色道書の言語をめぐる文明史的研究

班長 横山 俊夫

色道書の言語をめぐる文明史的研究
『色道古銀買』(1680/京大・文・潁原文庫蔵)に描かれた『難波鉦』評者思案の図。当研究班輪読風景もこれに近きか。

安定社会が閉塞することなく文明に赴くのは難しい。文明とは、社会を構成する人、もの、ことがアヤを織りなし、環境もふくめた全体がハンナリと光をはなち続けることである。文明化の決め手は、多様な構成要素のあいだを、いかなる仲立ちがどのようにとりもつか、その媒介機能の質にある。武断の影がうすれゆく社会で幅をきかす仲立ちは、わけても言語である。

この研究班 (‘09.4~‘11.3) は、17-18世紀の安定期日本の京、大坂に栄えた遊廓での遊びの指南書をとりあげる。その、武にたよらぬ特異な閉鎖空間は、いわば安定社会の文明化の小規模実験場であり、そこでの言葉の作法こそ、廓の賑わい持続の鍵であった。そのやりとりの実態を、残された指南書から浮かび上がらせ、言語と文明化の関わりを考えたい。

班員の多くは、この組織の前身である「文明と言語」班において、藤本箕山著『色道大鏡』に導かれて廓の式目を習い、「瓦智」から「催興」や「大偽」へ、そして廓の上がり鯰たる「等賤」を経て、「玄妙」さらには「大極」にいたる二十八品の男の浮沈に感嘆しつつ、交わりの雅俗に触れた。さらに、酉水庵無底居士の手になる『難波鉦(なにわどら)』に挑み、天神位の遊女の声に耳を傾けることから、しだいに太夫居並ぶ座へと読み昇るほどに、話し言葉の虚実、柔剛、明暗に呆れつつ、二十五章を校訂、現代上方語に試訳し、仮綴じ二冊にまとめた。

現行の班では、同時代の関連書や芸能にも視野を拡げながら、これまでの『難波鉦』解釈の吟味増補につとめ、この資料がはらむ文明史的なメッセージを抽き出したい。班員の専門分野は、言語学や古典文芸学にかぎらず、分子生命科学や霊長類学から情報処理学にもわたる。資料輪読と並行に、各班員の専攻分野での現代学術用語の生態についての文明史的批評をも開陳し合うことにしている。それが、300年前の色道書の読解に役立つとの手応えを得ているからである。


班員
岩城卓二、加藤和人、菊地 暁、古勝隆一、武田時昌、田中祐理子