講義概要

(火曜日10:30-12:30

 私は協力講座のメンバーとして京都大学独立大学院人間・環境学研究科に開設されている講義を担当しています。これは総合人間学部の学生も受講・単位取得できることになっています。どちらも文化行為論という名前で開講されていますので実質は学部・大学院共通科目ということになります。この10年間で受講者数も増えてきましたが(といっても15名を超えることはない)、院生がつねに半数以上を占めています。最近は講義形式とゼミ形式を組み合わせています。

2009年度は宗教を中心に講義します。合宿ではBuchli ed. Material Culture Readerを読みます。

 

2008年度も引き続きコンタクト・ゾーンに関係する講義を行います。合宿では S. Ortner ed. The Fate of Culture: Geertz and beyondを読みます。

 

2007年度は、文化行為論(総合人間学部)文化行為論2と 文化人類学演習(修士課程)、文化人類学(博士課程)、現代人類学基礎論, 現代人類学(全学共通科目)を行います。

コンタクト・ゾーンをキーワードにポストコロニアルならびにグローバルな文脈での人類学の課題を論じました。

2006年度 文化行為論は政治を扱います。政治人類学を対象に、political politicsとの相異を論じました。

2005年度 再び宗教人類学についてです。

2004年度は刊行予定の『ミクロ人類学の課題』での問題提起を受けて、議論を進めていきます。1)高みから雑踏へ。2)近代知と文化人類学のスタンス、3)猥談としての民族誌、4)人類学者から治療師へ クラパンザーノの変貌、5)誘惑する他者、6)2人でイク民族誌、7)女体盛りbody sushi のエロス、8)主体、9)エイジェンシーと身体、10)カスタネダという自己 後期は学部を対象にジェンダーを取りあげます。後期は講読形式をとりアパドゥライ『さまよえる近代』を読みます。

2003年度は、ひさしぶりに宗教にもどります。1998年度で宗教を取りあげましたが、人類学の方法や対象の変化などとの関係で、もういちど考えてみたいと思います。今年度から大学院の講義は前期のみになりましたが、学部の講義は今まで通り通年で行います。

2002年度はひきつづきセクシュアリティをとりあげます。ゲイル・ルービンとバトラーの対話、ドラァグ論からはじまり、ゲイパレード、アニー・スプリンクルのポスト・ポルノ・パフォーマンス、ファキール・ムサファーのモダン・プリミティヴ、レザーフォークたち、パット・カリフィアとレズビアンSM、そして再びレズビアンSMをめぐる70年代のゲイル・ルービンとバトラーの論争へ。後期は、女性の自慰、オーガズム、代々木忠論。鋸路は院生に報告してもらいます。今回は遊郭、浮世絵、ラブホテルなど意欲的な報告が続きました。

◆ 2001年度はセクシュアリティをめぐる最近の議論を取りあげます。フーコー『性の歴史1』を読んでおくこと。1)異文化の性を語る。性のオリエンタリズムをめぐって。2)民衆という性の主体。秘宝館という装置ならびに「土佐源氏」が語る性研究の問題群。3)サバルタンは語れない、でも歌える?春歌考。4)ポルノグラフィーについて語りだした女性たち。5)性的主体の位相『第4番目の男』から『ロボコップ』へ。後半は、学生諸君の報告が中心になります。手始めにVagina Monologuesからはじめます。

 2000年度は引き続き経済人類学の批判的検討を行う。Richard R. WilkEconomies and Cultures: Foundations of Economic ANthropologyをテキストに使用する。

◆ 1999年度は過去80年間にわたる経済人類学の成果を批判的に検討するとともに、スリランカ漁民の経済活動について具体的分析を行う。主要関連文献の購読を行う。

◆ 1998年度前期は宗教人類学の基本問題、後期は欧米の女神崇拝・魔女運動、ファンダメンタリズム、そして韓国やインドのキリスト教を取り上げます。

◆ 1997年度はセクシュアリティをテーマとし、前期を講義、後期は世間を騒がせた性科学・性マニュアル誌の演習という形式をとります。

◆ 1996年度は、オリエンタリズム論の検討のために関連文献を読み、Imperial Eyesで仕上げとします。

◆ 1995年度は民族誌映画と民族誌を対にして、『アザンデの妖術』他ひたすら民族誌を読みます。

◆ 1994年度は学説史の検討、それからブロックの論文集に始まり最後は『祝福から暴力へ』で仕上げます。

◆ 1993年度は学説史を検討する。 


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