Revues

analyses et documents 『分析と文書』。活動家向けに政治文書や情勢をまとめた雑誌(隔月刊)である。発行主体は同編集委員会。収録した154~156号は、特別号として発行された。順に「学生闘争から労働者闘争へ」(154号、1968年5月18日)、「工場占拠から選挙運動へ」(156号、1968年6月27日)(注:ドゴール退陣後の総選挙を指す)、「五月の運動:圧殺から弾圧へ」(156号、1968年6月27日)と題して、青年・学生戦線と労働運動それぞれの動向が、主要文書と時系列を含めてまとめられている。
analyses et documents


ARCANE 『秘宝(アルカン)』。「無政府共産青年団」 Jeunesse anarchiste communiste (JAC)の機関誌。誌名は『秘法67(L'arcane 67)』(1967年)を経て『秘法』(1968年)となり、3号ずつ発行された。 JACは、1968年5月半ばに、元アナキスト連盟総書記ジョルジュ・フォントニスを中心に、自由共産主義運動Mouvement communiste libertaire (MCL)を経て、自由共産主義組織Organisation communiste libertaire (OCL)を組織する。なお『秘法』の誌名は、アンドレ・ブルトンの作品『秘法一七』に由来する。
ARCANE


Noir et Rouge 『赤と黒:無政府主義研究手帖』。1956年に結成された「革命行動のための無政府主義者団」Groupes anarchistes d’action révolutionnaire (GARR)の機関誌として創刊。編集長は、国政選挙への参加をめぐり同年に「自由共産連盟」Fédération communiste libertaire (FCL)を脱退した、クリスチャン・ラガン。1961年のGARRの分裂により同名党派の機関誌となり、1970年まで存続。「5月」の学生指導者の一人ダニエル・コーン=バンディットがこのグループに属するなど、当時の運動に一定の影響力があったとされる。
Noir et Rouge


Cahiers de mai 『五月手帖』。1968~74年まで発行された月刊誌。中心メンバーは、共産党、労働総同盟Confédération générale du travail (CGT)、統一社会党Parti socialiste unifié (PSU)、毛沢東主義者など様々な潮流から集まった。本サイト収録は創刊号(1968年6月15日付)で、ナントの闘争が特集されている。「68年5月」における行動委員会と、調査(中国共産党の農民調査をモデルとする)の実践から生まれ、工場や地方での、直近または進行中の闘争の運動論的考察を目指している。
Cahiers de mai


CAHIERS MARXISTES LENNINISTES 『マルクス‐レーニン主義手帖』。UJC-ml(青年共産主義者連合マルクス‐レーニン主義派)の理論機関誌。同組織は高等師範学校のアルチュセール派の学生たちを中心に1966年に創設された。実質的リーダーはロベール・リナールで、近年、その娘ヴィルジニ・リナールの手になる、父親たちの活動を描いた書物が話題を呼んだ。同誌にはアルチュセール自身も匿名で、中国の文化大革命にかんする政治論文や弁証法的唯物論をめぐる理論的考察を寄稿している。ゴダールの映画『中国女』は、1967年の同派活動家学生たちをモデルにしている。しかし工場潜入路線を取っていたため68年5月には「乗り遅れ」、それが原因で内紛を起し、夏には消滅した。
CAHIERS MARXISTES LENNINISTES


CONGRES DES COMITÈS VIETNAM DE BASE 『ベトナム底辺委員会大会 政治決議(1968年3月)』。ベトナム底辺委員会Comités Vietnam de Base (CVB)については、本サイトここを参照。ベトナム反戦運動は、大規模な街頭行動の実現、運動への新たな動員や組織形態の面でも、六八年五月の運動の重要な契機となった。
CONGRES DES
COMITÈS
VIETNAM DE BASE


Manifeste de la FER 『人民に奉仕する』。発行主体は「共産主義作業集団」Groupes de Travail Communistes (GTC)と「青年共産主義者連合(マルクス=レーニン主義派)」UJC-ml。GTCは、UJC-mlの活動家による工場潜入を通じてオルグされた労働者が自律的に組織する集団で、来るべき革命党の基礎となると考えられていた(UJC-mlについては、Cahiers marxistes-léninistesの項と、VICTORIE pour le VIETNAMla cause du peupleの項も参照)。収録した第20号(1968年5月1日号)は「CGT万歳」と表紙に大書しているが、これはCGT執行部への皮肉を込めたもの。たとえば2頁以降では、ルノー・ビヤンクール工場の例を挙げながら、執行部批判が展開されている。この時点で学生運動を無視する点に、UJC-mlの「工場第一主義」がよく表れている。第22号(特別号、1968年5月21日号)にも、同様の傾向が見られる。
servir le peuple


Le nouveau clarté 『ヌーヴォ・クラルテ』。共産党の学生組織「共産主義学生連合」Union des Étudiants Communistes(UEC)の機関紙。前身は『クラルテ』として、1956~65年まで発行。1963~65年まで執行部を握った「イタリア派」(構造改革派)が65年の第8回大会で、共産党の「正統派」に破れて失脚し、正統派により改名された。
Le nouveau clarté


LE MOUVEMENT ÉTUDIANT 『プロレタリアの反搾取闘争と、消費社会批判の狭間にある学生運動』と題された論文冊子。著者表記は「行動提起と探求のための革命的センター」Centre Révolutionnaire d'Initiative et de Recherche (CRIR)。この組織は、1965年春に結成された「介入と探求のための革命的センター」Centre Révolutionnaire d'Internvention et de Recherche (CRIR)が元になっている。この前身組織は、「共産主義学生連合」UEC(共産党系)から除名された構造改革派(Le Nouveau clartéの項を参照)のアンドレ・セニク、ミシェル・フォルネル、ピエール・カンらを中心に、同じく65年にカトリック系学生組織の「キリスト教学生青年団」Jeunesse étudiante chrétienne (JEC)から除名された左派(キリスト教大学青年団Jeunesse universitaire chrétienne JUC)や、JECの分派であるプロテスタントの学生を糾合して作られた。CRIRの略号を保ったまま、1968年前後に正式名称を変更している。活動の中心は理論分析に置かれた。
LE MOUVEMENT ÉTUDIANT


LE 論文「『左翼主義』の昔と今」の抜き刷り。フランス共産党中央委員会発行の政治誌『共産主義手帖』Cahiers du communisme1968年6月号に掲載された、同誌編集長で共産党幹部のレオ・フィゲールによる「左翼主義」批判。同誌は1924年に『ボルシェヴィズム手帖』として創刊された後に、1944年に改名、月刊誌として1999年まで発行された。
LE "GAUCHISME"
hier et aujourd'hui


comité 『コミテ(委員会)』。「学生-作家行動委員会」Comité d'action étudiants-écrivains au service du Mouvement (CAEE)の雑誌。同委員会は1968年5月18日にソルボンヌでの集会で結成された。中心人物は、マルグリット・デュラス、モーリス・ブランショ、ディオニス・マスコロら。当時のテキストはすべて匿名で公開されたが、その後に執筆者が特定されたものもある。デュラスのテキストは「1968年5月20日 学生-作家行動委員会の誕生に関する政治文書」『緑の眼』(河出書房新社、1983年)で、ブランショのテキストの一部は、モーリス・ブランショ『ブランショ政治論集』(月曜社、2005年)で読むことができる。
comité


Entre l'apathie et la violence 『無気力と暴力の間』。1968年5月7日~9日の『ル・モンド』に掲載された「無気力と暴力のあいだにいる学生」という連載記事をそのまま再録し、海賊出版したもの。発行主体は不明。「ナンテールの夢」、「二つの時代のあいだの大学」、「引き裂かれた諸組織」という三つのパートから成り立つ。「3月22日運動」の結成にはじまり、大学閉鎖にいたったパリ大学ナンテール校の騒乱を詳しく伝えている。
Entre l'apathie et la violence


gepup - information 『パリ大学心理学研究グループ紀要』Bulletin syndical du Groupe d'Etudes de Psychologie de l'Université de Paris。略称をGepupとするこの組織は、ソルボンヌ校の文学部学生連合Fédération générale des étudiants en lettres (FGEL)に参加していた。ここに掲載した第4号(1968年3-4月号)では、加盟するフランス全学連 (UNEF)の共産党系執行部への批判とともに、心理学者としての職や将来の雇用を守ろう、と心理学者の共同行動を呼びかけている。この雑誌の一部の号が、こちらのサイトで公開されている。
gepup - information


solidarity for workers's power 『批判的大学』。「1968年パリ大学法・経済学部ストライキ委員会」Droit-économie 1968 Paris Comité de Grève発行の小冊子。大学と社会や社会運動との関係、大学の現状と改革案などについて、部会の報告、スト委員会の綱領などが掲載されている。
Université critique


Programme d'unité 『フーシェ・プランに反対し、AFGENを建設するための統一プログラム』。日付は入っていないが、西川氏は1968年6月18日に入手。発行主体も明記されていないが、AFGENは「ナンテール学習グループ連合会」Association Fédérative des Groupes d'Etude de Nanterre (AFGEN)を指しており、ナンテール校の活動家が書いたと思われる。内容は「1. 政府が学生をこのように攻撃する理由/2. 学生による闘争の方向/3. 学生会の役割/4. ナンテールにおいてわれわれが出発点とすべき観点」とある。
Programme d'unité


solidarity for workers's power 『労働者の力への連帯』。リバータリアン的な社会主義を掲げる、英国の組織「連帯」Solidarityが発行した機関誌。思想的には「社会主義か野蛮か」グループ、とくにコルネリウス・カストリアディスの強い影響下にあった。本誌は1977年から2度の名称変更を経て、1992年の組織解散まで存続した。中心人物は、ギリシア系英国人で脳科学者のクリス・パリス(筆名:モーリス・ブリントン)。
solidarity for workers's power


Solidarity Pamphlet Paris May 1968 『連帯パンフレット』第30号「パリ:1968年5月」。上記の「連帯」が発行したパンフレット。執筆者はモーリス・ブリントン。当時の街頭での様子が、英文で時系列的に綴られている。
Solidarity Pamphlet Paris May 1968


Le LÉNINISME ET LA RÉVOLUTION 『レーニン主義と革命(批判に応える)』。著書が日本語に翻訳されたこともあるモスクワ大学教授ユ・ア・クラシンの論文の仏訳。目次は「革命の問題をめぐるイデオロギー闘争/決定主義か主意主義か/主意主義から「前衛主義」へ/民主主義と「全体主義」/「遅れの弁証法」/世界革命:東洋と西洋/革命、戦争、平和共存」。
Le LÉNINISME ET LA RÉVOLUTION


Rive gauche 『左岸』。第21号(1968年6月)。編集長はクリスチャン・ジャイルChristian Jayleとあり、1965年創刊と思われるが、詳細は不明。「学生運動」特集号として、UNEF執行部の要求事項のほか、カルチェ・ラタンを中心とした学生運動の動向を紹介する。
Rive gauche
étudiant-magazine 4e année n°21


Noir et Rouge 『党はどこにいたのか?』。共産党員を名乗るM. ボナールなる人物を著者とした、1968年5月21日付のパンフレット。党とCGT執行部が運動の高揚に手をこまねき、ブレーキ役となったことを「党の不在」と批判する。他方で、左翼主義を全面的に称賛はしないが、運動の前衛となった点を評価する。党中央の議会主義的な対応を退け、現行の革命情勢に際しては、労働者の運動を権力奪取という政治目的によって糾合すべき、と主張している。
Où était le parti


L'HIVER RUSSE VOIS ATTEND 『冬のロシアへようこそ』。ソ連の国営旅行会社(当時)「インツーリスト」のフランス語版観光パンフレット。
L'HIVER RUSSE VOIS ATTEND