川村邦光(大阪大学)「“戦死者”とは誰か―若干の問題提起」

 鮎川信夫は「なあ戦友 なぜ黙っている」(「戦友」)と語りかけている。“戦死者”と名乗る者・主張する者は誰もいない。“戦死者”は名付け・名指しさられ、表現・表象されて、立ち現わされる。誰がどのような死者を“戦死者”と名付けているのか、それは文化的、宗教的、そして政治的なテーマとして現れている。また、“戦死者”をどのように表象するのか、戦争犯罪者、侵略者、犠牲者、非業の死者、英霊などといった、様々な言葉で語り記されて、“戦死者”の主体(アイデンティティ)をめぐる闘い・争奪も行われている。

 はたして“戦死者”というごく一般的な言葉で語ることのできる“戦死者”はいるのかという問いも浮かび上がってくる。多種多様な戦場があり、“戦死者”は兵士(台湾人兵士や朝鮮人兵士、アメリカ軍兵士なども含めて)ばかりではなかった。少々具体的な状況をみてみるなら、日本人の非戦闘員・民間人ばかりでなく、被植民地や被占領地、戦場の住民もいるが、両者の位相は大いに異なっている。“戦死者”と戦場の状況・構成とは切り離すことができない。戦場を背景として“戦死者”は多様に構成されていることを踏まえなければ、“戦死者”という言葉は曖昧で空虚な概念にすぎないのである。

 “戦死者”でも幽霊のように見ず知らずの者の前にぬっと現れはしない。縁故のある人や場、記憶、記録、形見のような物、あるいはそれらを通した想像力とともに現れるのではなかろうか。なにかに媒介されなくては、すでに不可視の眼に見えない存在となっている“戦死者”と出会うことはないと思われる。“戦死者”と関わり繋がり合う人・場・物・記憶・記録・想像力といった、接触したり介在したりする関係や領域を通じてこそ、個別の“戦死者”が立ち現れてくる、時には否応なく立ち会わせられることがあるのではなかろうか。このような関係や領域への接触、接近、介入、また取り込まれ、巻き込まれという、かなり厄介な手続きを必要としている。ここに、おそらく“戦死者”を語る・書くことの困難さがあろう。しかし、時として“戦死者”をやすやすと語り書いてしまうこともあるのだが、この困難さを踏まえることによって、一般的もしくは国民的な“戦死者”イメージや言説、またそれが依拠している枠組みを揺るがし、批判し解体する契機も現れてこよう。

 この国では、毎年、8月15日「終戦記念日」に、政府主催「全国戦没者追悼式」で「戦没者」が「全国戦没者之霊」(1975年以前は「全国戦没者追悼之標」)の標柱のもとに呼び寄せられる。この「戦没者」とは誰なのか。公式的には「満州事変」「支那事変」「大東亜戦争」の「戦没者」(戦死・戦傷死・戦病死者)と「戦災死者」であり、前者は靖国神社に合祀されている祭神である(台湾人・朝鮮人の祭神は除外されていよう)。ここでは「戦没者」のなにがどのように追悼されているのだろうか。「戦没者(の霊)」は「戦陣に地理、戦禍にたおれた数多くの人々」「帰らざる人々の犠牲」といった言葉で“胸がいたむ”存在として語りかけられる。“戦死”の状況を曖昧にして、犠牲者として召喚されるだけである。その遺族と同様に、沈黙を余儀なくされているのだ。

 さらに、ここには「戦没者」の戦争で没した者、「戦災死者」の戦争による災害で殺された(死んだ)者という一方的な枠組み、あるいは殺す・殺されたという二項対立的な構図があるだけであり、他国も含めた“戦死”という事態には眼が向けられていない。「戦没者」や「戦災死者」はその個別の死は消し去られて、天皇や首相から国家の平和のために貢献し犠牲になった追悼されるべき、従順な服従する主体(臣下・国民)として語りかけられている。この「全国戦没者追悼式」という国家的・国民的イベントは、はたして「鬼気せまる国民的想像力」をかき立てているのだろうか。

 「戦没者」という言葉は、なによりも“戦死”の位相や状況を見えなくしている。“戦死”の迫力、もしくはリアリティをもって迫ってこない。殺しかつ殺された(殺し/殺された)という“戦死者”の身体が隠蔽されているのである。「戦没者」の霊がはたして「全国戦没者之霊」の標柱に寄せられて宿っているのかどうか、誰もこのようなことは考えていないかもしれないとすると、“無宗教”を建前としているかもしれないが、「戦没者」の霊はきわめて不幸だ。それは遺族においても同じだろう。「戦没者」という言葉は、殺し/殺された“戦死者”の状況を隠したまま、日本国の平和・繁栄の礎・貢献者として、またなにの犠牲者になったのかは不明瞭なままに犠牲者として追悼し記念・顕彰する、また自国の平和を祈念する、きわめて自己満足的な心情の共同体を形成してきた言葉でありつづけている。

 “戦死者”は殺し/殺された“戦死”という連続したコンテクストに位置づけられていないのである。このような“戦死者”の身体と場(戦場)を設定することによって、「戦没者(の霊)」の追悼・顕彰を存続させている制度、またその心情的・情緒的な基盤を探り亀裂を入れていくことが求められていると考える。