カピトリーノの丘で第一次大戦を想う

この夏、一週間ばかりローマへ行ってきた。恐らくフランス、イギリス、ドイツなどでは第一次大戦関係の催しが目白押しであるに違いなく、そういうものを訪ね歩くことも考えないではなかったのだが、どこか大戦アニバーサリーのお祭り騒ぎにあまり巻き込まれたくないという気持が働いて、2014年の最初の海外渡航先としてローマを選んだのである。滞在中は主として、サンタ=チェチーリア音楽院蔵のヴェルディのオペラ関係の資料調査という、およそ大戦とは関係ないことばかりしていた。しかし同時にこのローマ行には、カピトリーノの丘で古代ローマの遺跡を眺めながら『ローマ帝国衰亡史』を着想したというギボンに倣い、フォロ・ロマーノで2000余年におよぶ歴史の中での第一次大戦の意味に思いを馳せたいという、幾分ロマンチックな願望も混ざっていた。

案の定ローマには第一次大戦勃発百年の影も形もなかった。ボローニャやパドヴァといった北部の大学町では事情が違う可能性もあるが、ローマでは市当局も大学も博物館も観光局も、大戦などまったく興味がないようである。イギリスやフランス、あるいはベルギーやドイツにおける第一次大戦関係の催しには、多分に「新しい観光資源の開拓」という側面もあるに違いなく、また意識してようがしていまいが、そこには「21世紀における新たなヨーロッパ中心史観を、第一次大戦を軸に組み立て直す/世界にそれを流通させる」という底意が働いていないはずもなく、そう考えるとローマの大戦に対するこの完全な無関心は、むしろ清々しくすらある。この永遠の都にとっては大戦など、人類が古代以来性懲りもなく何度も繰り返してきた愚かな殲滅戦の一つにすぎず、今さら大騒ぎするようなことでもないのかもしれない。

事前に計画していた通り、フォロ・ロマーノのアウグストゥスの宮殿跡あたりの木陰に座って、「古代ローマ人が第一次大戦を知ったらどう思うだろう?」と、色々考えてみた。最初のうちは「ローマ人が知らなかったこと」が色々思い浮かんだ。毒ガス、空爆、潜水艦といった新兵器だけではない。彼らは地球が丸くて有限だということを知らなかった。いくらローマが世界史で最初の超大国/世界帝国だったといっても、その果てにはまだ「外の世界」が広がっていたはずである。ハドリアヌス帝は確かイギリス北部に、異民族の侵略を防ぐ長大な壁を建設したはずだが、これはローマ人が「壁の外の果てしない外部世界」を意識していたことを、逆説的に意味しているのではなかろうか。地の果てまで行けば、壁を超えれば、もちろん恐ろしい異民族やらトラやら狼やらはいるかもしれないが、まだそこには逃げ場がある - これは現代人にはもはやない感覚だ。

だがしばらくするうちに、別の考えが浮かんできた。第一次大戦はそんなにも「未聞の戦争」だったのだろうかという問いである。「現代人が知っていて古代ローマ人が知らなかったのは電気と自動車だけだ」とよく言われる。そして破壊においても、彼らは2000年前に既に、本質的なことはすべて経験し尽くしていたのではないか。古代ローマの建築物で唯一異民族の破壊を免れたものに、有名なパンテオンがある。絶句するほかない建築技術である。今なおまったくびくともしていない。現代の高層ビル解体作業の技術をもってしても、このパンテオンを壊すのには相当苦労するに違いない。してみれば、こうした古代ローマの神殿やバジリカや宮殿や浴場やフォロをあらかた壊し尽くしたゲルマン人たちの「破壊技術」もまた、ローマ人の「建造の技術」に劣らぬ相当な高水準だったと言える。ちなみに古代ローマもまた紀元前に、仇敵カルタゴの都市を完膚なきまでに破壊した。また自然災害としてはベスビオ爆発によって一夜で滅びたポンペイがあるし、「世界が、文明が、一瞬で灰燼に帰する」という感覚は、古代ローマ人にとっても無縁ではなかったはずである。

第一次大戦は人類史上未聞の戦争であったのか。それとも人類が歴史始まって以来延々と繰り返してきた愚行のなれの果てなのか。もちろん私たちが今日直面しているアクチュアルな問題の根っことして大戦を考えるのはとても大事だ。安易にデジャヴュ感を強調しすぎると現代の問題に対する無関心やニヒリズムに陥る。だが同時に、大戦の未聞性をセンセーショナルに喧伝するのではなく、どこかで「同じことの繰り返し」に対する達観と現実主義的な直視を忘れず、そのうえで、「かつてに比べて少しはマシになったこと」を見出し、マシになったその理由を探求する楽天性も忘れたくはない。

言うまでもなくローマはいるだけで楽しい。空気にも街並みにも雑踏にも食事にも、あるいは大学の図書館にすら、至るところに「生きること」の快適な官能が漂っている。「コロッセオある限りローマはある、コロッセオが崩れるときローマも滅ぶ、ローマ滅ぶとき世界は滅ぶ」という有名な言葉をわけもなく反芻しつつ、程よく均衡ある生の快楽こそローマが2000年以上かけて学んだ文明の暴走を制御する術ではないかと思いながら、帰途についた次第である。

◆ 岡田暁生(京都大学人文科学研究所教授|西洋音楽史)
https://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/hub/zinbun/members/okada.htm