東アジア初期仏教寺院の研究

班長 岡村 秀典

東アジア初期仏教寺院の研究
雲岡石窟第20洞の調査風景(1940年)。巨大石窟の調査は戦争中にもかかわらず7年間つづけられた。数万枚におよぶ写真はもとより、このような足場を組んで計測された図面や拓本は今日では得がたい学術資料である。

中国山西省大同市に所在する雲岡石窟は、北魏時代の460年に開鑿のはじまった仏教寺院である。中国最初の大規模な石窟で、洛陽遷都前に造営された20基を中心に大小140あまりの石窟が東西1kmにわたってひろがっている。本研究所の前身である東方文化研究所は1938~1944年の7次にわたってこれを調査し、記録にとどめた写真・実測図・拓本などは数万点におよぶ。その大部の報告書『雲岡石窟』全16巻32冊(1951-56年)は、いまなお中国の初期仏教文化を考えるバイブルとして評価されているが、本研究所に保管する膨大な原資料を将来にわたって保存し活用していくためにも、新しい研究動向をふまえて資料を再整理する必要がでてきた。そこで、私たちは未発表のままであった瓦や土器・陶磁器などの出土資料を整理して『雲岡石窟』遺物篇(2006年)として報告し、考古学の方法により雲岡石窟の新しい編年を示すとともに、仏教寺院としての景観変遷を明らかにした。また、こうした研究成果を本学総合博物館2008年度企画展「シルクロード発掘70年」としてひろく一般に公開した。

いっぽう、本学に研究資源アーカイブ映像ステーションが2008年に設立されたことにともない、本研究所の東アジア人文情報学研究センターでは共同で雲岡石窟資料デジタル・アーカイブを構築することを企画した。その主要な目的は60年あまりをへて劣化のいちじるしい写真類のデジタル化を進め、共同利用に資することにあるが、本研究班はその前提として写真をはじめとする記録類を石窟ごとに整理し、考古学・美術史学・仏教史学などにおける最新の研究成果にもとづいた新『雲岡石窟』報告書をデジタル・アーカイブ上に作成することを目的としている。出土資料が未発表であったように、旧報告書に収録されなかった写真類も少なくなく、この共同研究を通じて雲岡石窟の新しい「発見」にであうことが期待される。

班員
安藤 房枝、稲葉 穣、向井 佑介、安岡 孝一