移民の近代史-東アジアにおける人の移動

班長 水野 直樹

移民の近代史-東アジアにおける人の移動
「朝鮮・釜山港の関釜連絡船乗り場」(『日本地理体系 12 朝鮮』改造社、1930年)

19世紀後半から20 世紀前半の時期、東アジアにおいて大規模な「人の移動」という現象が生じた。東アジア地域の世界資本主義システムへの包摂、日本帝国の膨張、それらにともなう各地域の社会的変動などがその要因である。

この問題についてこれまで研究がなされてこなかったわけではない。しかし、従来の研究の多くが各国・地域別になされてきたため、東アジア全体を対象にして総合的に考察されることは少なかった。本研究は、日本、朝鮮、中国(主に「満洲」地方)など各地域間の人の移動とその背景を検討することによって、人の移動の歴史的意味を考察することを目的としている。

各地域で生じた人の移動は、それぞれ背景を異にしているかに見えながら、相互に関連し合っている場合がある。「満洲国」成立後の日本の移民政策を例にとると、日本人の満洲移民、朝鮮人の日本「内地」移住および満洲移住の間には、明確な相互関係が見られる。日本政府が朝鮮人の「内地」移住を抑制する政策をとったのに対して、朝鮮総督府はそのためには朝鮮人の満洲移住が必要であると主張した。他方、満洲国を実質的に支配する関東軍は、日本人移民を優先する立場から朝鮮人の移住に対して消極的であった。このような移民政策の面での相互関係を確認した上で、移住先において日本人・朝鮮人・中国人がどのような関係にあったのか、ということも検討すべき課題である。さらに、第二次世界大戦の終結、日本の敗戦、それに続く各国・地域における政治情勢の変動は、移住先から故郷への帰還(引き揚げ)だけでなく新たな人の移動を生み出した。このような問題も視野に入れながら、歴史学・地理学・人類学・社会学など学問分野を異にする研究者の共同研究として、「移民の近代史」を考察している。


班員
李 昇燁、石川禎浩、岩井茂樹、籠谷直人、小関 隆、高木博志、 竹沢泰子