ごあいさつ

ヨーガスワミ
- 表紙の絵はスリランカのジャフナで活動していた聖者ヨーガスワミです。かれのおかげでその弟子のアメリカ人グルデーヴァにチダンバラムで出会い、その拠点ハワイを訪ね、さらに、スリランカ出身のヨーガスワミの信者たちが住むカナダのトロントまで足を運ぶことになったともいえます。まず、欧米の伝道者や聖者に会い、その後難民として故国を離れた人たちに会う、そこではじめてもう一つの宗教のあり方を知らされるというパターンは、昔バハイについても経験したことがあります。日本で活動する欧米系の伝道師を通じてバハイに慣れ親しんだ後、ホメイニ体制下のイランでの迫害を逃れ、難民としてロンドンにやってきたバハイに初めて接したときの衝撃。それは1980年の夏のことです。その衝撃はバハイが決して理知的な教えから成っているというのではないこと、そうではなく歌を通じての感情の表現こそが核になっていると思い知らされたからです。歳をとってから住み慣れた土地を離れ、カナダに移住してきたスリランカのタミル難民たちにとって、異郷での唯一の憩いの場が月に一回開かれる聖者ヨーガスワミの命日での集まりです。そしてそこでもヨーガスワミの教えを理知的に論じることよりも、彼が生きた生活世界の記憶をたどり、彼が創った賛歌を歌うことが重要な役割を果たしていました。カナダ滞在の最後の日、二人の老人に会いました。一人はインド政府軍の爆弾攻撃で妻と娘(当時22歳)を失い、自分も右手が不自由になったという老人でした。もう一人はヨーガスワミの信者で、ジャフナでのスリランカ政府軍とインド平和維持軍の悪行を述べた後、私との出会いを偶然とは思えないと何度も繰り返していました。スリランカから南インド、シンガポール、ロンドン、ハワイ、トロントと私のタミルを追っかける調査はそろそろ終点が見え始めましたが、出会いはますます濃密なものになっていきます。
- これまでの研究活動については以下を参照してください。