五行大義 巻第一

第一、名について説明する。ここでは二つにわける。第一に五行の名を説明し、第二に支干の名を説明する。

第一、五行の名を説明する。
 萬物にはもともと形體がある(*1) 。聖人はそれらの種類にもとづいて名前をつけた。したがって「名付けることによって形體は定まるのだ」(*2) 、「名が無いのは天地が生まれ出る最初であり、名がつけられると萬物はそれによって生まれるのである」(*3) といわれる。萬物のはたらきにちなんで呼稱がつけられる。また『禮記』には「子供が生まれて三ヶ月たち、笑うと名前をつける」(*4) とある。したがって生まれる前にはもともと名や字はない。五行は萬物に先立つものであり、五行の形質とはたらき(*5) は造化をたすける。まず最初に五行の名を確立し、それから五行のはたらきを明らかにするのがスジであろう。
『春秋元命苞』に「木とは觸である。地に觸れて生長する」(*6) とある。許愼は『説文解字』で「木とは冒である。根が地を冒して突き拔けて出てくる。木という字は屮に從い、下の部分は根にかたどる」(*7) とのべている。季節でいえば春に相當する(*8) 。『禮記』に「春とは蠢のことであり、萬物を生み出す」(*9) とある。方位は東。『尸子』には「東とは動である。氣を震わせるので動くのだ」(*10) とある。

 『白虎通』に「火とは化のことで、陽の氣がはたらいて、萬物が變化する」(*11) とある。許愼は『説文』で「火とは燃え上がるという意味である。文字は燃え上がる形に象る」(*12)とのべている。季節は夏に相當する(*13) 。『尚書大傳』に「夏とはどういう意味か。夏とは假である。假とは萬物に息を吹きかけて養うことをいう」(*14) とある。『釋名』には「夏は假であるというのは、萬物を寬容にあつかい、生長させることをいう」(*15)とある。方位は南。『尚書大傳』に「南は任である。物がちょうどはらむことをいう」とある。

 『春秋元命苞』に「土は吐くという意味である。精妙な氣を含みこみ、また吐き出すことで、物が生まれる」(*16) とある。許愼は『説文』で「土とは生き物を吐き出す」(*17) とのべている。王肅は「土は地の別名で、土を五行のひとつとする」という。許愼は「土という文字は、二で地の表面と内部とをかたどり、まっすぐの|で物がはじめて地面から出ることをかたどっている」という。季節は季夏で、季とは老の意(*18) 。萬物はこの季夏において成就し、その老熟の程度はこの四時の最後に旺盛になる。したがって老という。方位は中央にあって、四方を内部にあってつないでいる。『禮斗威儀』には「土は廣大中正(*19) のただしい氣を得て、黄色で眞ん中の德をもつので、萬物をつつみこむことができる」とある。

 許愼は「金とは禁のことである。陰氣がはじめておこり、萬物の成長はここで止まる。土は金を生みだすので、文字は土にしたがう。左右にあるしるしは金が土のなかにある形にかたどる」(*20) という。季節は秋に相當する(*21) 。『禮記』に「秋とはおさ愁めるという意味である。時宜にかなうように收穫するのは義を守ることにつながる」(*22) とあり、『尸子』には「秋は肅であり、萬物は秋にかならずつつしみぶかくうやうやしい、それは禮のもっとも大切な態度である」(*23) とあり、『説文』には「地面に物がかえるのが秋である」(*24) とある。方位は西。『尚書大傳』には「西とは鮮の方位である。鮮とは訊である。訊とははじめて入る樣子である」(*25) とある。

 『釋名』『廣雅』『白虎通』ではいずれも「水は準である。萬物を平らかにする」(*26) といっている。『春秋元命苞』には「水は演れるという意味である。陰が變化して湿りけを帯び、ながれひろがり大地にしみわたる。したがって水という文字はふたつの人がまじわり、一がその中をつらぬくというかたちになっている。一は數のはじめであり、ふたつの人は男女にたとえている。陰陽がまじわり一がはじまる。水は五行の最初であり、元氣があつまった液體である」(*27) とある。『管子』には「水とは地面をながれる血氣であり、筋脈を流通するかのようである。したがって水という」(*28) とある。許愼は「その文字は泉がならんで流れ、まんなかにかすかな陽氣があるのにかたどる」(*29) という。季節は冬(*30) 。『尸子』には「冬は終である。萬物は冬になると最終的に收藏される」(*31) とあり、『禮記』には「冬は中という意味であり、中とは藏するということ」(*32) とある。方位は北。『尸子』には「北は伏である。萬物は冬になると、身分の高いも低いも同じようにみなうずくまる」とある。以上、五行の季節や方位について分類して説明した。