOTO, Ken'ichi (後藤乾一), ‘Education in Indonesia under Japanese
Occupation'『早稲田大学大学院文学研究科紀要(日本史東洋史西洋史考古学)』41/4(1996.2)pp.3-25.
- 原誠「南方派遣宣教師活動の善意と限界」『福音と世界』37/2(1982.2)pp.54-60.
- 原誠「日本基督教団南方派遣―宣教師とインドネシアの場合」『基督教研究』(同志社大学)56/1(1994.11)pp.23-43.
- 原誠「日本軍政下のインドネシアのカトリック教会―フロレス島を中心に」『基督教研究』(同志社大学)57(1995.12)pp.25-39.
- 原誠「日本軍政とインドネシアのキリスト教」倉沢愛子(編)『東南アジア史のなかの日本占領』東京:早稲田大学出版部,1997,
pp.201-222.
- ヘルマワン,エディ「軍政期バンドゥンの華僑学校」早稲田大学社会科学研究所インドネシア部会(編)『インドネシア―その文化社会と日本』早稲田大学出版部,1979,
pp.323-353.
- ヘルマワン,エディ「太平洋戦争直前の西部ジャワの華僑社会」『社会科学討究』(早稲田大学社会科学研究所)27/2(1982.5)pp.113-136.
- ヘルマワン,エディ「日本軍政期の西部ジャワにおける華僑政策」『社会科学討究』(早稲田大学社会科学研究所)28/2(1983.2)pp.145-177.
- ヘルマワン,エディ「終戦直後の西部ジャワの華僑,華人社会」『社会科学討究』(早稲田大学社会科学研究所)29/2(1984.2)pp.129-159.
- ヘルマワン,エディ「インドネシアにおける日本語教育」(特集 日本語教育史)『日本語教育』60(1986.11)pp.149-158.
- ヘルマワン,エディ「日本軍政期のインドネシア文学―ロシハン・アンワルとハイリル・アンワルの詩について」 『大東文化大学紀要
(人文科学)』 29 (1991.3) pp.167-189.
- 岩生成一(中村成一(編))「ベンコン一族の墓碑」『南方文化』(天理南方文化研究会)16(1989.11)pp.129-136.
- 亀谷隆行「「南進政策」の一考察―太平洋戦争におけるインドネシア(旧蘭領東印度)の造船工業」『研究紀要』(明星大学)13(1977.2)pp.153-166.
- 金光男「北スマトラ石油帰属問題,1945〜57年―軍の石油管理への足がかり」『アジア経済』(アジア経済研究所)32/10(1991.10)pp.2-26.
- 木村栄一郎 「軍政期の教育制度と日本語教育」 早稲田大学社会科学研究所インドネシア部会(編)『インドネシア―その文化社会と日本』早稲田大学出版部,1979,
pp.302-332.
- 木村一信「阿部知二・インドネシアへの旅―ヒューマニズムと逸楽と」芦屋信和+上田博+木村一信(編)『作家のアジア体験―近代日本文学の陰画』京都:世界思想社,1992.(世界思想ゼミナール),pp.161-183.
- 木村一信「阿部知二とインドネシア体験1―その事実を巡って」『立命館言語文化研究』3/3(1992.1)pp.53-68.
- 木岡和明「日本軍政期インドネシアにおける「皇民化」教育政策に関する研究―占領教育政策の内在的原理と機能」 『中研所報』
(大阪工大摂南大学中央研究所) 26/2 (1993)pp.1-16.
- 小林寧子「インドネシア・ムスリムの日本軍政への対応―ジャワにおけるキヤイ工作の展開と帰結」倉沢愛子(編)『東南アジア史のなかの日本占領』東京:早稲田大学出版部,1997,
pp.222-258.
- 小風秀雅「日蘭海運摩擦と日蘭会商―日蘭海運同盟の崩壊と南洋海運の成立」杉山伸也+ブラウン,イアン(編)『戦間期東南アジアの経済摩擦―日本の南進とアジア・欧米』東京:同文舘出版,1990,
pp.109-140.
- 小座野八光「日本占領下ジャワの村落行政」倉沢愛子(編)『東南アジア史のなかの日本占領』東京:早稲田大学出版部,1997,
pp.3-30.
- 小座野八光「日本占領下のジャワ村落首長」『東南アジア―歴史と文化―』(東南アジア史学会)26(1997)pp.37-58.
- 倉沢愛子「日本軍政下のジャワにおける米穀流通政策」 『アジア経済』(アジア経済研究所) 21/11 (1980.11)
pp.2-23.
- 倉沢愛子「ジャワの村落における社会変容の一考察―日本軍政下の籾供出制度とその影響」『東南アジア研究』(京都大学東南アジア研究センター)19/1(1981.6)pp.77-105.
- 倉沢愛子「動員と統制―日本軍政期のジャワにおけるイスラム宣撫工作について」『東南アジア―歴史と文化―』(東南アジア史学会)10(1981)pp.69-121.
- 倉沢愛子「ジャワ甘蔗栽培地にみる社会変容の一考察―1930〜45年のジョクジャカルタを中心にして」『アジア経済』(アジア経済研究所)23/8(1982.8)pp.40-58.
- 倉沢愛子「日本軍政下におけるインドネシア地方行政官(パングレ・ブラジャ)の変容と展開」土屋健治+白石隆(編)『東南アジアの政治と文化』東京:東京大学出版会,1984.(国際関係論のフロンティア3)pp.157-185.
- 倉沢愛子「日本軍政下におけるジャワの大衆動員政策」『歴史学研究』(歴史学研究会)586(1988.10)pp.207-215.
- 倉沢愛子「日本軍政下のジャワにおける映画工作」『東南アジア―歴史と文化―』(東南アジア史学会)18(1989)pp.41-69.
- KURASAWA, Aiko (倉沢愛子), ‘Japanese Educational Policy in Java,
1942-1945', Journal of the Japan-Netherlands Institute, 2 (1989.10),
pp.178-192.
- 倉沢愛子「日本占領下のジャワにおける教育政策」藤原彰+荒井信一(編)『現代史における戦争責任』東京:青木書店,1990,pp.187-224.
- 倉沢愛子『日本占領下のジャワ農村の変容』東京:草思社,1992.
- 倉沢愛子「キンタルの時代―日本軍政下のジャワ一村落の盛衰」石井米雄+辛島昇+和田久徳(編) 『東南アジア世界の歴史的位相』
東京:東京大学出版会, 1992, pp.246-266.
- 倉沢愛子「インドネシア」吉川利治(編)『近現代史のなかの日本と東南アジア』東京:東京書籍,1992, pp.79-119.
- 倉沢愛子「インドネシアにおける日本軍政のもたらした影響」萩原宜之+後藤乾一(編)『東南アジア史のなかの近代日本』東京:みすず書房,1995,pp.113-131.
- 倉沢愛子「インドネシア脱植民地化の過程にみるオランダと日本」『歴史学研究』(歴史学研究会)672(1995.6),pp.12-24.
- 倉沢愛子「日本軍占領下の米経済の変容」疋田康行(編)『南方共栄圏―戦時日本の東南アジア経済支配』東京:多賀出版,1995,
pp.645-672.
- 倉沢愛子「戦前・戦中のインドネシア人日本留学生の軌跡」衛藤瀋吉先生古稀記念論文集編集委員会(編)『20世紀アジアの国際関係V―ナショナリズムと国家建設』東京:原書房,1995,pp.27-49.
- 倉沢愛子「日本との交流」綾部恒雄+石井米雄(編)『もっと知りたいインドネシア』東京:弘文堂,1995,pp.261-283.[第2版]
- Locher-Scholten, Elizabeth, ‘Changing Perceptions of Japan
in the Netherlands and Netherlands East Indies before 1942',
Journal of the Japan-Netherlands Institute, 2 (1989.10), pp.43-66.
- 増田与「太平洋戦争期のインドネシア民族運動―1945年憲法体制分析の基本視角」『歴史学研究』(歴史学研究会)289(1964.6)pp.14-22.
- 増田与『インドネシア現代史』東京:中央公論社,1977.
- 増田与「インドネシアの近代化と日本」『社会科学討究』(早稲田大学社会科学研究所)18/2(1973.2)pp.121-179.
- 増田与「インドネシア人の日本観―ジョセフ・ハッサン論序説」『社会科学討究』(早稲田大学社会科学研究所)20/2-3(1975.3)pp.97-133.
- 増田与+後藤乾一「日本・インドネシア経済関係史研究の序説に向けて―第一次日蘭会商前夜の蘭領東インド史上における日本綿布,一試論」『社会科学討究』(早稲田大学社会科学研究所)22/3(1977.5)pp.85-135.
- ミスバッハ・ユサ・ビラン「日本占領下のインドネシア映画」『岩波講座・日本映画4―戦争と日本映画』東京:岩波書店,1986,pp.300-311.
- 水上勲「阿部知二とジャワ徴用体験」『帝塚山大学紀要』23(1986.12)pp.34-54.
- 百瀬侑子「インドネシアにおける皇民化教育の聞き取り調査」『成城学園教育研究所研究年報』14(1991)pp.36-59.
- 村井吉敬 「日本は何をしたか, 何を訴えられているか―インドネシア」 『世界』 591 (1994.2)pp.160-161.
- 村山良忠「両大戦間期日本綿織物の東南アジア進出―蘭領東インドを中心に」『東南アジア―歴史と文化―』(東南アジア史学会)11(1982)pp.37-63.
- 村山良忠「戦前期オランダ領東インドにおける邦人経済進出の形態―職業別人口調査を中心にして」『アジア経済』(アジア経済研究所)26/3(1985.3)pp.52-69.
- 村山良忠「第1次日蘭会商―日本の宥和的経済進出の転換点」清水元(編)『両大戦間期日本・東南アジア関係の諸相〈日本・東南アジア関係史T〉』東京:アジア経済研究所,1986.(研究双書346)pp.87-117.
- 内藤能房「一九二〇〜三〇年代のインドネシアの国際収支―植民地的流出とその政治経済的背景」『一橋論叢』98/6(1987.12)pp.105-122.
- 西村重夫「日本占領期インドネシアの地方教育」『国立教育研究所紀要』121(1992)pp.291-301.
- 大畑篤四郎「日本・インドネシア関係史上における太平洋戦争―その試論的展望」『社会科学討究』(早稲田大学社会科学研究所)21/3(1976.3)pp.97-102.
- 及川敬一「武田麟太郎―インドネシアの独立を夢見て」神谷忠孝+木村一信(編)『南方徴用作家―戦争と文学』京都:世界思想社,1996.(世界思想ゼミナール)pp.137-157.
- 大蔵省管理局『日本人の海外活動に関する歴史的調査―南方編4各論 蘭印編』[東京],1947.(通巻33)
- 太田弘毅「海軍セレベス民政部の軍政―最初期を中心に」『南方文化』(天理南方文化研究会)7(1980.12)pp.107-132.
- 太田弘毅「陸軍南方占領地の映画政策―ジャワの場合を中心に」『政治経済史学』(日本政治経済史学研究所)276(1989.4)pp.29-49.
- 太田弘毅「海軍南方軍政としての土侯対策―インドネシア外領を中心に」『政治経済史学』(日本政治経済史学研究所)306(1991.12)pp.1-24.
- ポスト,ピーター (清水洋(訳)) 「対蘭印経済拡張とオランダの対応」 大江志乃夫+浅田喬二ほか(編)『岩波講座・近代日本と植民地3―植民地化と産業化』東京:岩波書店,1993,pp.51-73.
- 左藤正範「インドネシアにおける日本軍政の言語政策」『太平洋学会誌』16(1980.4)pp.111-124; 27(1980.7)pp.152-166;
38(1980.10)pp.143-150.
- 左藤正範「インドネシア語の中の日本語語源の語彙―日本軍政のインパクトに関する予備的データとして」東京外国語大学インドネシア語学科研究室(編)『伊東定典教授・渋沢元則教授退官記念論集 インドネシア研究論叢』東京:編者,1981,pp.15-30.
- 左藤正範「インドネシアにおける日本軍政期の言語・教育政策―日本海軍支配地域の場合」『京都産業大学論集』12/4(1983.3)pp.240-309.
- 左藤正範「インドネシア語の語彙にみられる日本軍政の影響」『京都産業大学国際言語科学研究所報』10(1989.3)pp.5-73.
- 左藤正範「インドネシア語と地方語の辞書に見られる日本語語源の語彙」『京都産業大学国際言語科学研究所所報』11(1990.3)pp.20-52.
- 左藤正範「「インドネシア語―外国語(地方語)」の辞書に見られる日本語語源の見出し語」『京都産業大学国際言語科学研究所所報』12(1991.3)pp.6-44.
- 左藤正範「インドネシアの教科書に出ている日本語語源の語彙について」『京都産業大学国際言語科学研究所報』13(1992),pp.208-295.
- 左藤正範「インドネシアの教科書にみられる日本語起源の語彙リスト」『京都産業大学国際言語科学研究所所報』15/1(1993.12)pp.113-152.
- 左藤正範「インドネシアの文学書にみられる日本語起源の語彙リスト」『ことばのアスペクト』(京都産業大学)7(1994.3)pp.41-62.
- 左藤正範「インドネシア語の辞書における「ロームシャ」について」『京都産業大学論集』25/2(1995.3),pp.1-18.
- 左藤正範「インドネシアの歴史教科書における「ロームシャ」について」『東南アジア研究』(京都大学東南アジア研究センター)32/4(1995.3)pp.495-522.
- SHIMIZU, Hiroshi (清水洋), ‘Dutch-Japanese Competition in the
Shipping Trade on the Java-Japan Route in the Inter-War Period.'
『東南アジア研究』(京都大学東南アジア研究センター) 26/1 (1988.6) pp.3-23.
- SHIMIZU, Hiroshi (清水洋), ‘A Study of Japan's Commercial Expantions
into the Netherlands Indies from 1914 to 1941' 『名古屋商科大学論集』 34/2
(1990.3) pp.43-76.
- 清水洋「蘭領東インドにおける「からゆきさん」の研究―19世紀末から1930年代初めにかけて」『名古屋商科大学論集』38/1(1993.9)pp.47-76.
- 白石愛子「ジャワ防衛義勇軍の設立」『東南アジア―歴史と文化―』(東南アジア史学会)4(1974)pp.3-41.
- 白石愛子「アンカタン・ムダ運動の形成と展開」『アジア研究』(アジア政経学会)22/1(1975.4)pp.59-92.
- 白石愛子「ブリタル反日蜂起の史的考察―インドネシア8月革命序曲」『東南アジア研究』(京都大学東南アジア研究センター)13/4(1976.3)pp.535-558.
- 白石愛子「日本軍政期のインドネシア反日運動の一考察―レンガスデンクロック事件における「サブ・マス」の役割」『アジア経済』(アジア経済研究所)17/4(1976.4)pp.68-76.
- 白石愛子「日本軍政期におけるスマトラの義勇軍」『アジア経済』(アジア経済研究所)18/3(1977.3)pp.24-44.
- 白石さや「日本軍政下のアチェ」『東南アジア―歴史と文化―』(東南アジア史学会)5(1975)pp.132-146.
- ストポ・スタント「日本軍政とインドネシア独立―神の試練としての前田精海軍少将の対応」『社会科学討究』(早稲田大学社会科学研究所)40/1(1994.12)pp.33-66.
- 染谷臣道「絶対依嘱・勇気・前進のための戦い―あるジャワ人ロームシャの生涯」『東南アジア研究』(京都大学東南アジア研究センター)34/1(1996.6)pp.258-287.
- 首藤もと子「教育に見る日本軍政期の認識―インドネシアの歴史教科書を中心に」倉沢愛子(編)『東南アジア史のなかの日本占領』東京:早稲田大学出版部,1997,
pp.453-477.
- スラジャヤ,イ・クトゥット「インドネシア語の中の日本語―日本の国際化に関して」梅棹忠夫+小川了(編)『ことばの比較文明学』東京:福武書店,1990,pp.309-338.
- 鈴木恒之「ブロー・マンディ農園事件―1920年代日本の南方関与の一考察」『紀要』(東京女子大学附属比較文化研究所)49(1988.1)pp.1-19.
- 田口道昭「武田麟太郎とジャワ―『ジャワ更紗』」 芦屋信和+上田博+木村一信(編)『作家のアジア体験―近代日本文学の陰画』京都:世界思想社,1992.(世界思想ゼミナール),
pp.139-159.
- 田中則雄「強制栽培制度と岩倉遣米使節団」『東南アジア―歴史と文化―』(東南アジア史学会)17(1988)pp.145-147.
- 谷川栄彦「太平洋戦争下のインドネシア民族運動―ジャワを中心として」『法政研究』(九州大学)21/1(1953)pp.105-130.
- TSUCHIYA, Kenji (土屋健治), ‘The Colonial State as a “Glass House”:
Some Observations on Confidencial Documents Concerning Japanese
Activities in the Dutch East Indies. 1900-1942', Journal of the
Japan Netherlands Institute, 2 (1989.10), pp.67-76.
- 土屋忍 「北原武夫とジャワの薔薇―軍服を着て立ちつくす」 神谷忠孝+木村一信(編)『南方徴用作家―戦争と文学』京都:世界思想社,1996.(世界思想ゼミナール)pp.159-180.
- 内海愛子+村井吉敬『赤道下の朝鮮人〓乱』東京:勁草書房,1987.
- 早稲田大学社会科学研究所(編)『インドネシアにおける日本軍政の研究』東京:紀伊国屋書店,1959.
- 早稲田大学社会科学研究所インドネシア部会(編)『インドネシア―その文化社会と日本』早稲田大学出版部,1979.
2-1.インドネシア(蘭領東インド)
2-1:B.翻訳
- アブドゥラ・タウフィック(編)(渋沢雅英+土屋健治(訳))『真実のインドネシア―建国の指導者たち』東京:サイマル出版会,1979.
- アリシャバナ,S・T(後藤乾一(監訳))『戦争と愛』(全2巻)東京:井村文化事業社,1983.(東南アジアブックス53・54/インドネシアの文学4・5)
- アンワル,ロシハン(後藤乾一(編);首藤もと子+小林寧子(訳))『シャフリル追想「悲劇」の初代首相を語る』東京:井村文化事業社,1990.(東南アジアブックス103/インドネシアの社会8)
- アスワブ・マハシンほか(編)(高取茂(訳))『インドネシアへの歩み―庶民が綴るインドネシア現代史』東京:井村文化事業社,1989.(東南アジアブックス101/インドネシアの社会9)
- ハッタ,モハマッド(冨尾武弘(訳))「独立宣言前後」『南方文化』(天理南方文化研究会)14(1977.7)pp.229-232;
25(1978.7)pp.111-132.
- ハッタ,モハマッド(大谷正彦(訳))『ハッタ回想録』東京:めこん,1993.
- インドネシア国立公文書館(編)(倉沢愛子+北野正徳(訳))『ふたつの紅白旗―インドネシア人が語る日本占領時代』東京:木犀社,1996.
- ジェイコブズ,G・F(原もと子(訳))『モンスーンへの序曲―スマトラの連合国人抑留所解放記』東京:勁草書房,1987.
- カナヘレ,ジョージ・S(後藤乾一+近藤正臣+白石愛子(訳))『日本軍政とインドネシア独立』東京:鳳出版,1977.
- マラヒミン,イスマイル(高殿良博(訳))『そして戦争は終わった』東京:井村文化事業社,1991.(東南アジアブックス106/インドネシアの文学13)
- マングンウィジャヤ,Y・B(舟知恵(訳))『嵐の中のマニャール』東京:井村文化事業社,1987.(東南アジアブックス82/インドネシアの文学11)
- 増田与(編訳)『スカルノ大統領の特使―鄒梓模回想録』東京:中央公論社,1981.(中公新書)
- ラザク,アブドゥール「日本の過去と現在の役割―インドネシアからの直言」コンスタンティーノ,レナト(編)(津田守+奥野知秀(監訳))『日本の役割―東南アジア6カ国からの直言』狛江:びすく社(発売=東京:刊行社),1992,pp.31-61.
- シマトゥパン,T・B(左藤正範(訳))『インドネシア独立への道』東京:井村文化事業社,1985.(東南アジアブックス70/インドネシアの社会3)
- スバルジョ,アフマッド(奥源造(編訳))『インドネシアの独立と革命』東京:龍渓書舎,1973.
2-1.インドネシア(蘭領東インド)
2-1:C.回想・伝記・訃報・証言
- 飛鳥音久+橋本竜一(編)『カリマンタン南ボルネオ会創立四十周年記念号』東京:南ボルネオ会,1991.
- 衛藤瀋吉(聞き手)『インタヴュー記録C.日本の南方関与4』東京:特定研究「文化摩擦」(東京大学教養学部国際関係論研究室),1980.(第1部:インドネシアにおける司政,工作活動(大西信次・多田芳雄・宮元静雄・高田修・大槻時治・森本秀身);第2部:インドネシアにおける日系企業の活動(森山武・横山碧・三枝久徳・渋谷義雄);第3部:インドネシアにおける日本語教育(吉村道・山本優子・吉川裕子・M女史))
- 権二郎『オラン・ジュパン―ジャワ・スマトラ残留日本人を訪ねて』神戸:長征社,1995.
- 後藤乾一『火の島の墓標―ある〈アジア主義者〉の流転と帰結』東京:時事通信社,1977.
- 後藤乾一「インドネシアで初めて日本語を教えた人―長島弘とD・デッケルのクサトリア学院」『東南アジア―歴史と文化―』(東南アジア史学会)14(1985)pp.165-166.
- 後藤乾一『原口竹次郎の生涯 南方調査の先駆』東京:早稲田大学出版部,1987.
- 長谷川豊記『虎憲兵潜行記・スマトラ無宿』東京:叢文社,1982.
- インドネシア日本占領期史料フォーラム(編)『証言集・日本軍占領下のインドネシア』東京:龍渓書舎,1991.(南方軍政関係資料6)
- 猪俣良樹『日本占領下・インドネシア旅芸人の記録』東京:めこん,1996.
- 井関恒夫『西ボルネオ住民虐殺事件 検証「ポンテアナ事件」』東京:不二出版,1987.
- 石居太楼「半世紀の歩み」『東南アジア研究』(京都大学東南アジア研究センター)16/1(1978.6)pp.119-135.
- 岩生成一「一研究者の思い出あれこれ―ジャカルタの国立公文書館を中心に」『南方文化』(天理南方文化研究会)6(1979.11)pp.217-234.
- ジャガタラ友の会(編)『ジャガタラ閑話―蘭印時代の邦人の足跡』東京:編者,1978.[増補改訂版]
- ジャワ陸輸総局史刊行会(編)『ジャワ陸輸総局史』東京:編者,1976.
- 片山日出雄『アンボンで何が裁かれたか』東京:聖文舎,1991.
- 川江宏「日本軍によるインドネシア侵略と残酷な統治(日本のアジア侵略の真の清算のために)」『前衛』610(1991.9)pp.229-241.
- 北出大太『ムルデカの道―元海軍将校が綴ったインドネシア独立秘話』東京:評伝社,1986.
- 倉沢愛子(編)『南方特別留学生が見た戦時下の日本人』東京:草思社,1997.
- 倉茂好雄『蘭印滞在記』不明:清水弘文堂,1988.
- 『南から―インドネシア残留元日本兵の回想』不明:西田書店,1984.
- 宮元静雄『ジャワ終戦処理記』東京:ジャワ終戦処理刊行会,1973.
- 水野広祐「踏みにじられ忘れられた“戦友”―インドネシア元兵補(特集・突きつけられた日本の戦争・戦後責任―太平洋戦争開戦から50年―道義ある国でありたい)」『月刊社会党』435(1991.12)pp.53-56.
- 森本武志『ジャワ防衛義勇軍史』東京:龍渓書舎,1992.(南方軍政関係資料10)
- 長岡新治郎「有吉巌氏を偲んで」『東南アジア―歴史と文化―』(東南アジア史学会)14(1985)pp.191-192.
- 日本インドネシア兵補協会(編)『インドネシア―兵補の訴え』東京:梨の木舎,1993.(シリーズ・問われる戦争補償5)
- 西嶋重忠『証言インドネシア革命―ある日本人革命の半生』東京:新人物往来社,1975.
- 西嶋重忠『インドネシア独立革命―ハキム西嶋の証言・増補』東京:鹿砦社,1981.
- 奥源造『インドネシア独立戦争を生き抜いて―残留日本人と2世の記録』東京:三信図書,1987.
- 奥源造『帰らなかった日本兵―インドネシア独立史から消えた戦士たち』東京:政界往来社,1987.
- 大村哲夫「インドネシアの「慰安婦」問題覚書「現地調達」された女たち」『世界』584(1993.7)pp.272-280.
- 長洋弘『帰らなかった日本兵』東京:朝日新聞社,1994.
- 鴛渕慶「インドネシアの日系人たち―“望郷”にうずく老戦士たち」『海外日系人』12(1982.10)pp.28-29.
- 笹本武治「岸幸一さんの急逝を悼んで」『アジア経済』(アジア経済研究所)10/11(1969.11)pp.101-102.
- 関口千恵(聞き手)「公式な謝罪と補償を求める―オランダ領東インドにおける日本軍による抑留―ジェラード・ユングスラーガー氏に聞く(インタビュー/ヒューマン・ライツ)」『法学セミナー』455(1992.11)pp.1-3.
- 白石隆(聞き手)『インタヴュー記録A.日本とアジア2.青木英五郎』東京:特定研究「文化摩擦」(東京大学教養学部国際関係論研究室),1979.
- 白石隆(聞き手)『インタヴュー記録A.日本とアジア5.富樫武臣氏』東京:特定研究「文化摩擦」(東京大学教養学部国際関係論研究室),1980.
- 白石隆(聞き手)『インタヴュー記録A.日本とアジア6.菊池武美氏』東京:特定研究「文化摩擦」(東京大学教養学部国際関係論研究室),1981.((付)菊池武美「回想記」)
- 白石隆+白石さや(聞き手)『インタヴュー記録A.日本とアジア1.東徹』東京:特定研究「文化摩擦」(東京大学教養学部国際関係論研究室),[1979?].
- 白石隆『スカルノとスハルト―偉大なるインドネシアをめざして』東京:岩波書店,1996.(現代アジアの肖像11)
- 総山孝雄(編)『インドネシアの独立と日本人の心―独立戦争に参画した人々が語るアジア解放への熱望と歴史の真実』東京:展転社,1992.
- 首藤もと子「日本の対インドネシア賠償交渉―西島重忠氏に聞く」『アジア経済』(アジア経済研究所)35/4(1994.4)pp.50-60.
- スマトラ憲友会(編)『スマトラ紀行』安田町(新潟):スマトラ憲友会新潟連絡所,1978.
- 鈴木正夫『スマトラの郁達夫―太平洋戦争と中国作家』東京:東方書店,1995.
- 栃窪宏男『日系インドネシア人―元日本兵ハッサン・タナカの独立戦争』東京:サイマル出版会,1979.
- 栃窪宏男『二つの祖国を生きた―続・日系インドネシア人』東京:サイマル出版会,1983.
- 土屋健治+白石隆(聞き手)『インタヴュー記録A.日本とアジア4.近藤禎昭氏』東京:特定研究「文化摩擦」(東京大学教養学部国際関係論研究室),1980.((付)近藤禎昭「ルマジャン邦人の記録―草分けより引揚げまで」)
- 内海愛子+村井吉敬『シネアスト許泳の「昭和」―植民地下で映画づくりに奔走した一朝鮮人の軌跡』東京?:凱風社,1987.
- 内海信夫『ジャワ進駐の思い出』東京:五月書房,1969.
- 山口幸雄「異文化の壁,感情と誤解の分け目―国際化の中の日系ドイツ人一家」『調研室報』96(1992.3)pp.91-121.
- 山口幸雄「独蘭,日蘭開戦の混乱の中で―国際化の中の日系ドイツ人一家」『調研室報』(朝日新聞社)97(1992.5)pp.67-89.
- 山口幸雄「ジャワ占領,今村軍政時代に―国際化の中の日系ドイツ人一家」『調研室報』98(1992.7)pp.127-142.
- 山口幸雄「占領初期,スマトラとジャワで―国際化の中の日系ドイツ人一家」『調研室報』99(1992.9)pp.101-117.
- 山口幸雄「軍政と敗戦,孫の青春の盛りに―国際化のなかの日系ドイツ人一家」『調研室報』100(1993.1)pp.85-108.
2-1.インドネシア(蘭領東インド)
2-1:D.戦記・戦史・慰霊
- 防衛庁防衛研修所戦史室(編)『蘭印攻略作戦』東京:朝雲新聞社,1967.(戦史叢書)
- 防衛庁防衛研修所戦史室(編)『豪北方面陸軍作戦』東京:朝雲新聞社,1969.(戦史叢書)
- 防衛庁防衛研修所戦史室(編)『西ニューギニア方面陸軍航空作戦』東京:朝雲新聞社,1969.(戦史叢書)
- 防衛庁防衛研修所戦史室(編)『蘭印・ベンガル湾方面海軍侵攻作戦』東京:朝雲新聞社,1969.(戦史叢書)
- 早川清『バタカロ・ゲリラ―インドネシア独立戦記』東京:東京文芸社,1987(忘却の青春)[再版]
- 伊藤隼男『西イリアン紀行―父の戦没地を訪ねて』東京:新人物往来社,1981.
2-1.インドネシア(蘭領東インド)
2-1:E.文献目録・研究動向・史料事情
- 深見純生(編)『日本占領期インドネシア年表』寝屋川(大阪):インドネシア史研究会,1993.
- 後藤乾一「早稲田大学社会科学研究所における東南アジア研究の現状―インドネシア研究を中心として」『東南アジア―歴史と文化―』(東南アジア史学会)6(1976)pp.188-190.
- 後藤乾一「インドネシア共和国独立記念会館―その図書館活動について」『東南アジア―歴史と文化―』(東南アジア史学会)8(1979)pp.143-145.
- 後藤乾一「インドネシア知識人と日本軍政―ルスラン・アブドゥルガニ論文をめぐって」『社会科学討究』(早稲田大学社会科学研究所)25/3(1980.5)pp.103-123.
- 後藤乾一「「インドネシアにおける日本軍政」関係者の回想録刊行状況」『東南アジア―歴史と文化―』(東南アジア史学会)9(1980)pp.157-159.
- 後藤乾一「戦前期インドネシア留学生の日本観―「M. ガウス回想記」について」『社会科学討究』(早稲田大学社会科学研究所)28/2(1982.2)pp.327-357.
- 後藤乾一「「インドネシア日本占領期史料フォーラム」の活動」『東南アジア―歴史と文化―』(東南アジア史学会)116(1987)pp.174-175;
217(1988)pp.153-154.
- インドネシア日本軍占領期史料フォーラム(編)『日本軍占領下のインドネシア展―記録と証言』(報告書),東京,1988.
- インドネシア日本占領期史料フォーラム(編)『インドネシア日本占領期文献目録』東京:龍渓書舎,1997.
- 河嶋慎一「常設展示「ボロブドゥール」関連資料について」『アジア・アフリカ資料通報』(国立国会図書館)22/4(1984.7)pp.27-30.
- 増田与「横森義政と関係資料について―日本・インドネシア民衆交流史の原点を求めて」早稲田大学社会科学研究所インドネシア部会(編)『インドネシア―その文化社会と日本』早稲田大学出版部,1979,
pp.117-132.
- 増田与「戦後の日本とインドネシアの関係について―「鄒梓模コレクション」をめぐって」『社会科学討究』(早稲田大学社会科学研究所)24/3(1979.3)pp.69-142.
- 村山良忠 「早稲田大学社会科学研究所のインドネシア研究」 『東南アジア―歴史と文化―』(東南アジア史学会) 9 (1980)
pp.168-170.
- 永積昭「日本占領軍政の被害者が書いた戦記文学(S. タクディルアリシャバナ「戦争と愛」)」『朝日ジャーナル』26/4(1984.1.27)pp.73-75.
- 大畑篤四郎 「「インドネシアにおける日本軍政」 研究の再検討」 早稲田大学社会科学研究所インドネシア部会(編)『インドネシア―その文化社会と日本』早稲田大学出版部,1979pp.108-116.
- 蔡史君「倉沢愛子著『日本占領下のジャワ農村の変容』」(書評論文)『東南アジア―歴史と文化―』(東南アジア史学会)23(1994)pp.63-81.
- 高橋宗生「「インドネシア日本占領期史料フォーラム」の活動と成果」『アジア経済資料月報』34/1(1992.1)pp.72-86.
- 田中則雄「19世紀末,日本人土木技師の視たジャワの治水,灌漑事業―近藤虎五郎『蘭領印度爪哇島土木事業視察復命書』(明治30年)について」『南方文化』(天理南方文化研究会)18(1991.11)pp.207-246.
- 吉久明宏「ボロブドゥール遺跡邦文文献目録」『アジア・アフリカ資料通報』(国立国会図書館)22/4(1984.7)pp.30-36.
2-1.インドネシア(蘭領東インド)
2-1:F.史料(復刻を含む)
- 阿部知二『火の島 ジャワ・バリ島の記』東京:中央公論社,1992.(中公文庫)
- 茶園義男(編・解説)『BC級裁判和蘭裁判資料・全巻通覧』東京:不二出版,1992.(BC級戦犯関係資料集成15)
- 大日本軍政部+爪哇軍政監部(編)(倉沢愛子(解題))『日本語教科書』東京:龍渓書舎,1993.(南方軍政関係資料9)[復刻版]
- 後藤乾一(編)「塩谷巖三・戦時ジャワ日記」(1)12(1985.11)pp.151-187; (2)13(1986.11)pp.163-192.
- 市来竜夫『南洋便り・市来竜夫書簡集』東京:早稲田大学社会科学研究所,1991.(同研究所資料シリーズ2)
- ジャガタラ友の会(編)『写真で綴る蘭印生活半世紀―戦前期インドネシアの日本人社会』東京,1987.
- Djawa Gunseikanbu (ジャワ軍政監部), Orang Indonesia Jang Terkemoeka
di Djawa(ジャワにおけるインドネシア人著名人録),東京:ビブリオ,1973.[1944年刊の復刻版]
- ジャワ軍政監部(倉沢愛子(編・解題))『治官報・KANPO』(全8巻)東京:龍渓書舎,1989.
- ジャワ軍政監部(編)(倉沢愛子(解題))『極秘・ジャワ軍政規定集』1東京:龍渓書舎,1994.(南方軍政関係資料14)
- 爪哇軍政監部総務部調査室(編)(倉沢愛子(解題))『極秘・軍政下ジャワ産業綜覧』(全2巻)東京:龍渓書舎,1990.(南方軍政関係史料3)[復刻版]
- ジャワ軍政監部総務部調査室(編)(倉沢愛子(解題))『爪哇に於ける文教の概況』東京:龍渓書舎,1991.(南方軍政関係資料7)[1944年刊の復刻版]
- ジャワ新聞社(編)『ジャワ年鑑』東京:ビブリオ,1973.[ジャワ新聞社1944年刊の復刻版]
- ジャワ新聞社(倉沢愛子(解題))『新ジャワ(昭和一九年一〇月創刊号〜二〇年八月終刊号)』東京:龍渓書舎,1990.(南方軍政関係史料4)[復刻版]
- ジャワ新聞社(倉沢愛子(解題))『ジャワ・バル―1943年1月1日号〜1945年8月1日号』(全5巻)東京:龍渓書舎,1992.(南方軍政関係史料8)[復刻版]
- 木村一信(編・解題)『南方徴用作家叢書(第1期)ジャワ篇』(全15巻;浅野晃,阿部知二,大江賢次,大木惇夫,大宅壮一,郡司次郎正,北原武夫,斉藤良輔,武田麟太郎,富沢有為男)東京:龍渓書舎,1996.(南方軍政関係資料25-1)
- 倉沢愛子(解題)『農村実態調査―ジョクジャ州・ボゴール州・マラン州』東京:龍渓書舎,1995.(南方軍政関係資料17)[復刻版]
- 倉沢愛子『写真記録 東南アジア 歴史・戦争・日本2インドネシア』東京:ほるぷ出版,1997.
- 満鉄東亜経済調査局(編)『インドネシアにおける華僑』東京:青史社,1986.(南方資料叢書7)[1940年版『蘭領印度に於ける華僑』の復刻]
- 満鉄東亜経済調査局(編)『蘭領東印度』東京:クレス出版,1991.[復刻版]
- 大庭定夫『ジャワ敗戦抑留日誌(1946-47)』東京:龍渓書舎,1996.(南方軍政関係資料22)
- 治集団報道班+うなばら新聞社(後藤乾一+木村一信(解題))『赤道報・うなばら』東京:龍渓書舎,1993.(南方軍政関係資料12)[復刻版]
- 治集団司令部(中村光男(解題))『全ジャワ回教状況調査書』東京:龍渓書舎,1991.(南方軍政関係資料5)[1943年刊の復刻版]
- 塩谷巌三(後藤乾一(編))『我が青春のバタヴィア―若き調査マンの戦前期インドネシア留学日記』東京:龍渓書舎,1987.
- 武富登巳夫(編・解説)『ババル島事件関係書類』東京:不二出版,1987.(十五年戦争極秘資料集2)
- 徳川義親『じゃがたら紀行』東京:中央公論社,1980.(中公文庫)
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