京都人類学研究会 例会の記録

2014年7月例会


【日時】 
 2014
年7月12日(土)、13時30分開演(13時開場) 

【会場】 
 京都大学人文科学研究所 4階大会議室
 

【タイトル】 
 シンポジウム「呪術的実践=知の現代的諸相科学/医療/宗教/その他の実践=知との並存状況から」

【司会/コーディネーター】 
 
川田牧人(成城大学)

【発表者】 
 
飯田淳子(川崎医療福祉大学)、黒川正剛(太成学院大学)、津村文彦(福井県立大学)

【コメンテーター】 
 
島薗洋介(大阪大学)、内藤順子(早稲田大学)

 

 

【趣旨】 現代世界において、呪術はいかなる位置をしめ、また現代の知識環境においていかなる有効性を発揮しうるのか。このシンポジウムでは「実践=知」という視角から現代世界における呪術をとらえ、それが科学や宗教、医療など〈近代〉によってもたらされたとされる実践=知といかにして並存状況を生成させ、現代世界を構成しているのかを考えたい。

「実践=知」という語は、感覚を含む行為と知識・信念の双方にわたる概念として、便宜的に用いている。いわゆる実践派と知識派を架橋するような明確な意図はないが、呪術を「信じる・知る・行う・感じる」という知覚作用の統合されたものとして考える契機として、議論の出発点としたい。

発表者はいずれも、『呪術の人類学』(2012年、白川・川田編、人文書院)の著者である。この著作(とそれに先立つ民博共同研究「知識と行為の相互関係からみる呪術的諸実践」)においては、「言葉/行為」を基本的枠組みとし、呪術を両者の相互作用として捉えることを追究してきた。今回はその後の展開として、「言葉/行為」をさらにひろげるものとして上記の四つの動詞を出発点とする議論を展開したい。

 

【当日タイムテーブル】 
13:30-13:40 イントロダクション・趣旨説明 川田牧人(成城大学)

13:40-14:25 第一発表「パオで治るということ――東北タイの呪医の実践をとりまく力」津村文彦(福井県立大学)

【要旨】

本発表は、東北タイの呪医モーパオが現在も治療実践を継続していることに焦点を当てる。モーパオとその周辺にある他の知識=実践群との関係から、呪医による治療の現代的な布置を捉えるのが目的となる。

モーパオは、パオ(呪文・聖水などを吹きかけること)によって毒蛇咬傷や骨折・捻挫、その他の外傷を治療するタイの呪医である。『呪術の人類学』(2012年、白川・川田編、人文書院)所収の論考「呪師の確信と疑心」では、モーパオを、自らの行為(パオ)と言葉(治ること)のあいだのズレを抱えたまま治療を行う呪師として描出した。本発表では、もう一歩踏み込んで、東北タイ農村のほかの医療施設(病院、保健センター)や伝統医療師(注射医モーチートヤー)との関係を背景にして、モーパオの治療実践を現在も支え続ける複数の知識の配置について考えたい。

 

14:25-15:10 第二発表「呪術と感覚的経験――北タイの農村・病院・学校における語りと実践から」飯田淳子(川崎医療福祉大学)

【要旨】

「不可視なものとの接触北タイ農村における患いと治療」(白川・川田編『呪術の人類学』)では、感覚的経験、特に接触が呪術的治療のリアリティに及ぼす役割を考察した。それをふまえ、本発表では、北タイの多様な人々が科学や近代医療等との関係性の中で呪術をどうとらえ、実践し、その効力について語っているかを、やはり感覚的経験に焦点を当てて検討する。学校教育や病院医療が浸透する中、学校の教師や病院の医師を含む人々は呪術を科学によって否定したり、逆にそれによって説明したりする一方で、精霊や「毒」などの「科学では説明できない」ものの存在について語り、恐れている。その際、霊的なものの存在や呪術的治療の効果(らしきもの)等を何らかの形で感じたかどうかが、その語りや行為 に少なからず影響している。上掲論文では特に可視性や触知性に着目したが、本発表では五感以外のものを含め、その他の感覚も視野に入れて考えたい。 

 

15:10-15:55 第三発表「呪術的実践=知の歴史的諸相―西欧近世における魔女信仰の視角から」黒川正剛(太成学院大学)

【要旨】

呪術/魔術が西欧社会でクロース・アップされたのは魔女狩りが猖獗を極めた1617世紀の近世のことである。本発表では、西欧近世社会において呪術/魔術が占めていた位置を魔女信仰の視角から探究することによって、呪術的実践=知の「歴史的諸相」と「現代的諸相」の連関性を考えてみたい。「呪術と現実・真実・想像西欧近世の魔女言説から」(白川・川田編『呪術の人類学』人文書院、2012年所収)で考察した呪術のリアリティに関する問題、また『魔女狩り西欧の三つの近代化』(講談社選書メチエ、2014年)でふれた「視覚」「自然認識」「他者排除」に関わる三つの近代化の問題を基盤にアプローチを試みる。また可能な限り、西欧近世の呪術/魔術、魔女信仰における4つの知覚作用「信じる・知る・行う・感じる」について考えてみたい。

 

15:55-16:10 (休憩)

16:10-16:20 第一コメント  島薗洋介

16:20-16:30 第二コメント  内藤順子

16:30-16:50 コメント討論(発表者&コメンテーター)

16:50-17:30 フロア質疑応答、全体討論 

 

 

[京都人類学研究会HOME] 



2014年6月例会


 
【日時】 
 2014
年6月27日(金)、1830分開演(18時開場) 

【会場】 
 京都大学総合研究2号館4階会議室(AA447 
(構内マップの34番) 

 【タイトル】 
 
北米・北西海岸先住民社会における世襲の復権について 

 【発表者】 
 
立川陽仁(三重大学)

 

【コメンテーター】
 大村敬一(大阪大学)

 

【要旨】

19世紀後半以後、北米では先住民の同化を推し進める過程で政治的リーダーの民主的な選出が推奨された。カナダの〈北西海岸〉のように、従来から世襲でリーダーを決めていた社会では、その影響は甚大であった。北西海岸では20世紀半ばに投票でリーダーを選ぶ制度が導入されていき、その結果、ほとんどのコミュニティで従来からの世襲チーフのほかに、投票で選ばれた選出チーフが併存するという状況が生みだされた。

多くの文献では、両者は対等な形で勢力の棲み分けをおこないながら併存していると述べられているが、クワクワカワクゥという先住民社会では、90年頃から世襲制の明らかな復活がみられる。この発表では、同社会における世襲制の復権、人びとがリーダーシップを握るための戦略を紹介すると同時に、世襲そのものの意義について検討する。

[京都人類学研究会HOME] 


2014年5月例会

 
【日時】 
 2014
年5月30日(金)、18時30分開演(18時開場) 

【会場】 
 人文科学研究所4階大会議室
 

 【タイトル】 
 
「環境の書き換え:ガーナ南部における結核と複数の統治」 

 【発表者】 
 
浜田明範(国立民族学博物館)

 

【コメンテーター】
 中谷和人(日本学術振興会特別研究員PD/京都大学文学研究科)

 

【要旨】

近年のアフリカにおける生物医療や公衆衛生に関する人類学的研究では、国家による医療サービスの失敗が前提とされた上で、それが何に起因し、また、その失 敗がNGOや現地の人々によってどのように補われているのかという議論が盛んにされています。しかしこれらの議論の多くは、国家や生物医療の一体性を標準 と仮定し、外部から押し付けられる生物医療とそれへの現地からの対応という二元論的な枠組みに依拠しているように見えます。それに対して本発表では、国家 による医療サービスの提供が比較的成功しているガーナ南部における結核対策プロジェクトについて、他者の統治と自己の統治の同型的な連続性について言及し ていたフーコーの統治論を発展的に継承しながら議論していきます。この作業を通じて、複数のアクターによる環境の書き換えが相互に干渉しながら事態の推移 を導く母体を形成しているという、統治についての領域媒介的なモデルを提出する ことを目指します。

 

[京都人類学研究会HOME] 



2014年4月例会

 
【日時】 
 2014
年4月18日(金)、18時30分開演(18時開場) 

【会場】 
 百周年時計台記念館 [3] 国際交流ホール III
 

 【タイトル】 
 
「福の民 −しあわせの民俗誌に向けて−」 

 【発表者】 
 
関 一敏 (九州大学人間環境学府教授)

 

【コメンテーター】
 藤原久仁子 (大阪大学言語文化研究科特任助教)
古川彰 (関西学院大学社会学部教授

 

【要旨】

マチにすむ人々の日々の暮らしとその挙措動作には、どのような知恵と仕組みが読みこめるだろうか。なぜか今まで総合的な市史のなかった「最後のマ チ」福岡市の民俗調査をはじめるにあたって、わたしたちの考えたのはそのことだった。都会とは何か?一人前でなくとも暮らしていける場所。モニュメントが そこかしこに遍在する場所。にぎやかな行事とイベントの場所。そして夜をつくる場所。いくつものアイデアのなかで、おのずとふくらむ主題があり、これを柱 に次のような構成にたどりつきました。特別篇「福の民」、民俗篇・第一巻「春夏秋冬・起居往来」、第二巻「ひとと人々」、第三巻「夜と朝」。いま三冊目に とりかかっているところです。

そのなかで、どうしても知りたいことは、ひとが幸福になる条件でした。すでに柳田國男たち草創期の民俗学 には、「しあわせよき人、または家」への問い(昭和10年頃の山村生活調査・100項目の質問)があり、質問をする側もされた側も戸惑ったとのことです。 語彙史をみると、翻訳語の幸福はアチーブメント型だが、やまとことばの「さち・さいわい・しあわせ」にはめぐりあわせの語感があります。このめぐりあわせ よき幸福観は、アチーブメント主流の現代社会にもそこかしこにマダラもように生きており、われわれの生き方を微妙に方向づけています。よいめぐりあわせに は待ちうけるほかないが、その待ちうけの幅をおおきくする工夫はできるだろう。その際、マチバの半人前(オオビヨコ)を見守る人たちがおり、ひととひとの あいだにあって、あらかじめ葛藤と軋轢をなだめる人たちがいます。

今回は、これらを背景に、「無事の民俗」「あいだの幸福」について話してみたい。

[京都人類学研究会HOME] 


2014年3月例会

 
【日時】 
 2014
年3月5日(水)、16時00分開演(15時30分開場) 

【会場】 
 京都大学総合研究2号館4階会議室(AA447 
(構内マップの34番) 

 【タイトル】 
 
「ハイパー・インフレーションの人類学的研究」 

 【発表者】 
 
早川真悠(大阪大学)

 

【コメンテーター】
 平野(野元)美佐(京都大学)

 

【要旨】

本発表では、2007年から2009年初めにかけておこったジンバブエのハイパー・インフレーション(以下、ハイパー・インフレ)下における貨幣の使われ方について汁医学的に考察する。南部アフリカのジンバブエ共和国は2000年以降、「ジンバブエ「危機」」と呼ばれる深刻な政治・経済危機に陥った。現地通貨ジンバブエ・ドルは、最終的に年間2億%を超えるハイパー・インフレを起こした。

ハイパー・インフレの本質的特徴は、現地通貨の急激な減価にあるが、ジンバブエのハイパー・インフレ末期にはそれに加え、次のような特異な貨幣状況があった。(1)現金と銀行の預金との間に価格の差が生じた。(2)日常経済に外貨(主に米ドル)が流入し、現地通貨と並ぶ支払い手段として使用された。(3)高額紙幣と小額紙幣との間に計量的不整合が生じた。本発表では、ハイパー・インフレ下のこのような貨幣状況において、人びとがどのように貨幣を使用するのかを事例をとおして確認しポランニーらの経済人類学の議論を踏まえながら、多元的貨幣現象を考察したい。

[京都人類学研究会HOME] 


20142月例会(2)

 
【日時】 
 2014
228日(金)、1830分開演(18時開場) 

【会場】 
 京都大学総合研究2号館4階会議室(AA447 
(構内マップの34番) 

 【タイトル】 
 
「境界を渡る人びと:在日済州島出身者の生活史からArt and Agency 

 【発表者】 
 
伊地知紀子(大阪市立大学)

 

【コメンテーター】
高正子(神戸大学)

 

【要旨】

この20年近く在日済州島出身者の生活史を聞かせてもらってきました。時に一人で、時に複数名で。朝鮮半島の南に位置する済州島と日本との間での移動は20世紀を経て現在までさまざまな位相を示しながら継続しています。その連続性・非連続性を通して、人びとが生きてきた生活圏について考察します。

[京都人類学研究会HOME] 


20142月例会(1) 

 
【日時】 
 2014
218日(火)、1830分開演(18時開場) 

【会場】 
 京都大学総合研究2号館4階会議室(AA447 
(構内マップの34番) 

 【タイトル】 
 
「不殺生戒と肉食をめぐる文化の政治―現代ブータンにおける仏教振興と「屠畜人」の現在Art and Agency 

 【発表者】 
 
宮本万里(国立民族学博物館)

 

【コメンテーター】
未定

 

【要旨】

本発表では、自然神崇拝やボン教を含む多元的宗教空間としてのブータンにおける仏教と屠畜および屠畜人の位置づけについて考察を試みる。ブータンの多くの地域では、ヒンドゥー社会やイスラーム社会と比較して牛や豚といった特定の動物に対する神聖視あるいはタブーがなく、ボン教の影響や自然神崇拝の強い地域では、動物を使った供儀が広く行われてきた。また、養豚や肉食の習慣も盛んであり、人々は特別な祭礼の際はもとより、日常的に牛肉や豚肉を消費してきた。そうしたなかで、牧畜村や農村において家畜の屠殺や解体は身近な習慣であり、特に北部の牧畜民にとっては家畜の肉の販売は、現金収入源として不可欠な仕事である。しかしながら、近年ブータンをはじめ東ヒマラヤ地域一帯でみられる仏教振興の動きは、「屠畜人」に対する社会的スティグマを高め、牧畜民の生業のありようも大きく変容させつつある。本発表では、ブータン社会における「屠畜人」へのまなざしの変化を、宗教空間の一元化を希求する近年の仏教振興の実践をとおして考察してみたい。特に、仏教教義からくる不殺生概念の広まりと、それに伴う放生実践、およびそれらと反比例するように拡大する食肉市場の動態も手がかりにしつつ、現代ブータンの宗教空間と生業をめぐる文化の政治の描出を試みる。

【共催】

人間文化研究機構「現代インド地域研究」京大拠点(KINDAS)

[京都人類学研究会HOME] 


20141月例会


 
【日時】 
 2014
131日(金)、1830分開演(18時開場) 

【会場】 
 京都大学総合研究2号館4階会議室(AA447 
(構内マップの34番) 

 【タイトル】 
 
「モノがエイジェントになるとはどういうことか? フェティシズム研究の視点から考えるArt and Agency 

 【発表者】 
 
田中雅一(京都大学人文科学研究所)

 

【コメンテーター】
大村敬一(大阪大学大学院言語文化研究科)

 

【要旨】

東日本の被災地の復興を願って、破損した底引き網を材料にミサンガを作ろうという動きがある。「底引き網には漁師の魂が宿って」いて、海女たちが作るミサンガには彼女たちの復興への願いが込められている。使い慣れた道具(底引き網)は使用者たちの身体や自己(魂)の延長である。ミサンガを購入し、身につけることで海女たちの思いに人びとは応えようという決意を持つ(第140話「おら、やっぱりこの海が好きだ!」)

身につけることがなによりも重要だというきわめてフェティッシュな誘惑がそこに認められる。ミサンガが贈与であれば、そこに反対給付の義務(たとえばボランティア)が生じる。また商品であれば、復興への貢献度はミサンガの購入数で決まる。ここでミサンガは贈与でも商品でもないなにか、つまりフェティッシュとして人びとのあいだを流通し、あらたな社会関係を生みだそうとする。本発表では、Gellの遺作 Art and Agency の議論を検討しつつ、フェティシズムの可能性を考えてみたい。

 

[京都人類学研究会HOME] 


201311月例会


【日時】 

 20131115日(金)、1830分開演(18時開場) 

【会場】 

 京都大学総合研究2号館4階会議室(AA447 (構内マップの34番) 

【タイトル】 

 「代理懐胎のメタ・バイオエシックスの試み――インドにおける代理母への聞き取りの中間考察」 

【発表者】 

 島薗洋介(大阪大学グローバルコラボレーションセンター) 

【コメンテータ】

201311月例会


【日時】 

 20131115日(金)、1830分開演(18時開場) 

【会場】 

 京都大学総合研究2号館4階会議室(AA447 (構内マップの34番) 

【タイトル】 

 「代理懐胎のメタ・バイオエシックスの試み――インドにおける代理母への聞き取りの中間考察」 

【発表者】 

 島薗洋介(大阪大学グローバルコラボレーションセンター) 

【コメンテータ】

井家晴子(日本学術振興会特別研究員RPD/京都大学人文科学研究所) 

 

【発表要旨】 
 近年、体外受精やそれから派生する生殖補助技術が普及しつつある。一部の新興国では、「第三者が関与する生殖補助医療」(the third party reproduction)が実施されているようになっており、国際的な精子、卵子、代理母市場が形成されつつある。こうした動きが特に顕著に見られるのはインドである。中でもインドでの代理懐胎ビジネスは世界の注目を浴びつつある。代理懐胎契約の是非をめぐっては主に欧米の倫理学者やフェミニストの間で様々な論争がなされてきた。また、多くの国々で代理懐胎契約は禁止または厳しく規制されており、米国の一部の州では依頼者と代理母のあいだの親権訴訟など法的な争いも生じてきた。その中で、インドでは代理懐胎契約および代理母への金銭的報酬の支払いを合法化する方向で法制化が進みつつある。本報告では、報告者自身が現在行っているインドのコルカタとハイデラバードでの調査の成果を中間考察を踏まえて、人類学的な代理懐胎の人類学的「メタ・バイオエシックス」の可能性を展望する。特に、インド人女性の代理懐胎の経験をめぐる語りが、欧米およびインドにおける倫理的・法的言説にどのような問題を提起するかを考えたい。 

 

[京都人類学研究会HOME] 


2013年10月例会

 【日時】 
 2013
年10月4日(金)、1830分開演(18時開場) 

【会場】 
 京都大学総合研究2号館4階会議室(AA447 
(構内マップの34番) 

 【タイトル】 
 
「バリ島文化観光論再考−バロン・ダンスの仮面に着目して」 

 【発表者】 
 吉田 ゆか子(国立民族学博物館)
(第8回日本文化人類学会奨励賞受賞者)

 

【コメンテーター】
未定

 

【要旨】

 本発表は、バリ島で観光客に向けて上演される代表的な演目であるバロン・ダンスについて、そこで用いられる仮面に着目しながら考察します。

 バリの村々は御神体のバロンとランダを祀っていますが、観光ショーに登場するのは、通常それら御神体ではなく、代理品の仮面です。一見、人々が仮面を使い 分け、巧みに儀礼と「世俗の観光用上演」を切り分けているかのようです。しかし実際には、観光用に作られた仮面が、次第に霊力を獲得し寺で祀られるように なったり、地元の御神体の霊力を借りていたり、御神体と共演したり、といった事例があります。観光化を契機に生みだされた大量の「非神聖・非真正」なバロ ンとランダも、人々と関わる中で多様な出来事を引き起こしていきます。

 本発表では、これら仮面の動きを追い、バリ芸能の観光化という良く知られた現象を、モノ(仮面)の側から再考し、人間中心的な視点が見落としてきたバリ文化観光の諸相を明らかにしたいと思います。 

 

[京都人類学研究会HOME] 

 

京都人類学研究会7月季節例会(京都大学人間・環境学研究科文化人類学講座開設20周年記念講演会(全五回)の最終回)

同講座出身である三人の研究者が集いミニシンポジウムを行った。

◆文化人類学講座開設20周年記念講演シンポジウム◆

「アニマと〈あいだ〉の人類学」

【日時】
2013
719日(金)1330分 開演(13時開場)

【趣旨説明】

このミニシンポジウムでは、anima(魂、生命)と〈あいだ〉という言葉を鍵として、芸術的創作と精神医療、神霊憑依をめぐる人びとの営みを検討する。それぞれの発表に共通するのは、人びとが「生きている身体」として他者や環境と取り結ぶ動的な関係性への感受性であり、いわば〈あいだ〉の位相への関心である。主体と客体という二項関係、あるいは主体と主体の対峙という構図から離れ、生きている身体と身体、動き変化する身体と環境、そして生物としての人と非生物としてのモノの〈あいだ〉に目を転じたとき、どのような新たな人類学的展望が開かれる のか。このシンポジウムは、生と魂(アニマ)への人類学的接近に向けた実験的な試みの端緒である。

【発表要旨】

●発表1:中谷和人氏(日本学術振興会)

「芸術と生の人類学へ―――障害のある人たちの創作活動から」

本発表の視角は、絵画など芸術的制作に関わる営みを、徹底して人間が生きてい ることに即して捉え直すというものである。ここで「生きている」とは、まずもって その人間が行為する身体として特定の環境の内部に埋め込まれていることを指す。それは自明の事実に見えるが、逆に言えばこの平凡な事実が、こと芸術をめぐる従来の人類学的議論ではしばしば看過されてきた。
本発表では、日本とデンマークにおけるおもに知的な障害のある人たちの創作活動をとりあげ、それを上記の視角から考察する。これを通じて、芸術と生の関わりを探 究する新しい人類学の方向を模索したい。

●発表2: 松嶋健氏(京都大学人文科学研究 所)

「脱制度化の源としての〈触発=情動〉の連鎖の場――精神医療における「魂に対する態度」がもたらすもの」

人間と非人間のあいだに線を引くことこそが、法と政治の根源にある身ぶりだとするなら、精神障害者が責任能力をもった主体であるか否かという判断は、まさにこうした意味での政治に関わる主題である。これは国家を基礎づけるものが、社会的なつながりではなく、社会的なつながりの禁止であり解除であることを示唆している。
本発表では、イタリアにおける精神医療 /精神保健をめぐって、精神の疾患・障害を持つとされてきた人々に対する周囲の関わり方に着目しながら、人間を主体/非主 体として見ることと「魂に対する態度」とが似て非なるものであることを確認する。その上で、人類学におけるアニミズムについての議論を参照しつつ、「魂に対する態度」とは「そのものとの関係性の中に入る」ことにほかならず、そこから立ち上がってくる〈触発=情動〉のインタラクティヴな連鎖こそが、イタリアにおいて精神病院を最終的に廃絶させるに至った脱制度化の源泉であり、同時に「地域」という名の下に開かれる社会的なつながりの場としての〈あいだ〉でもあることを示したい。

●発表3:石井美保氏(京都大学人文科学研究所)

「パッションの共同体へ――南インドにおける神霊憑依、開発、身体」

この発表の目的は、ブータ祭祀とよばれる南インドの神霊祭祀と大規模開発、ならびに反開発運動の検討を通して、人間と非人間のかかわりと、そこにおいて顕れるエイジェンシーと受難/受動性(passiones)の問題を考察することである。身体化(embodiment)や身体性をテーマとする先行研究は、近年の社会科学において身体は単なる客体ではなく、それ自身が行為者=エイジェントであると主張している。また、こうした観点から、身体的に特徴づけられた社会政治運動の可能性に注目が集まっている。だが、これらの研究において、「身体のエイジェンシー」が実のところ何を意味するのかは曖昧なままである。他方、人間と非人間の関係をテーマとする諸研究は、具体的で身体的な相互行為を通して、人が非人間(モノ)のエイジェンシーの受け手となる過程を明らかにしてきた。身体のエイジェンシーに着眼することは、行為の「真の主体」として身体を措定することではなく、自律的主体とは異なるかたちでの行為者のあり方を想像することを促す。すなわち、より脆く可傷性に満ち、他者との関係性を通してのみ世界とかかわるような行為者のあり方である。この発表では、神霊との身体的な交渉を通して、開発プロジェクトによって危機に晒されている農民とプロジェクトの推進者らが神霊の「感覚的リアリティ(sensory reality)」(Pinney 2001)を共有し、互いに対立しながらも神霊のエイジェンシーの受け手として、暫定的な「パッションの共同体」を創りだしていることを示す。

【コメンテーター】
野村雅一氏(国立民族学博物館)

【会場】
京都大学総合研究2号館4階会議室 (AA447
(構内マップの34番)


20136月例会(文化人類学講座20 周 年記念講演会第三回・第四回(全五回))


■臨時特別シンポジウム(例会1)

「民俗芸能の実践と継承―「西浦の田楽」を舞う―」

共催:「相互行為としての身ぶりと手話の通文化的探究」(科学研究費基盤B)

【日時】 
2013
622日(土)14時開演(1330分開場)


 【発表者】 
 「田楽を舞って45年」  守屋治次氏(国指定重要無形民俗文化財「西浦の田楽」保存会会長)

 「若い衆の実践―練習場面における身体技法の獲得」  菅原和孝氏(京都大学大学院人間・環境学研究科)

 【コメンテーター】 
 藤田隆則氏(京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター)
 細馬宏通氏(滋賀県立大学人間文化学部)

 【趣旨説明】
 菅原和孝氏(京都大学大学院人間・環境学研究科)


【会場】 
京都大学総合人間学部棟1102(1階)

【発表要旨】 
静岡県水窪町(現在・浜松市)の深い山あいに西浦(にしうれ)地区はある。ここに「観音様のお祭り」と呼ばれる民俗芸能が280年にわたって受け継がれてきた。観音様は旧暦一月十八日夜から徹夜で舞われ地能33演目・はね能12演目が神様に奉納される。地能の役は世襲制により父から長男に伝承されてきた。22戸あった能衆の家は過疎化により減少し、現在では13戸となったが、舞の役を柔軟に再配分し世襲制の危機に対処している。田楽舞は、五穀豊穣・無病息災・子孫長久への切実な祈願をこめた神事であるが、同時に舞うことを楽しむ能衆の情熱によって受け継がれてきた。演目はきわめて多彩で、幽艶荘厳とユーモアとが複雑に織りなされる。民俗学の泰斗・折口信夫が魅了されたことを発端に「西浦の田楽」は名声を得て1976年に国から重要無形民俗文化財の指定を受けた。守屋治次氏は保存会会長として田楽舞継承の中心を担われている。この講演では、45年間の経験に基づいて実践者の視点からのご苦労と歓びを語っていただく。ついで、菅原が「若い衆」の練習風景を映像で紹介し習熟のプロセスを照らす。本講演会が、伝統を継承することの意味を新しい視点から問いなおす機会になることを願っている。


■例会2

「バナバ人とは誰か―強制移住の記憶と怒りの集合的表出―」

【日時】
 2013625日(火)、1830分開演(18時開場)

 【発表者】
 風間計博氏(京都大学大学院人間・環境学研究科)

 【コメンテーター】
 西井凉子氏(東京外国語大学アジア•アフリカ言語文化研究所
 
  
 【会場】
 京都大学総合研究2号館4階会議室(AA447 (34番)

 【発表要旨】 
 人類学にとって、文化および生物への還元論の超克を目指すことが重要な課題であると、私は考えている。この課題に向き合ううえで、記憶という人間の能力が手掛かりを与えてくれるだろう。ある種の記憶は、 多様な装置を通じて人々の間に伝わり、世代を超えて継承される。記憶は静態的な情報ではなく、想起の都度作り変えられる。ときに、昂揚した感情として身体に立ち現れることもある。本発表では、第二次大 戦中、強制的に故郷を追われ、現在フィジーに住むバナバ人ディアスポラをとりあげる。数奇な歴史経験を経て今を生きるバナバ人たちが、些細に見える出来事を契機として、怒りに打ち震えたという印象的 な事例を紹介する。新たな環境のなかでバナバ人たちは、状況に応じて自らを変化させてきた一方、神話化された歴史的記憶を怒りとともに保持し続けている。

 

【共催】

科学研究費補助金基盤研究(A)「太平洋島嶼部におけるマイノリティと主流社会の共存に関する人類学的研究」(研究代表者: 風間計博) 

[京都人類学研究会HOME] 

 

2013年5月例会(文化人類学講座20周年記念講演会第二回(全五回))
 
【演題】
SEX×感情労働×官能労働」



【日時】
2013
524日(金) 18302030分(18時開場)

【要旨】
セックスをしてお金を受け取る人たちは、一般のサービス産業に携わる人々と同じ労働者(ワーカー)なのか?性的サービスは、ほかの接客サービスとどこが違うのか?1980年代から、世界各地で性的サービスに従事する人々を労働者として位置づけ、労働環境の改善を求める動きが認められる。しかし、こうした動きには、根強い抵抗がある。すなわち、性的サービスを行う人々は家父長制や国際的な犯罪組織の 犠牲者である。性産業で求められているのは新人である。新人に価値が置かれているような仕事は、真の意味で仕事とは言えない。最後に、ほかのサービス業と異なり、性は人格と密接に結びついているため、賃金と引き換えに無差別に性的サービスを要求する仕事はサービス提供者にさまざまな精神疾患を引き起こす。これは労働環境の改善で済む問題ではない。本報告では感情労働と官能労働をキーワードに、性的サービスに従事する女性たちの「仕事」の実態を紹介し、上記の批判について検討していきたい。
【発表者】
田中雅一(京都大学人文科学研究所)
【コメンテーター】
茶園敏美 (独立行政法人 国立病院機構姫路医療センター付属看護学校)【会場】
京都大学人文科学研究所本館1F  セミナー室1

 
[京都人類学研究会HOME] 

 


2013年4月例会(文化人類学講座20周年記念講演会第一回(全五回))
演題】 「身体化の人類学から身ぶり論まで」



【日時】

2013426日(金) 1830分‐2030分(18時開場)

 【要旨】

身体化(embodiment)は、生のもっとも根源的な条件でありながら、文化人類学の主題として正面から取り上げられることは稀であった。本発表は二つのパートに分かれる。前半では、2013年4月に刊行された『身体化の人類認知・記憶・言語・他者』(世界思想社)の序論で提起したもっとも困難な問題に焦点をしぼる。その問題とは、「身体化された心」(embodiedmind)に依拠して客観主義を乗り超えようとする企てがつねに自然主義とのねじれた関係に巻きこまれざるをえないということである。後半では、メルロ=ポンティが提起した、「言語は表象の伝達ではなく、表情をおびた身ぶりである」という洞察を経験的に補強することを試みる。おもな素材は、南部アフリカ狩猟採集民グイの語りにおいて生起する身ぶりである。ただし、上記の編著書ですでに公にした分析を反復することは生産的ではないので、やや視点を変えて、身ぶりを対面相互行為への参与者の関係性(relatedness)に埋めこまれた非-言説的な実践として捉える道すじを素描する。

【発表者】
菅原和孝氏(京都大学大学院人間・環境学研究科)

【コメンテーター】

佐藤和久氏(京都文教大学)

 
趣旨説明

田中雅一(京都大学人文科学研究所)

【会場】
京都大学 大学院人間・環境学研究科棟 地下大講義室(B23


[京都人類学研究会HOME] 
アーカイヴスはこちらから