フェチ研 性の展示――秘宝館への視点 2001/7/2 田中雅一
1 秘宝館――博物館・コレクション・見世物
その多様性について:ビデオ(順番通り)
レジャー系 熱海1、国際秘宝館伊勢、鬼怒川2
コレクション 日光3、宇和島4、川崎大師、大阪珍宝館(非公開)6
美術系 別府、下田
民俗系 長門、秋吉台希萌館、白浜
自然系 田縣性態博物館5
マルチ 札幌
2博物館と表象
○博物館への視点
博物館 ムーサイの神殿ムセイオン 奉納物を展示。→神社との結びつき(田縣、川崎)
→菊池、高木報告
博物館学の再評価。他者/自己のrepresentationの問題としての博物館研究。人類学を一部とする文化研究においてこの10年博物館という制度についての議論が盛んになってきた(→吉田)。博物館へのアプローチはさまざまだが、そのひとつは博物館が文化――自文化と異文化――をいかに表象するかという問題意識に基づき博物館の政治性を問うというアプローチ。博物館は収集品を呈示・展示する場であるが、展示物や展示法によって、自文化あるいは異文化についての表象が生成する。沖縄平和資料館、民族学博物館のアイヌ展、ロンドン人類博物館のアマゾン展など、展示をめぐる論争は数多くある。
しかし、展示の方法やモノの表象だけを論じるべきではない。いかなるまなざしと身体がつくられるのか。ガイドの役割なども視野に入れる。
より深刻な問題はモノへの視点の不在。モノの「ちから」(フェティッシュ力?)をまったく無視している。
ポミアン (1992:71-72) :博物館は見えない世界と見える世界を収集品で結びつける祭式の場所、しかし、ちょうど神と信者とを結びつけることで教会が権威をもったように、この場合、博物館の公共性を保持する国家が権威をもつ。→ナショナリズム(アンダーソン)
文明(自文化)の発展を提示する場→啓蒙 cf. the war museumをめぐる論争
博物館は国民として、近代(ヨーロッパ)人としての身振りとまなざしをもつ人間を生み出す場所
●性を扱う秘宝館は国家も文明も表象し得ない?以上の博物館をめぐる議論は妥当しない? それとも博物館の原点?→現在の珍品陳列室(コレクション)としての秘宝館
3 コレクションとは?
○コレクション:一時的もしくは永久に経済活動の流通回路の外に保たれ、その目的のために整備された閉ざされた場所で特別の保護を受け、視線にさらされる自然物もしくは人工物の集合である。」(ポミアン
1992:22)貴重品、使用価値をうしなった品物。個人コレクションと博物館
コレクションの品物は「目に見える世界と見えない世界を結ぶ交換に参与」(1992:43)している。ここでいう見えない世界は古代や異国を含む。あるいは美術品の場合は美の源泉としての自然。交換とは具体的には人々の視線にさらされている、ということ。
「社会が見えるものと見えないものの間に境界線を引いているその方法を明らかにしなければならない。」(1992:58)
→秘宝館が関わる見えない世界とは?性=私的空間
○ 全体への欲望(ポミアン 1992:88)
好事家curieuxはすべてを知り、すべてを学びたいと思う人。珍品とはobjets curieuxはそうした全体を示唆する要となる品物。好奇心(欲望)
秘宝館は性的欲望への好奇な活動の成果。⇔ 学問
「理性によって導かれるのではなく、好奇心すなわち気違いじみた情熱に引きずられるとき、規律正しい研究は行うことはできない。人はつねに知りいと願っている。しかし、好奇心の無軌道ぶりは、真理の探究を忍耐強く行うことを許さない」(ポミアン1992:98,
Bernard Lamy 1684)
好事家と科学者、18世紀 好事家と鑑定者(connaisseur)
探検家と人類学者
例 15世紀フィレンツェ・メディチ家の宮殿、フランス・ベリー公ジャン(シャルル5世の弟)
16世紀から17世紀 珍品陳列室(cabinets of curiosities, cabinets de curieux)
、驚異の部屋(Wunderkammer)。こうした陳列室には人工物と自然物、古代の遺物と異国の品物が集まっていた。世界(宇宙)そのものをあらわす。「神の創り出した存在の連鎖を、世界の多様性そのものを写し取ることで証明しようとする」(吉田1999:20)
17世紀後半 学者と王国貴族のコレクションに分化、一部は公開。
18世紀 博物学の誕生、ものをその本来の意味から切り離し、目にみえる特徴だけを基準にして分離し、並べ、整理する」(吉田 1999:20)
体系的な分類の確立。→体系的な分類に基づく博物館展示へ。1753年大英博物館、1793年ルーヴル美術館
歴史的に見れば、コレクションの非合理性や私的性格が(近代)国家に収奪されて博物館となった。だが、秘宝館は珍品陳列室にとどまった?
4 見世物・レジャー産業としての秘宝館:男たちの世界から二人の世界へ
秘宝館は国家による収奪ではなくレジャー産業の一環として生まれた。秘宝館は、レジャーランド建設、とくにボーリング場、化け物屋敷(橋爪伸也)などの屋内施設とともに、風俗史あるいは余暇の社会史の一部として見ていく必要がある。また衛生博覧会・展覧会との関係でいえば(博物館と同じ)啓蒙・国民化という視点も忘れてはならない。
見世物:寺社の境内や盛場で,臨時に小屋掛けして,芸能および種々珍奇なものを見せて入場料をとる興行物のこと。(1)奇術(手品),軽業,曲芸,舞踊,武術などの技術や芸能を見せるもの,(2)畸人,珍禽獣(ちんきんじゆう),珍植物,異虫魚などを見せるもの,(3)からくり,生(いき)人形,籠細工(かございく),貝細工などの細工物を見せるもの(平凡社『世界大百科事典』)
猟奇性
衛生博覧会。1883ベルリン、1884ロンドン
日本では大正から昭和にかけて盛んとなる。博覧会に衛生館が出現。赤十字博物館1925
人体模型、胎児の成長モデル、性病など。
1970年代 性を(密かに)展示することの意味。性が秘密・私生活に属する、それゆえ、覗きの対象となる。覗きを通じて性的空間が生み出される。観光地のストリップショーと同じ?普段見たくても見られないから(密かに)見せましょう。当時性は「解放」という名の下で語られていた。しかし、現実にそれは「解放」(とくに検閲をめぐって)されていなかった。原則として観光地に来る男性たちを対象とする施設。
性の実践の平準化。「衛生啓蒙は、自己とあらゆる他者との間に警戒・監視の網を張り巡らすこと、また自己の肉体を集団への配慮のもとにさらすことを要求する。だから、自由の問題こそは、衛生思想の究極的課題なのだった。監視の網を張り巡らしながら「世人はなんら束縛を感ぜず」という状態とは監視網がすっかり内面化され不可視のものになった状態のことだろう」田中聡 p.97
赤川「ポルノグラフィ空間では「自分がどのような性的志向や欲望を持った人間なのか」というアイデンティティへの問いが不断に反復される。そして受け手は自己の欲望を発見し、分析する。そのことを通して「他ならぬ私」、唯一的な存在として認知し、ポルノグラフィを享受する行為そのものを、自己に帰属するセクシュアリティの真理を知るための契機とする。」(p.140)という議論を参照すれば、秘宝館はAV空間成立以前の主要なセクシュアリティの装置のひとつだったといえる。その意味で博物館をめぐる議論と重なる?
5 さまざまな仕掛け
身体へのはたらきかけ
神社
映写
占いなどの参加
ミュージアム・ショップ
6 おわりに
現代において公共の場で性を表象するということの意味は?革命や解放という言葉から分離した現代において性はなお見えない世界か?80年代後半から性の解放は急速に進む。ビデオの普及。女性たちの性についての主体的な動き。90年代になると性の博物館は、隠微というよりはお上品な?デートスポットへと変貌する。
むしろ見えない世界だったという過去の線引きを展示する博物館。あるいはそうした過去をレトロに味わうレジャーランド。
参考文献
荒俣宏 1997『衛生博覧会を求めて』ぶんか社
B.Anderson 1991(1983) メCensus, Map, Museumモ in Imagined Communities:
Reflections on the Origin and Spread of Nationalism.
金谷美和1996「文化の消費――日本民芸運動の展示をめぐって」『人文学報』第77号
木下直之『美術という見世物』平凡社
田中聡1994『衛生博覧会の欲望』青弓社。
東善明『他文化展示の考察――人類学における表象性の危機、その曙光を求めて』東京大学教養学部1994年提出卒業論文。
Hooper-Greenhil, E. 1992. Museums and the Shaping of Knowledge.
Routledge.
ポミアン、クシシトフ 1992(1978)『コレクション――趣味と好奇心の歴史人類学』平凡社。
吉見俊哉『博覧会の政治学』中公新社。
吉田憲司2000『文化の「発見」(現代人類学の射程 ) ――驚異の部屋からヴァ−チャル・ミュ−ジアムまで』