所長あいさつ

21世紀の今日、国内だけでなく世界的にも人文学を軽視しようとする動向の中で、いかに人文学のあり方を考えるかが問われている。

私自身は、高度経済成長が陰りをみせた1980年代以降、大学で勉強をはじめ、日本の近代史を研究してきた。アジア・太平洋戦争を経験した親の世代が平和と民主主義を希求する時代に育ち、現代に向き合うものとして歴史学という人文学を選び取り、歴史との対話をくり返してきたつもりである。そして1980~90年代の歴史学には、時代の制約があったとはいえ、現代と向き合い、未来への生き方を模索する輝かしさがあったと思う。21世紀の人文学にも、現代と向き合う姿勢が求められているだろう。

世界的に自国第一のナショナリズムが強まる中で、他者への理解や共存する力が弱まってきている。歴史のなかでくり返されてきた戦争や惨禍を経験する中で生み出されてきた、様々な国や集団が共存し人類が生きるための、人文学の知があるだろう。

2014年~2015年に富岡製糸場や八幡製鉄所などの「近代化遺産」が、世界遺産に登録された。しかし今回のように明治維新以来、急激な産業革命や「富国強兵」が達成された日本の「近代化」をバラ色にだけ描くのではなく、劣悪な労働条件やアジアの植民地の問題なども含み込んだ近代化遺産への複合的な評価が必要だと思う。もし複合的に評価するなら、今後続くであろうアジア諸国の近代化遺産の世界遺産登録に際しても、こうした見方が参照されるだろう。

また人文科学研究所における人文学のあり方を所内で議論するなかで、京都大学における人文学研究の歴史、あるいは「日本文化」「京都文化」のとらえ方についても、それを優れたものと考えるのではなく、他者にとってもその中に普遍性を見出し、多様性の中で生み出されてきたものとして考えるべき視点を教えられた。

人文学には長い時間が必要である。昨今要請される、数年のスパンで研究成果が出るものではない。京都帝国大学文科大学ができて1世紀を超えた。人文学の研究や学術資源(文献や資史料・モノなど)の集積は、こうした長い時間をかけてなし得たものであり、これから1世紀先を見据えて世代を継いで発展させるものであると、人文科学研究所では考えている。同様に、まもなく創立90年を迎える人文科学研究所における、文献会読、フィールドワークなどに基づく共同研究や学術資源の集積も、それだけの時間をかけて成熟させてきた。一方で、現代中国、第一次世界大戦、人種、「生きもの」にとっての環世界、IT時代の人文学など、現代の課題に答える様々なテーマの共同研究にも取り組んでいる。

大きさも様々、テーマや方法論も多様な共同研究が、諸分野の研究者・学生や社会とつながりつつ、研究所として一体になって、未来の人文学を模索できればと願っている。

所長 高木 博志
2017年 4月


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