丸山泰明(大阪大学大学院)「戦死者と近代スピリチュアリズム」

 日中戦争開戦後の1938年3月号の『主婦之友』に「霊界の良人や我が子と語る現界の妻と母の心霊座談会」と題する交霊会の記事が掲載されている。土井八枝が審神者となり、小林壽子を霊媒にして戦死者の霊を招き寄せ、家族と語り合っている。土井八枝は土井晩翠の夫人であり、二人は自分の子供たちの死をきっかけにして霊の世界に傾いていった。晩翠が交霊の技法の手ほどきを受けたのが東京帝国大学英文学科の後輩である浅野和三郎からであり、浅野が日本における心霊主義・心霊学の第一人者であることを考えれば、この戦死者の交霊会は近代スピリチュアリズムの系譜に位置づけることができるだろう。

 この雑誌記事を入り口にして考えたかったのは次のことだった。近代スピリチュアリズムは、一般に「オカルト」として社会の外部へ排斥されがちだけれども、そのようにカテゴライズされる背景には近代のダイナミズムがあり、歴史的状況と無縁であるわけではない。我がことから遠ざけようとする斥力から解放し、あらためて歴史的文脈のなかで考察する必要があり、今回の発表の試みは、「戦争」、特に「戦死者」という視角から考えてみることだった。

 局所的な事例になってしまうが、たとえばイギリスでは、個人が近代スピリチュアリズムに傾き、社会に広く展開していく契機として第一次世界大戦があった。心霊研究協会の会長も務めた物理学者のオリバー・ロッジは、戦死した息子の霊を呼び寄せる交霊会を頻繁に行っていた。また、「シャーロック・ホームズ」シリーズの作者と知られるコナン・ドイルも、息子の戦死が「もうひとつの世界」に強く関心を持つ契機になっている。

 死後の世界に生きる戦死者を求める思想・実践は、何も近代スピリチュアリズムに限られるものではない。戦時中、巫女たちは家族の求めに応じて生霊・死霊を呼び寄せていた。このような、いわゆる巫俗と交霊会との違いを強いて挙げるとすれば、それは巫俗としての戦死者の憑霊が、ときには戦死という異常死による祟りを恐れて行われたのに対して、交霊会は純粋に死者と会うために行われたことだろう。

 はじめに挙げた雑誌記事に戻ってみよう。この交霊会において死した兵士は家族に戦死の状況を話し、残された家族への思いを伝えており、そこには戦争を称揚することばがちりばめられている。これらの会話を、当時のイデオロギーに支配されていたと言ってしまうのも、一つの解釈であろう。しかし、それは後世からの後付けの解釈にすぎない。限られた語彙をもってでしか自らの思想を表現することができなかったのであり、決まり切ったことばに託さざるをえなかった人々の心情に迫ることが必要なのではないだろうか。

 この記事を読んだ妻や母たちが自ら交霊会を実践することはほとんどなかっただろう。しかし、この記事を読むことによって自分たちの事情に重ね合わせ、戦死した夫や息子の行く末に思いをはせていたと思われる。

 近代スピリチュアリズムが発生した十九世紀半ばは、戦争の機械化が急速に進み、戦死者が急激に増え始めた時期でもある。戦死者の交霊会が催された、ときに流行した背景には、「マス」として兵士が死んでいく近代戦争の現実があり、しかしながらも心情としては顔をもった近親者に会うことを求めた、戦争のテクノロジーに追いつこうとした人々の生活思想があるといえるのではないだろうか。