[戦死者のゆくえ]第8回研究会(2002年5月31日)
〈会場〉 大阪大学(豊中キャンパス)待兼山会館2階会議室

喜多村理子(大阪大学大学院生)「〈徴兵除け祈願〉から〈武運長久〉」へ 
「戦争と民衆」についての歴史は、一般的には、日清・日露両戦争を通して民衆の間にも帝国主義の意識が浸透していった、と理解されている。そこで取り上げられるのは、戦時下の戦勝祈願・壮行パレード・凱旋兵士歓迎会などの社会現象である。
「新しい歴史教科書をつくる会」の中学歴史教科書には、「日清戦争には自ら志願する義勇兵も平民層から相次いだ。このごろ徴兵制が国民に受け入れられ、国難に対する意識が民衆レベルまで広く行き渡ったことを物語っている」「(勝因の背景として)日本人が自国のために献身する国民になっていた(ことが挙げられる)」と書かれている。
前者の見方と後者の見方は正反対であるが、よく考えてみると、同じ社会現象をこちら側とあちら側からみた解釈ではないだろうか。民衆意識を論ずるには、中央省庁・メディア・役場や学校などの資料ばかりでなく、庶民生活に根ざした資料も収集することが課題になる。本発表では、鳥取県農村部で収集した資料と聞書きをもとに、徴兵令布告から日中戦争までを以下のような内容で報告し、平治と戦時における民衆の心の底流について考察したい。【徴兵令布告と血税騒動】鳥取県西部における血税騒動について概略を説明する。【徴兵制度改正と徴兵忌避】徴兵制度の改正と、たびたびの改正に翻弄される民衆の姿を、新聞・鳥取県西部の行政資料から明らかにする。【日清・日露戦争と民衆】両戦争における民衆の熱狂的支援は、これまで多くの研究で取り上げられてきた。ここでは、もう一つの民衆意識について、地元資料を参考にしながら考える。【農民日記】1907年生まれの男性の日記から、1927年から日中戦争に至るまでの、徴兵に対する民衆意識と信仰について考える。【聞書き】1920年代後半から1930年代にかけて徴兵検査を受検した男性からの聞書きによって、徴兵検査受検に際して山籠り・宮籠り・神社寺院参拝が行われていたことを明らかにする。また、語りから得られる歴史のイメージと、役場・学校関係資料から得られる歴史のイメージとが異なることについて考える。【徴兵除け祈願から武運長久へ】戦争や徴兵を嫌っていた民衆が、戦時下では自ら戦争を支援していくことを、どのように考えたらよいのだろうか。徴兵除け祈願が盛んに行われていた神社・寺・小祠が戦時中には武運長久祈願を祈る場所になったことを取り上げて、知識人たちの「転向」とは異なり、主体性欠如のまま状況適応していく民衆の心の底流について考察を試みる。