【書き下し文】千金方巻一・大医精誠第二

千金方に云う、 張湛 曰く、それ経方の精しくしがたきこと、由来尚し。今、病い 同じくして 異なるあり。また、内異なりて外同じきあり。故に五蔵六府の盈虚、血脈 営衛 の通塞、固耳目の察するところに非ず。必ず先に脈を診て以てこれを審かにす。血脈に浮沈 弦緊 の乱あり。?〔ユ〕穴流注に高下浅深の差あり。[欄外:差=品・しな(ランクのこと)]肌膚筋骨に厚薄剛柔の異あり。ただ心を用うること精微なる者の始めてこれにあずかるべし。今、至精至微のことを以て、これを至粗至浅の思に求むは、それ殆うからずや。もし、盈にしてこれを益し、虚にしてこれを損し、通にしてこれを徹し、塞にしてこれを壅し、寒にしてこれを冷し、熱にしてこれを温むるは、これその疾を重くして、その生を望むとも、吾その死を見ん。故に医方卜筮は、芸能の精かにしがたきものなり。既に 神受 に非ざれば何を以てその幽微を得ん。

又云う、大医の病いを治するや、必ずまさに神を安んじ志しを定め、欲することなく、求むることなく、先に大慈惻隠の心を發し、含霊の疾を普救せんことを誓願すべし。[欄外:含霊=人間か?]もし病厄にて来りて救いを求むる者あらば、その貴賎・貧富・長幼・研蚩・怨親・善友[憂?]・華夷・愚智を問うを得ず、普同一等にし、皆至親の想の如くせよ。また前を瞻、後を顧み、自ら吉凶を慮り、身命を護惜するを得ず、彼の苦悩を見ては、 己の之有るの如くせよ、深心悽愴し、夷険・昼夜・寒暑の影響・飢渇・疲労を避けるなかれ。心を一にして赴き救い、功夫形迹[己の努力を人にこわすこと]心を作すなかれ。[欄外:努力→功夫(カンフー)]

 

又云う、病家に到れば、縦い綺羅目に満つるとも左右顧眄するなかれ。絲竹耳に奏るとも娯しむところあるに似得ることなく、珍羞逓薦むとも、食味無きが如くし、濡禄兼陳すとも失う所あるが如くす。しかも所以は、それ一人隅に向かえば満堂楽しからず。況や病者の苦楚斯須も離れざるに、しかも医者安然とす。これすなわち人神の共に恥ずる所以にして、至人のなさざるところなり。

 

又云う、それ医たるの法、多語、調笑し、喧嘩を談謔し、是非を道説し、人物を議論し、 声名を衒耀し、諸医を?〔シ〕毀し、自ら己の徳を矜るを得ず、偶然治して一病を差せば、すなわち昂頭戴面して自ら許すの皃あり、謂へらく天下無雙と。これ、医人の膏肓たり。老子曰く、人陽徳を行えば人自らこれに報い、人陰徳を行えば鬼神これに報い、人陽悪を行えば人自らこれに報い、人陰悪を行えば鬼神これに報い、ゆえに医人己の長ずるところを恃み、専心財物を経略するを得ず。ただ苦を救うの心を冥道中に作せば、自ら多福に感ずるのみ。彼の富豪を以て処するに珍貴の薬を以うるを得ず、彼をして弁じがたからしめて自ら功能を衒うは、まことに忠恕の道にあらざるなり。

 

又云う、古より名医の病いを治するに、多く生命を用いて以て交急なるを救う。賎畜貴人というといえども、命を愛するに至りては、人畜一なり。彼を損し、己を益するは物情患を同じくす。況や聖人をや、それ生を殺して生を求むるは生を去ること更に遠し。その虻虫・水蛭の属、市に先に死するものあれば、すなわち市いてこれを用う。鶏卵一物は、その混沌未だ分かれざる以て、必ず大々急要のところあり、已むを得ず、隠忍してこれを用う。よく用いざる者はこれ大哲たりとも、まだ及ばざるところなり。